夜明け前に起きて車で出発。
朝から島崎藤村の『夜明け前』の名文を思い出しました。
「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
纐纈さんが手づくりのお弁当を作ってくださっていました。
何から何まで有難いです。
木曽路を下って名古屋駅に出て、京都駅で現薫師にひろってもらい、予定どおり本山へ到着。
開導聖人のご銅像のご到着をお待ちしました。
厚い毛布に包まれたご銅像が到着し、クレーン車で設置作業が始まりました。
お顔の白布が取られただけで、その荘厳さに思わず感激の声が出てしまうほど、見事なご修復。
新しい銅像になるかもしれないと聞いた時は愕然としたのですが、本当にご修復という方向になってよかったです。
佛立開導日扇聖人のご銅像。
偶像崇拝ではありませんが、ご生誕200年慶讃のご修復によって、大正年間の建設から昭和、戦争での拠出、戦後の再建、そして今回と、佛立教講がどれだけ開導聖人をお敬いしてきたか、一筋の歴史が明らかになり、意義のあるご奉公となりました。
開導聖人のご銅像までが戦争のために拠出されることを聞いた長松品尾おばあちゃまは、
「そんなことをしたら絶対戦争に負ける。」
と大反対したと聞いています。誰もが畏れたという長松品尾は昭和20年3月1日に帰寂しました。
幕末 維新の仏教改革者、長松清風、佛立開導日扇聖人のご銅像のお帰りに、ご奉公者一同心から感動しました。
「少し痩せはったんちゃうやろか?」
「いや、お身体は太らはったんちゃうか?」
「ポスターのお顔やわ。」
「ほんまにご威光で光ったはるわ。」
全国から本山慶讃法要にお参詣いただく皆さまに、お喜びいただけると思います。
9月27日の夜、本門佛立宗として慶讃ご奉公の大きな節目となる除幕式が行われる予定です。
ありがとうございました。
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