2015年2月11日水曜日

2015年2月10日火曜日

平和ボケ

凛々。

凛冽。

寒さが厳しく、身にしみいります。

横浜ですらこうですから、北国、雪国は比べものにならないくらい大変厳しい寒さだと思います。

特に、仮設住宅は。

昨晩、事務局会議を終えてから、信仰師たちが陸前高田、大船渡に向かいました。

東日本大震災から、3年11ヶ月目の、その日に向かって。

アイスバーンになっているだろうから心配しましたが、無事に着いたようです。

ご祈願、ありがとうございました。

ずーっと、ずーっと、ずーっと。

よく、特にアメリカの人は、ファーストコンタクトは大親友みたいに、握手して、ハグして、感激して出会いを表すけど、次に会った時にはケロッとしていると、なかばそんな皮肉を聞くことがあります。

自分にも、そういう面があるかな。

東北に行かせていただいて、たくさんの方々にお会いして、じっくり時を刻んで、回を重ねて、なんかジワジワくる、そういうファーストコンタクトの賑やかさが、空々しく、慌ただしく、虚しく感じることがありました。

一回なんかじゃ分からない、分かるわけない、じっくりコトコト、たっぷり、がっつり、そういう、まるで厳しく長い冬を知っている木々のような時間軸で、人とも、自然とも、向き合っておられるのを、学ばせていただいてきたように思います。

奥ゆかしく、慎み深く、回を重ねないと、続けないと、分からないのだなぁということを、特に、教えていただいているように思います。

今日、私は乗泉寺さまにお参詣させていただいて、小山ご講尊のご講演「終戦70年 戦争と命と平和」を聴講させていただきました。

空襲の、恐ろしさ、むごさ。

戦争に、ひた走る政治状況も、あらためて、詳しくお教えいただきました。

語り継ぎ、受け継がなければならないことが、本当にたくさんあります。

こぶしの花。

胸が締めつけられます。

御導師が、写真を見せてくださいました。

東京大空襲の焼け跡の写真は、広島の平和記念資料館にあった原爆投下後の写真と同じように、東日本大震災の直後に被災地で見た、荒涼とした津波直後の写真と重なりました。

しかし、同じ人間が数万人を殺害し、人間の暮らしている市街地を壊滅させたのですから、よほど罪深く、よほど酷く、よほど情けない。

結びのお言葉は、私たちの、平和への使命と、戦争への覚悟、断固として平和を守れという厳しいお言葉でした。

平和ボケしているのではない、と。

そして、明日は、東日本大震災から3年11ヶ月。

私は長野でのご奉公。

遠く長野から、被災地を想い、ご奉公させていただきたいと思います。

2015年2月9日月曜日

前に進もう

たくさん考えても仕方ないですね。

自分が、自分の弱点を一番知ってる。

いいところはもっとよく、無くさないように、離さないように。

悪いところは出来るだけ早く、直せるように、よくなるように。

自分の弱点を知れば知るほど、ポジティブになれます。

分かったんだから、よかったね。

気づけたんだから、よかったね。

教えてもらえて、よかったね。

弱点のない人はいないから。

前に進むということが、一体どんなことなのか分からないと、生き生きと生きれない。

今日も、自分をあらためられた。

あらためられた。

だから、ありがたいです。

前に進もう。

2015年2月8日日曜日

国立国会図書館から

家に戻ると、とっても嬉しいお手紙が。

国立国会図書館からの手紙でした。

なんだろう、宛先は妙深寺。

京都佛立ミュージアムではお世話になっているけれど、国立国会図書館から、妙深寺?

そう思いながら封を開けました。

すると、妙深寺報の、「394号(2012年8月)から最新号まで刊行がありましたら納本(送付)をお願いします。」と書いてありました。

嬉しいですー。

ただの、一つのお寺が発行しているフリーペーパー、無料の寺報を、わざわざ国立国会図書館からご連絡をいただいて、納本させていただくなんて。

どなたかが、送ってくださっていたのですね。

それを、わざわざ調べて、ご連絡くださる国会図書館も有難いです。

本当に、無料のお寺の冊子なのに(涙)。

無常だけど、こうして国立国会図書館さまが保管してくださっていれば、50年後、100年後の物好きな人が、妙深寺のことを調べようとしたら、キチンと残されているのだから、有難く思います。

『佛立魂』や『仏教徒 坂本龍馬』、ミュージアムの図録などは納本されていましたが、コツコツと発行し続けてきた「妙深寺報」が、国立国会図書館に納本されていたなんて、これほど嬉しいことはありません(涙)。

感激です。

謹んで、有難く、納本させていただきます。

土曜日、日曜日と、無事に教区御講を勤めさせていただくことができました。

2015年2月7日土曜日

一生に一度のご奉公

この一日に、この一席に、世界の平和や、人の命、子どもたちの幸せがかかっていると、まるで馬鹿げている、阿呆だと笑われるくらい、真剣に思っているのが、佛立教務だと思います。

そうであって欲しいし、そうあるべきだと思います。

昨日に引き続き、教区御講に向かっています。

今日も、一生に一度のご奉公。

この満たされた有難さは、言葉にならない。

ありがたいです。

京都では、今日も「ブラジルと仏教展」の撤収作業が進められています。

本当に、スタッフの皆さん、ボランティアの方々、ヘルプの学生師には、頭が上がりません。

クレイジーと呼ばれても、みなさんのご奉公が、世界をより良く変えていると、本気で確信しています。

今日も、かけがえない。

本当に、ありがとうございます。

2015年2月6日金曜日

挑戦

ようやく、「坂本龍馬と仏教展」の全ての原稿を、書き終えました。

あとは、最終ページまで文字を流し込み、レイアウトし直していただきます。

結局、こんなにかかってしまいました。

たくさん添削いただいて、京都佛立ミュージアムらしく、分かりやすい図録になればと思います。

幕末の英雄・坂本龍馬と、幕末維新の仏教改革者・長松清風の接点にこそ、まだ見ぬ日本の可能性があります。

一人でも多くの方に知っていただきたい。

開導聖人デザイン。

あらためて、感動です。

そして、次は、「戦争と平和と仏教展」に向けて、挑戦してゆきます。

2015年2月2日月曜日

後藤さん殺害の報に接して

2月の始まり。

それは、後藤さんの殺害映像の公開という、あまりにも惨い、やるせない感情と共に始まりました。

その殺害映像は、人間の為せる業とは到底思えないほど残忍極まりないもので、見る者の心に深い傷を残すものです。

危険な戦場に赴き、後藤さんが伝えてきたのは戦場で傷つく女性や子どもたちの姿。

現代、戦争が、その攻撃が、リアリティを失っていると言われます。

地上部隊を撤退させ、空爆や遠隔地や無人機からのピンポイント攻撃が主となる戦争は、底なしの恐ろしさを秘めているように思います。

画面の中で照準を合わせ、画面の中で人が逃げ、画面の中で人の生死が決定する、バーチャルな戦争。

本当は、そこに圧倒的な現実と、人びとの生死があるのに。

残念ながら、平和は戦争からしか学べないと、何度も何度も言われています。

平和の中にいると、戦争の愚かさを忘れてしまいます。

しかも、その戦争がバーチャルで、戦時宣伝映画のような情報戦略のヴェールに包まれていたら、人類の理想も、平和の理念も、平衡感覚すら失ってしまいます。

戦争の愚かさ、恐ろしさが、当事者すら分からなくなる罠。

戦場に赴き、危険を覚悟して、その現実を伝えてくださるジャーナリストの方々。

正義と正義がぶつかり合う、戦争という暴力の中で、ありのままの厳しい現実を、伝えてくださる、ジャーナリストの方々。

後藤さんは、戦地に飛び込み、リアリティを失った戦争の、真実の姿を、克明に伝えてくださっていた方のお一人。

戦地で苦しむ、女性や子どもたちの姿を通じて。

しかも、人質として囚われている方の救出のため、生後3週間の我が子を残してトルコからシリアへ向かったと伝えられています。

後藤さんの最後の姿は、逃げようのない圧倒的な現実、目を背けることもできない戦争の無慈悲さ、恐ろしさ、悲惨さ、狂気、凶悪性、血、死を、私たちに突きつけていました。

後藤さんは敬虔なクリスチャンであられたとのこと。ただただ、その勇気と行動に敬意を抱くほかありません。

ご家族の心中を思うとやりきれませんが、奥さまから出されたコメントを読ませていただき、その覚悟や使命感を共有されていたのだと思い、一層の敬意を抱きました。

「イラクやソマリア、シリアのような紛争地帯で人々の苦境を報じた夫をとても誇らしく思います」

「特に子供の目線で、普通の人々への影響に光を当て、戦争の悲惨さを私たちに伝えることに情熱を注ぎました」

暴力に、暴力で対抗することは時に必要不可避であるとはいえ、「イスラム国」と称するこの狂った集団を生み出したのは一方的だった欧米の中東政策によります。

誰よりも、暴力によって家族を殺され、復讐を誓う人たちを見てきたのは、戦場ジャーナリストの後藤さんだったと思います。

後藤さんは、暴力の連鎖の愚かさ、戦争の悲惨さを、何度も書かれていました。

その死によってさらなる暴力の連鎖が始まることなど、後藤さんにとっても最も不本意であると感じます。

後藤さんの死の衝撃。

哀しみ。

いろいろな意見もあると思いますが、私は今だからこそ、日本国憲法の前文を、読み返しています。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

後藤さんのご冥福をお祈りし、同時にその平和への希いが受け継がれることを祈念して止みません。

I Was Brought to My Senses

  10月14日、FMヨコハマ「横浜ラグーン」を放送させていただきました。おかげをいただいて放送が出来ております。ありがとうございます。 リスナー様から、家族みんなでお母さまの看病をして、お見送りしたというお便りがありました。素晴らしい時間を過ごせた、とのこと。本当にありがたいで...