2011年9月1日木曜日

班長さん、ありがとうございます。平成23年9月1日

ありがとうございます。

妙深寺のご信者のみなさま、残暑厳しい八月も終わり、九月を迎えました。今月はお祖師さまの龍ノ口のご法難の日もあり、秋季総回向も御座います。いずれにしても御題目口唱の功徳を常にも増して実感し、精進させていただきましょう。

とにもかくにも、御題目口唱が基本です。開門口唱リレーも続いており、来る十日は神奈川布教区管内寺院が同時刻に口唱会を実施する予定です。神奈川県下を御題目で包み、震災の早期復興と原発事故の早期収束、子どもたちの明るい未来を願って、ご祈願させていただきましょう。

外に向かうお教化のご奉公も、弘通デーで妙深寺内にいるご信者方の信心を喚起、改良を促すお折伏のお助行ご奉公も、口唱の功徳によります。世間法に染まった人はみ仏の正しい教えを疎ましく、妬ましく、何でも逆さまに捉えてしまうようになります。これを「凡夫転倒(てんどう)」と言います。仏教で大切なことは「普遍性」ですが、多くが無常の人生には通用しない一過性のものや不完全なものを信奉して時間を費やして自他への被害を拡大してしまいます。

これを「口惜しい」と思ってお伝えするのですが、それでもなかなか伝わりません。「これが末法のご奉公の難しさである」とお祖師さまは如説修行抄で仰せです。

本仏法王の味方は少なく、世間法に染まった人は多い。ご奉公しようと思っても、苦難や困難は甚だしいのです。だからこそ、御題目口唱であり、御題目口唱で明らかな現証の御利益を顕すことが大切です。

 開導聖人の御指南を拝見します。

「口唱の秘訣。百遍は百遍の信心、千遍は千遍の信心也。 口唱怠れば罪滅の道ふさがりなん。 高祖曰く、声も惜しまず南無妙法蓮華経」開化要談(八)

「此の御経に云く、法師品、須臾聞之(しゅゆもんし)即得究竟(そくとくくきょう)とあれば、須臾(しばらく)もこれを聞けば、即ち菩提を成ずる、此れ御経の力なれば、一遍、二遍、乃至五遍、十遍と唱ふるに従ひ、もし病者を祈らば、祈りはじむるより其の病者の罪障消滅して、一遍二遍と漸々(ぜんぜん)に唱ふるに従い、苦悩をやすめて安楽に趣(おもむ)く道理顕然也。

もし唱ふるに、よくもならず、悪しくもならぬならば、御経むなしきに似たり。さることわり(理)あることなし。

玉をみがくにいまだ光見えずとも漸々(ぜんぜん)とすれば終に光を発するに至る。井を掘るに、はじめ水なけれども、泥土(でいど)にいたりて水の近きを知るがごとし。水迄の土の厚さには、高原あれば平地あり。罪障の厚薄なり。

されば、祈りてしるしなきは、受くる者の疑心の隔(へだ)つるなり。沓(くつ)をへだてて、かゆきを掻くが如し。病者かくの如し。我が身の罪障を祈らんにも一遍の題目もむなしからぬは、須臾聞之(しゅゆもんし)即得究竟(そくとくくきょう)の御文にて知られたり。

かくのごとく思い定めて、行住坐臥に自他をえらまず口唱すべし。大いなる願はおそくなるべし。されど、信行もし急なれば急に成就すべし。

ただし、弘通を忘れたる願ひは経の御意にあらず。されば、弘通の志だにあらば、口唱するに利益を受けむこと、決定なり。顕(あきらか)に利益を見んと思はん人も、罪障の滅するいとまを待つべし。中途にして怠ることなかれ」

どうか、罪障に負けず、疑心を抱かず、現証の御利益が溢れ出す時が必ず来ると確信して、御題目口唱に精進しましょう。

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