2020年8月2日日曜日

さだまさしさんのご出演



































明日のFMヨコハマ「横浜ラグーン」のスペシャルゲストは歌手のさだまさしさんです。


さだまさしさんにご出演いただけること、本当にありがたく、言葉になりません。


横浜国立大ホールを会場に妙深寺が主催した東日本大震災復興記念大会の締めくくりはさだまさしさんにご登場いただきました。


あの日の夜、秋山ご住職とパシフィコ横浜からそのまま陸前高田に向かいました。そして、東北道を降りて、三陸海岸方面に向かっている途中、真っ正面に、まっすぐ下に落ちる、ものすごい流星を見たこと。忘れられない8年前の6月10日でした。


旭のことを、さださんにお話できて、よかったです。旭もきっと喜んでいると思います。


ネパール大震災の支援活動に向かった旭。いろいろなものを抱えていた旭。ネパールの奥地で英雄として敬われている旭。


旭が亡くなった時のこと、その後のこと、その瞬間から数分のこと、十数分後のこと、その時から数時間のこと、その日の夜のこと、次の日のこと、次の次の日のこと、忘れようもありません。時々刻々、胸に刻まれています。


車から旭を抱きしめてストレッチャーに乗せた時、救命救急の部屋に入った時、医師に懇願した時、外に出された時、床に正座して御題目を唱えた時、すぐに呼び戻された時、旭が亡くなったと聞かされた時、理解できず何度も聞き直した時、脱力した時、外に出た時、清顕の顔を見た時、外に出た時、空を見た時、日本に電話した時。


忘れられないことです。


今生の私の生涯で、これほど濃縮された時間はないというほど濃縮された時間、過酷なご奉公。


旭の棺を選び、旭の着替えをさせ、旭に懐中御本尊を抱かせ、旭を日本に移送し、旭と同じ飛行機で帰国し、旭を横浜へ移送し、旭を着替えさせ、旭と妙深寺の本堂へ帰り、旭のお通夜、旭の葬儀。


濃縮され過ぎていて、どうやって息をしていたのかも分かりません。かすかな記憶は断片で、ブログを見なければ自分でもご奉公の経過が掴めません。


今生で、旭との別れ、このような過酷なご奉公があったことを、永遠に刻みます。


旭の死から2ヶ月後、彼の遺志を受け止め、決して夢を潰えさせてはならないと心に決めて、再びネパールへ向かいました。


極寒のネパール、サムネドゥラデヴィに一人で向かいました。あの時は、本当に、どうなるか、どうできるか、続けられるか、どうしたらいいか、分からなかった。


ただ、ここで旭が歌った『見上げてごらん、夜の星を』、書き残したノート、亡くなった日、49日忌が誕生日に当たることなどを胸に、すべて凡夫の頭ではなく信心の心で受け止めて、ネパールの奥地に入っていったのでした。


その時、日本を離れてから、日本に戻るまで、御題目はもちろんですが、さだまさしさんの『風に立つライオン』を聴いていたのです。


もう30年以上まえの曲ですが、実在の医師をモデルにしています。日本の大学病院から内戦の続くアフリカの小国に派遣され、病気で苦しむ現地の人びとのために献身的に活動するお医者さまの曲です。


その歌詞には、旭のことはもちろん、様々な支援活動のことを思い起こさせる言葉があり、何度も嗚咽しながら聴き続けました。


今年の1116日で旭が亡くなってから5年になります。この5年間、みんなで必死にご奉公させていただいてきました。まだまだ不安定ではあるものの、ネパールに素晴らしい拠点が出来、ネパール人の僧侶も2名誕生しました。


ネパールだけではなく、彼らはネパールでも、インドでも、子どもたちの教育支援をはじめ、様々な活動を精力的に進めてくれています。現在は毎週スリランカのディリーパ良潤氏が海外教務勉強会をインターネットで開催してくれています。本当に、素晴らしい輪がアジアに生まれました。まさに、みんなが『風に立つライオン』です。


泣き叫ぶほどの悲しみ、痛み。でも、そこからしか生まれないもの。献身、共感、感動。


「診療所に集まる人々は病気だけれど 少なくとも心は僕より健康なのですよ」


海外でご奉公していると、こんな歌詞で泣いてしまいます。


そして、極め付けは下記の歌詞。


「僕はやはり来てよかったと思っています。辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです。」


はい、「つらくないと言えば嘘になるけど、しあわせです。」と大声で言いたい。それがご奉公なのです。本当の。


「あなたや日本を捨てた訳ではなく、僕は今を生きることに思い上がりたくないのです。」


「空を切り裂いて落下する滝のように、僕はよどみない生命を生きたい。」


さだまさしさんと対談できるなんて、本当にありがたいです。心から感謝です。


毎回、ゲストの方には申し訳ないです。皆さんが腰を抜かして驚くほど、ラジオ番組の出演料など微々たるものしかありません。本当に、志だけで、お出ましくださっています。研ナオコさんはじめ、これまでご出演いただいた全ての皆さまが、心だけで、一人でも多くの方を励ましたいという気持ちだけで、この無名のラジオ番組に出てくださっています。


横浜国立大ホールにご出演いただいた後、楽屋に出演料を持ってご挨拶に伺いました。あの時は、しっかりとそれなりの金額を準備していました。そして、さだまさしさんに御礼をしたのです。「本当にありがとうございました。」と。


しかし、さださんは私からの出演料をお断りになられた。


「いりません。それを全て支援活動にお使いください。」


いろいろな想いがこみ上げて、涙が溢れてくるのです。本当に、ありがたくて。


明日、支援活動について専門的なお話もたくさん出てきます。私も加盟させていただいた「風に立つライオン基金」についてのお話もございます。この活動こそ正真正銘、これからの日本に必要なものだと思います。これについては後ほどまたご披露します。


さださんは昨年12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師を追悼する歌も作っておられます。「ひと粒の麦~Moment~」という曲。アルバム「存在理由~Raison d'être~」に収録されています。


是非、お聴きいただきたいです。よろしくお願いいたします。

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