普通の人は、「何を好きこのんで朝も眠いうちにお寺になんて行くんだ」「もっと寝ていた方が仕事もスッキリできるじゃないか」と思うかも知れない。しかし、実際にやってみてほしい。とにかく気持ちがいい。これは、たとえば大きな願い事があるとか、問題を抱えているとか、そういうことだけではなく、気持ちが良いこと、してみると有難いと思えること、嬉しくなることなのだ。
毎日の生活や仕事の中でも学校の中でも、不思議な安心を味わえる、自分がいつもと違う、より良く変わっていることを実感できる。普通の生活では分からない、寒参詣など毎日お参詣する中で感じていくというもの。
功徳を積ませていただくから、私たちは妙不可思議の現証、御宝前からのサインをいただく。自分のカルマ、悪循環を乗り越えて、自分の悪い点をお知らせいただき、改良できる、成長できることが嬉しい。毎日、気づける、気づき、enlightenmentがある。
まず、功徳を積む。これは見えない貯金のようなものだ。そして、自分の罪障を消滅する。この「罪障」とは見えない借金のようなものだ。幸せの芽の上にドカッと乗っている岩が罪障だとしたら、それを取り除かないかぎり芽を吹くこともなく、大きく育つこともないから、常々に功徳を積み、罪障を消滅し、現証の御利益が頂戴できるように努める。
この寒参詣は、功徳を積ませていただく絶好のチャンス。お参詣はもちろんだが、いろいろな功徳行をさせていただけるのだから、少しでもその方法を知って実践していただきたい。
平日は毎日約300人のお参詣をいただく。そして毎日泊まりがけのご奉公でご供養をご用意していただいている。パッと初詣に行っただけで良い一年がくるなんて、考えてみたら滑稽だ。そんなコンビニエンスな御利益などない。寒参詣は、年頭から功徳を積み、本当により良き一年を祈り、送るための修行。ここで学び、実際に自分で積ませていただく功徳。

アミダ仏を悪く言う坊主など狂人に違いない、叩き切ってやる、と意気込んで塚原の三昧堂を訪れたのだが、阿仏坊は逆にお祖師さまに説き伏せられてしまった。改心してお祖師さまの信徒となった阿仏坊は、妻である千日尼と共にひもじい生活を余儀なくされているお祖師さまに日々に御供養をされた。極寒の道のりを歩いて、お祖師さまにご供養(お食事)を届けられたという(※)。そのご奉公、大変な功徳行を偲ぶために、私たちは最も寒い一ヶ月間、「寒参詣」をさせていただくようにもなった。
小さな手縫いの袋。その袋を見ると「志」を感じて、ありがたい。最後には自分も食べさせていただくということもあり、新しいご信者の方も教えていただいてお供えされているようだ。寒参詣の初日、お教務さんとお参詣のご信者さんと一緒に、本堂の御宝前から2階下まで運び、寒参詣のご供養にさせていただくのである。
毎日10升くらいだろうか、その「御供米」を炊いて、お味噌汁、お新香、たくあんなどを添えてご供養としている。その他、芋がゆの日や揚げ餅の日などもある。本当に、有難いことだと思う。
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