2011年3月7日月曜日

妙清師のご遷化

昨夜、妙清師が寂光に帰られました。最後まで、佛立教務として御法門くださり、訪れる教務からご信者の皆さま、介護やヘルパーさんの方々にまで、御教歌と御指南を説かれました。ご遷化直前、まるで、寝食を忘れた清和会のお給仕に感謝を述べられるかのように、千延の顔をさすり、引き寄せて両手を握りしめ、ご挨拶されました。御題目の響く中、妙清師は今生でのご奉公を終えられました。
妙清師の生々世々のお師匠さま・日博上人は、その辞世の句で次のように表白されています。
「命をば 妙法華経に奉り カンナをかけてやりし日もあり」
「ワッハッハよきも悪しきも今生は まずはこれまであとは来世で」
まずは、これまで。あとは、来世で。その教えでしたね。哀しいけど、それがお師匠さまのお姿でしたね。妙清師。もう、いいんだもんね、妙清師。がんばらなくても。大丈夫。泣いちゃだめかな、俺は。でも、涙が止まらないよ、妙清師。
まずはこれまで、あとは来世で。
ご高齢となって思うようにならぬ身体のご苦労を、教務夫人の会である清和会のみんなが一生懸命その手足になってお給仕してくれていたことは何度も書きました。本当に、妙深寺と妙深寺の教務を陰で支えている世界一の清和会。妙清師も感謝しておられるに違いない。
いま、妙清師は、重たい身体を離れられました。如説修行抄の第六段にある如く、お迎えの刹女らと共に霊山のゆるやかな坂を駆け上がっておられる。ラージギルの澄んだ空気を思い切り胸に入れ、老病から解き放たれてその足取りは軽く、群れなす菩薩方の列をかき分けて、お師匠・日博上人と先住日爽上人の、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、と、心躍らせて、身体を前に傾けて、向かっておられることと思います。御導師方も、スッと立ち上がって、妙清師が迷わぬように、見えるように、容易に見つけることができるようにと思って待っておられます。
涙が、止めどなく、流れます。
ご報告が、山のようにありますね。どうか、ゆっくりと、安らかに、お師匠さまの下でしばしの休息を。そして、速やかに、また妙深寺に戻ってきていただき、共にご弘通ご奉公に励ませていただきたい。まずはこれまで、あとは来世で。
妙清師のご遷化に当たって、その枕元に約50年前の大御本尊をお掛けいたしました。日博上人から「小磯孝子」への授与。天井からお掛けしても畳に付いてしまうほどの大きな御本尊さまです。

妙深寺教務部の掟。日博上人はかねて「臨終条令」を作り、額に納めて教務室に掲げさせていました。
「臨終条令。
一、部屋を清淨にすること。
一、三箇之中の御本尊を奉安し、梵気をみなぎらせること。
一、臨終者は御本尊にむかい、右脇を下に安楽に臥せよ。
一、信仰の師友が御本尊の側に列座し、家族親戚は反対側の後方より御本尊にむかう。
一、聖にして清淨なる中に遺言すべきはすること。
一、臨終者は信仰の師友に今生の高誼を感謝し、家族親戚に深厚の因縁を感謝し生々世々の誓願を表白すること。
一、口唱唱題の中に安祥として臨終すること。
吾等は右条令をわれと服膺し、信者にも教導することを誓願します。以上。」
妙清師はご遷化に際してこの実践し難い条令を身を以て行じ、教務道の有終を見事に美しく飾られた。そして、私にとって、妙深寺の行事日程を一つも変更せずにお見送りのご奉公をさせていただくのは、この日程ありませんでした。本当に、申し訳ない。妙清師、見事過ぎます。
お通夜は明日8日18時、告別式は明後日9日11時。有縁の方々に於かれては共に唱題のほど、よろしくお願いいたします。

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