目まぐるしいご奉公で、顎が上がっています。
それでも、月末のラジオ出演、東京での会合、静岡でのご奉公、横浜の月始総講、京都でのテラコヤスコラと、何とか無事にご奉公出来ました。そして、今夜は、長松寺の御総講。
京都佛立ミュージアムへの来館者は、1月は518名、1日の最高来館人数は164名。2月は2日の公開講演会が83名、昨日の日曜日は42名。この週末の両日とも、ご信者さま以外の来館者の方が圧倒的に多いのが特徴です。
本当に、地道な広報活動のお陰です。2日のテラコヤスコラの日でもご信者さまは32名で、51名が一般の方々。昨日に至っては、ご信者さまは僅か8名で、一般の来館者が34名。有難いことです。
4月以降も、こうした流れを作ってゆくために、一般の方々にとっても見応えのある内容の展示を続けてゆきたいものです。叡智を結集しないと出来ないですね。これまで使っている言葉も、内容も、外に目を向けて、分かりやすく、面白く、楽しくしてゆかないと。
市川團十郎さんも亡くなられてしまいました。さみしい限りです。つくづく無常を感じます。
寒参詣も、開導聖人の御一代を振り返り拝見させていただいて参りました。後半になりますと、御法さまのため、ご弘通のために激動の御一生を過ごされた開導聖人にも、御晩年が近づいていると感じて、息苦しくなることがあります。
死なない者は一人もおりません。誰もが、どんな人であっても、どんな人生であっても、死を迎える。生涯を終える。
この結末が分かっているから、人生は輝くのか、それとも切なく、寂しいものなのか。
御教歌。
「信心をしてくらしたら人間も いきてかひあるけふの一日」
「甲斐」
「その行為に値するだけのしるし。また、それだけの値打ちや効果。」
「生き甲斐」
「生きるに値するだけの価値。生きていることの喜びや幸福感。」
「信心をしてくらしたら人間も いきてかひあるけふの一日」
冷たいようですが、生きて甲斐のある一日、一生と、生きている甲斐のない一日、一生というものがあります。冷酷です。でも、これが真理です。
命、一つ一つの価値に、差別はないでしょう。命ほど、尊いものはないです。
しかし、その生き方と、その他の生命との関わり方によって、甲斐のある命と、甲斐のない命、価値ある命と、価値のない命があると見るのが、時に冷酷、残酷な、「真理」というものだと思います。
他の命を傷つけて、壊して、殺していて、自分の命は尊い、価値がある、とは言えません。
ですから、自分だけが、生きている喜びを感じる、自分だけの幸福感、という意味ではありません。
もっと普遍的な意味、天から見て、宇宙から見て、御法さまから見て、「生きて甲斐のある一日」、自分にとっても「生きて甲斐のある一日」という意味を、教えてくださっているはずです。
「信心をしてくらしたら人間も いきてかひあるけふの一日」
信心とは、信心で教えていただく生き方とは、人間の可能性を追求した究極の生き方です。
「信心を ほんまにすると やめられぬ」
信行、ご奉公、菩薩行に精進しなさい、と教えてくださっている。誰もが無常の身の上ですが、それが人間の、本当の「生き甲斐」だと、教えてくださっている。
それが、仏教だと思います。これが、仏教です。
2013年2月4日月曜日
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