明治17年以来、今年で126年目を迎えた麩屋町長松寺の御総講。受け継いでゆくことの大切さを思う。
明治17(1884)年2月11日、宥清寺の全権をお弟子の現喜師に委ねた開導聖人は、既に借り受けていた麩屋町に居を遷された。
当初は、決して望まれたご転居ではなかった。宗門の僧侶らの誹謗中傷と、講内一部信徒によって起こった紛糾を収束させるためにご決断なされた。明治20年4月には、罪障を起こした信徒らが懺悔状を提出。麩屋町の御宝前には、今でもその時の懺悔状が保管されている。
このように、事実、事態は収束し、この一連の出来事も、仏祖のお計らいなりと感得せられる。結果、佛立講は永久の教訓を得、開導聖人は生涯最重要の晩年に特別の時間を得、佛立教講は最も重要な御指南を頂戴することになった。
麩屋町ご転居から、開導聖人は身延入山後の高祖、勧学院建立後の門祖と同じように、本門佛立講の弟子信徒に対して未来を期した最重要のご教導を開始された。特に、「五五の御指南日」は遅参者の入室を許さず、無断欠席者は即除名という厳しいもので、佛立教学と信行ご奉公の真髄を御指南くださった。
開導聖人は、この年、明治17年からご母堂のご命日である例月4日に御講席を開かれ、ご体調の都合で4日から16日に順延されたがご遷化の前日明治23年7月16日まで御講願主としてのご奉公を為された。
麩屋町の御法宅も、開導聖人の御講席も、今年で126年もの間、開導聖人から長松品尾、長松品尾から長松日峰、長松日峰から長松清凉、さまざまな有縁の方々のご奉公を経て、先住から現在へと、絶やすことのないように護持し、ご奉公させていただいる。昨夜も、例月4日の御総講が奉修された。
今月13日は長松寺の開導会。併せて日聞上人の百回御諱を奉修させていただく。その際、長松寺の沿革と二世日聞上人の生涯最後の御法門をプリントして配布することを予定している。その準備をさせていただきながら、126年目の御総講を、とても感慨深くご奉公させていただいた。
さて、今日は横浜妙深寺の教区御講です。10時半と13時。ありがとうございます。
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