4月の教区御講、たくさんのお参詣をいただき、ありがとうございました。
暮らしの中に、み仏の道をとりいれること、とっても大切です。
御講を尊び、御講を喜び、御講を守ってゆくことは、ご信心の要。
ここに、笑顔があふれて、涙も流れて、子どもから大人、お年を召した方まで、ご宝前を中心に、学び合えること、思いやれることが、ご本意に叶う御講、感動ある御講、目標とする御講です。
自分のお家に、御本尊さま、お戒壇をお迎えすることは、スーパースペシャルありがたいこと。
そこに想いを集めて、朝に、夕に、手を合わせて、日々を送り、過ごし、暮らすこと。
どこからどうみても、最高のメンタルヘルスに違いありません。
そして、そのご宝前を中心に、御講という法座を設けます。
御導師をお迎えして、御講師をお迎えして、お参詣者を募って、法苑を設けるということ。
今の世の中だと、親しい人を自宅に呼ぶハウスパーティーも珍しいのかもしれませんが、仏教数千年の歴史の中で、仏陀をお迎えして、法を説いていただいて、ご供養させていただくという行為は、連綿と続けられてきた基本中の基本の仏道修行なのですよね。
こうした尊さ、有難さを、受け継げないでいたら、大変です。
とってもさみしいこと。
喜びの中で、御講をさせていただくことが大切です。
開導聖人の御指南。
「歓んで参詣し、喜んで聴聞し、喜んで身を労し、供養をなし等、其の行者の志の厚薄にありて、其の財の多少によらず。唯御法の為に惜しまず、喜んですれば其の功徳、虚空に及び十方に周し」扇全十一巻三一五頁
「自ら喜び難き。これ罪障なり。居眠り、退屈、懈怠等、みな罪障なり。弘法の為に、身を動かし、心を用ふる事、喜ばれざる者、これ未除者也。この障りを除きて、喜んで説き、喜んで聞き、喜んで口唱読誦する者、喜んで法筵を設け、喜んで供養し、喜んで人を誘引して参詣し、喜んで供養を受けする者、法華経の持者、弟子檀那の菩薩なり」(勤行の度 常に忘れざる事・扇全十五巻四一五頁)
本当に、ありがたい。
法光師、立耕師、清行師も、デビュー。
昨日の午後、最終のお席は、次から次へといいお話が続きましたね。
今月も、ありがたかったです。
ありがとうございます。
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