スケジュールを振り返ると、何事もなくご奉公させていただけたことが、とてもありがたいです。
妙深寺に戻り、無事に朝のお給仕をさせていただけることが、ありがたいー。
ミュージアムの会議、長松寺のお総講、本山へのお参詣とお願い、清風寺さまの御会式、建國寺さまの御会式、本当に、一つひとつがかけがえのない、欠かせない、尊く大切なご奉公で、よくぞ体がもってくれたものだと、また有難く思うのです。
昨夜はクタクタなまま眠りました。
それでも、眠りは浅く、夢ばかり見ていました。
朝方、珍しく先住と会話していました。
夢の中に先住が出てこられるなんて、何年ぶりのことでしょう。
妙深寺の本堂の屋上に、二人して立っていました。
そして、そこで、新しい本堂について、先住に説明しているところでした。
現実世界で、新しい本堂のことなど、具体的な話は何一つないのですが、そんな夢。
僕は資料を探していて、その資料が、なぜか外にあって、ずさんな管理をしていることを恥じていて、これでは先住に申し訳ないと思っているのでした。
また、ウトウトすると、きっとイスラム国(ISIS)などが支配している地域だと思うのですが、そこで戦っていました。
ある庁舎が激しい攻撃を受けていて、みんなに声をかけながら、その場所を死守するという混乱の中にいました。
何人か知り合いも出てきて、傷ついたり、血を流していました。
庁舎が包囲され、もはや陥落するという段になって、援護を求めるために一人で屋上から脱出するということになり、砲弾が飛び交う中、非常階段をつたって下に降り始めました。
途中でハシゴが倒れたりしましたが、何とか下に降りました。
下に降りたのですが、もう周囲は敵の支配下に落ちていて、恐ろしい官憲が目を光らせています。
夢の中ではありますが、自由のない世界、常に自分の死が身近にある世界、常に監視され、勝手をすれば何が起こるか分からない恐怖を感じる不思議な夢。
スパイ映画のように周囲に気を配りながら道に出ると、もう何人かの敵側の兵士に見つかってしまったようでした。
そんな時、ある母娘に出会いました。
その母娘に助けを請い、夫婦、親子のフリをして、その場を離れました。
しかし、一人の男が気付いていて、後をつけてきていました。
そして、階段の上まで来たところで、呼び止められました。
そこで、目が覚めました。
なんか、涙が出そうになりました。
今も、戦火の中にある国や地域。
イスラム国が進撃を続けています。
死者や負傷者の数字では分からない、それぞれのかけがえのない人生があります。
夢でも、経験させてもらえて、よかった。
あの母娘、大丈夫かなー。
抱きしめた感覚まで残っていて、怖いくらい。
同じような、何の罪もない女性や子どもたちが、また暴力の真っ只中にポツンと置かれている。
イスラム国の、宗教の名の下に、武力によって理想の宗教国家を作ろうとする行為は、断じて許されるものではありません。
しかし、これまでの戦争、これまでの空白、これまでの暴力が、残念ながら彼らに一分の正当性を与えてしまっている。
彼らが盲信する正当性。
彼らが得ている求心力。
戦争は、正義と正義の戦いです。
それぞれが、それぞれの国の、それぞれの勢力の、正義のために戦う。
この恐ろしさ。
結局、それぞれにとって普遍性を持つ尊い思想や教えにたどり着かない限り、戦争は無くなりません。
朝からこんな話、面倒ですよね。
よくもまー、夢から、こんな風に書くなー。
すいません。
今は深く書けませんが、だからこそ、武力を用いない、教化という行為は、突き詰めれば究極の平和活動であると思います。
一人ひとりを、教化してゆかなければ。
武力などを用いずに、苦しみ悩む人たちに寄り添い、一天四海 皆帰妙法を実現してゆくことが、平和への道のりであり、仏教の目的、仏陀、お祖師さまの説かれたところだと思います。
イスラム国の進撃、エボラ出血熱のパンデミックを前に、なお仏教の原点を思います。
朝から。
朝から(汗)。
ごめんなさいー。
あの母娘に会いたいなー。
助けにいきたい。
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