2020年4月13日月曜日

夢に向かって(6年前の文章)




僕には夢がある。

僕たちには夢がある。

世界はより良く変わる。

絶対によく変わる。

未来は僕たちの手の中にある。

僕たち次第だ。

現実を見るとイヤなことも多い。

理不尽なことも多い。

相変わらず癒着もある。

権威主義、縁故主義、門閥主義。

悪いことを悪いと思ってしてる人は少ない。

殺人犯にも、正当な(?)理由があるものだ。

嫌気が指すこともある。

でもきっと、そうじゃない。

今だけ見ていると、そう見えるし、そう思ってしまうかもしれない。

でも、そうじゃないよね。

そのままで終わるはずは、ないんだよね。

続いてゆくんだよ。

ずっと、続いてゆくんだよ。

確かに、一人では出来ないかもしれない。

人数を増やせばいいという意味じゃない。

一人が持ってる人生の時間では出来ないかもしれない。

仏教の用語では「本因妙」っていうのだけど、「刈り取り」の時期でも、「鑑賞」の時期でもないんだ。

ずっと、ずーっと、種まきの時期なんだ。

そこが分かるか、分からないかだ。

頭もいらない。

しゃべりがうまいとか、文章がうまいとか、そんな人を求めているんじゃない。

ずっと、恩返しなんだ。

絶対に、お返し出来ないほどに受けてきた大恩を、ただお返ししたい。

もう、あきらめない。

結果を見ようなんて、なんて贅沢なんだろう。

ずっと、建設中なんだ。

ずっと、恩返しの途中。

仏法は、自分の愚かさと、恩が分からないと、出来ないよ。

そんな自分。

そんな自分さえ諦めなければ、未来は確実に変わるんだ。

脅されることもあるかな。

笑われることもある。

ほめ殺しみたいな、やさしい言葉もおだても溢れて。

地獄の中に仏がいて、仏の中にも地獄があるという真理。

すごいではないか。

心のずっと奥の奥に、良心の塊があるんじゃないかな。

みんな、知ってる。

分かってるのに、まさかと思ってしないだけ。

どんどん、流されてく。

忘れてく。

だから、忘れずに、夢を捨てず、希望を離さず、信念を曲げず、行動し続けた人が、世界をより良く変えてきた。

忘れるわけにはいかない。

だから、言い聞かせよう。

未来は僕たち次第。

何を怯えてる。

何を恥ずかしがっている。

なんで身体が動かない。

どうして一言が出ない。

未来は僕たちの手の中にある。

世界はより良く変えられる。

ガッハッハと笑っていける。

ウッシッシと笑っていける。

大勢の中で孤独であるより、孤独でも、あなたがいてくれた方がいい。

恐ろしさも危うさも増すばかりで、挑戦する者にとっては苦しく辛いことも多くなるに違いない。

しかし、それでも宇宙の真理は脈々と息づいて、人類は真実への発展を遂げる。

人類の前進。

進める者もいれば、後退させる者もいる。

どっちか。

いや、どっちも、どっちか。

自分では、みんないい方に思うのだろうな。

御法さましか、分からないかな。

『クラウド・アトラス』

続くのだけど、イメージしにくいだろうから。

国と国、民族と民族、思想と思想がぶつかり合って、怒涛の如くぶつかり合って、ぶつかり合って、思想は普遍性を増してきた。

「今まさにこれ時なり」

Budiismo Primordial

Primordial Buddhism

法華経本門の、久遠の、本化の、根源的な、という意味の言葉を冠する仏教。

いま、その普遍性が試されている。

本来普遍的な、本化仏教が、飛行機でも2日か3日でグルッと回れるくらい小さくなった地球の、民族と民族、思想と思想が横並びに並べられ、ぶつかり合って、ぶつかり合う時代に。

「万人一同に南無妙法蓮華経と唱え奉れば」

見たい。

全人類の精神的な次元上昇を夢に見る。

自分が変われば世界は変わる。

人間は変われば地球が変わる。

地球が変われば宇宙が変わる。

神さま比べも、仏さま比べもない。

本化の仏教は民族や宗教の壁を超える。

偏見や差別は無くなる。

最も民族が混淆している移民国・ブラジルで、普遍的な思想や信仰はさらに洗練され、さらに広がってゆく。

みんなで夢を見れたら、もうそれは現実になる。

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