3月1日は私の誕生日。京都の南座の裏にある病院で生まれたそうです。開導聖人のご息女・長松品尾さまの祥月ご命日とのことで、母はこの日を選んで生んでくれたのでしょうか。一つ年を重ねて、なお一層自分の使命を感じて、全身全霊でのご奉公に励みたいと思っております。
本年で先住がご遷化になってちょうど10年です。先住をはじめ、妙深寺の先師上人を思い返し、門祖会での大テーマでもあった「妙深寺信徒の誇り、喜び」を痛感します。過去二代のご住職方は、まさに命懸けで、この「生きたお寺」を護持し、発展させてくださいました。共にご奉公をされてきた御講師方、ご信者さま方も同様です。
「このお寺でよかった」と、一人でも多くの人に感じていただけるように、今の住職も御講師もご信者方も、菩薩の誓いの実践をさせていただかなければなりません。重いバトンです。この重たいバトンを落とさず、しっかりと次の世代にも受け継いでゆきたい。
二月の教区御講の御法門を決して忘れないようにしてください。
御教歌、
「いまゝでの やうなことではこのころの やうな御利益なんのあろかい」
ご信心とは、御宝前に真っ直ぐ向き合うことから始まります。決して自分で作った「ローカルルール」に流されてはいけない。素直正直が何より大切だと教えていただいているのに、実際には自分なりの考え方で受けたり、受け流したりしています。
「今までのやり方ではダメ」という御教歌です。「今までどおりだったら、最近顕れているすごい御利益はなかったはずだ」と改良の大切さを教えていただきました。
お看経が上手にできない方も多いです。「今まで通り、自分の唱え方はこれ」ではなく、正しい唱え方への改良に挑戦しましょう。声の出し方、息継ぎ、目線、姿勢など、改良点はたくさんあります。長時間お看経していても疲れず、気持ちのいいお看経ができるようになるまで、改良しましょう。
何度もご披露していますが、本堂の前の方に座る方が少ないのはなぜでしょう?「座る場所」が決まっているのですか?
とにかく、前の方に座ること。「自分の座る場所はここ」という、これも勝手な決め事が「ローカルルール」です。そこを改良しましょう。
「人のためになり、皆が喜んで受け入れてくれる、自分の務めも成就するという事は、そんな簡単なものではない。しかし、それを成し行けば「いざ」という時の発言力、説得力、指導力となって功徳が積め、ご奉公が出来るようにするには、情理を尽くし、事にあたって熟慮し、読みを深くしてやらなければ一歩も進歩は出来ない者である。まだ、若いからいいが。どうか、努力してくれ。
正しいことをして、誤解をされ、悪口を言われ、不運に陥って、それで当たり前であるとの心構えを養ってもらいたい。
そして、千に一つ、万に一つでも、これこそ佛立信仰の『これ道である』との堅い信念に到達したことであったならば、断断固として実行するようになって貰いたい。勉強してください」
勉強します。如説修行の覚悟、佛立魂とは、ここです。ここに、到達したい。ご信心、人生の目標です。
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