今回のスリランカは完全に単独でのご奉公となり、明日朝7時前に妙深寺を出発する。バンコクで乗り継ぎ、コロンボへは22日の深夜に到着。翌日からご奉公を開始する。出来る限り、このブログでもご奉公の詳細をご紹介したいと思うが、いつものように尻つぼみにならないように気をつけなければ。
今回は御講ミーティングを4席奉修させていただくことになっている。それぞれのセンター、地域での奉修となり、その前後に約30~40席のご信者宅へのお助行を予定している。ご信者宅へのお助行は私の切なる希望である。しかも、今回の地域はコロンボから遠く離れた地域で、なかなかご信者宅まで巡回することはできないでいた地域である。佛立の真骨頂であるお助行を通じて、ライフスタイルの中で生きるご信心の仕方を伝えてゆきたい。
しかし、こうしたリクエストも、実際には「彼らのため」というよりは「自分の信心増進・信心改良のため」という方が強い。私は、日本の、妙深寺の中にいると、お弟子さんや素晴らしいご信者さんに守られている。お給仕をしてくださり、お敬いをしてくださり、本当に至れり尽くせりのご奉公を頂戴している。当然ながら、当宗の多くの御導師方がされているように、自身で御宝前にお給仕を申し上げ、常題目を実践し、自己を磨き続けることも大切だが、私のような愚かな者にとって、妙深寺から離れて海外でご奉公するという中に、猛烈な信心改良と信心増進のエッセンスがあると思っている。
行ったこともない街、会ったこともないご信者、国も異なり、人種も違う。言葉もままならず、場合によっては完全に言葉が通じない。私のことを知る人も、事前からプロフィールを知っているかいないかも分からない。そんな環境の中に身を置いて、ご奉公させていただくことの素晴らしさが分かるだろうか。そこには、もう共通のご信心、御本尊、御題目しか無くなる。言葉も通じないのだから、下手な小細工も上辺を繕うことも許されない。もし、日本で安閑と過ごしていたり、地位に甘んじていたり、信心がニセ物ならば、すぐにメッキは剥がれ、何も伝わらないだろう。裸になって、彼らの前に立つ。立たされる。その時に得られるものは、計り知れないのだ。こうした機会を与えてくださった福岡御導師に心から感謝している。
仏教の原点ではないか。スリランカでご奉公していると、綺麗過ぎる日本式の法衣すら邪魔に思えてくる。汗だくのご奉公だから日本で言えば改良服の方が動きやすいが、既に現場では「改良」服でもない。もっと「改良」されていい。もっぱら、作務衣でのご奉公になってしまっている。今の法衣はセレモニー用でしかない。
では、日本の仏教は、やはりセレモニー用の宗教ではないか、と思ってしまう。日本で、ぬくぬくと暮らして、楽をしたい業界人が多い中で、本物の仏教者の道を歩めているかどうか。自分で確かめる試金石になっている。本門佛立宗の僧侶、教務。本当に素晴らしいと思う。教務であることを誇りに思う。そう思える。みんな、命を張って、人の為に動いてる。世間に人に、「そんなお坊さんがいるんだ」と知ってもらえたら嬉しい。
本門佛立宗のお寺は生きたお寺だ。死んだ人ではなく、いま生きてる人、死んだように生きてる人、生きながら苦しんでる人、そんな人たちを助けるのが本来の私たちの仕事だ。口で綺麗事なんて、いくらでも言える。でも、私たちは本当に動いている。全身全霊で、ご奉公させていただいている。多くの人に、「あぁ、本当に、いたんだ!そんなことをしてくれる人間が」と思ってもらいたい。他の人の為に、寝る間も惜しんで、命削って…。本当に、ありがたい!と思っていただけるように。本門佛立宗の菩薩方の、そういう姿に人は自然に手を合わしてくださると思う。もちろん、人に、ではない。御法さまに、である。「法は人によって弘まる」だから。
とにかく、明日からスリランカ。まだ、英語の御法門草稿を書かなければならないが。必死で、必死で、ご奉公させていただこう。
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