2013年2月28日木曜日

「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」

この前、近くの公園から見た夕方の光景。真っ赤な夕陽に照らされた雲が、富士山を取り囲んでいて、まるで裾野が燃えているようでした。怖いくらい、綺麗でした。

箱根で群発地震が起きていたり、富士山が噴火すると言われていたり、先日の大きな地震にも驚きました。明日から3月。東日本大震災から丸2年が過ぎようとしています。3月9日から陸前高田市に入らせていただきます。10日、11日と、現地でご回向の一座を奉修させていただきます。そこに、息子を連れてゆこうと思っています。10才の彼の目と心に、大震災に真っ正面から向き合う人々の姿やご奉公を、しっかり刻んでもらいたい。体験しないと分からないこともあるから。そこで、三陸の海や大地を見ながら、父親から息子へ、いろいろなことを伝えたいと思います。

一方で、この国は、東日本大震災から、何も学べていない、という気持ちが、胸の中に渦巻いています。「ハチドリのひとしずく」と言い聞かせても、余りにもそれぞれの欲の中で命の無駄遣いをしている人が多く、言葉で遊んだり、悠長なことばかり言っているような気がして、哀しくなるのです。

命に違いはない。でも、厳しい運命に晒されている人と、周囲に甘えているだけの人がいます。努力しなければ報われることはありません。原因を追求することは大切ですが、何よりも大切なのは、「だから、いまどうするか?」「では、今どう生きる?」ということです。

お祖師さまは、過去世を見れば自分は尊い人を殺害したことがあるかもしれない、と仰せです。自分が不幸に陥った時、その悪しき運命の因を知りたいと思う気持ちは分かります。しかし、知ったところで、どうすることも出来ないことが多いのです。

自分自身が、法を謗る行いをしてきたことや罪障を積み重ねていたことは容易に想像がつきます。どんなことがあるにせよ、あったにせよ、結局は、行動でしか運命は変えられないのです。行動でしか罪障は消滅できない、悪いカルマは善いカルマを作る以外に変わらない。

死んだら、ゆっくりリラックスできるはず。生きている間、息のある間は、善なることを為してゆくこと、しっかり行動してゆくことです。「あなたが幸せだから、私は幸せなんだよ」という価値観がインストールできたら、最高です。それこそ、本物の仏教です。

宮沢賢治が、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
という言葉を遺していると教えていただきました。涙が、出ます。彼の生まれた年には明治三陸地震と巨大津波、陸羽地震があり、亡くなる直前には昭和三陸大津波がありました。被災地の、あるいは東北の心を、彼は謳ってくれています。彼が気づかせてくれることが、たくさんあります。

「いよいよ3月だなー」と思いながら、そんなことを考えていました。

まだまだ、原稿を書き続けなければ、明日の朝まで寝れません(涙)。これも、読む人がいないと、虚しいものなんですよねー。みんな、きちんと読んでくれてるのかなー。役中テキストや妙深寺報。

でも、半分は、50年後の人たちに向けて書いているんです。僕も、貪るように、日博上人が発刊していた「一実」という新聞を読み返しました。50年後の僕が、です。そう思うと、功徳は、ご奉公は、火にも焼かれず、水にも漂わない、功徳は堅牢である、と信じることが出来ます。一夜城で、しかも砂上の楼閣なんて、嫌ですから、ご奉公は積み重ねるしかない。人生も、きっと同じです。苦労して得たものは、簡単に離れることはない。逆に、苦労せず手に入ったものは、簡単に出ていってしまう。

そうそう、「とんび」、いいですねー。日曜日に観れることは稀なので、火曜日の夜とか水曜日の夜、一人でこっそり観るのですが、ボロンボロンに泣いてます。もう、涙が止まらない。

お坊さんの関わり合い方も、反省というか、勉強になりますー。素直に、そう思います。それぞれ役割があると思うから一概には言えないけれど、自分自身、世界だの、地方だの、いろいろな所を飛び回るのもいいが、それはキチンと近隣の方との結びつきがあってこそですよね。そう思います。

原稿を書かないと。

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