2016年9月21日水曜日

菩提親、金吾さん

鈴木金吾さんを菩提親として、私は得度をさせていただきました。

その金吾さんが、9月16日に行年88才で帰寂されました。

ご奉公の功績を挙げれば数え切れません。

戦時中は予科練で鍛えられ、出陣を目前に敗戦を迎えました。終戦間際、飛行場がグラマンの攻撃を受けて、銃弾で戦友の首が飛んだのを見たとお聞きしたことがあります。

終戦後は横浜市に勤務されて永く市政に貢献し、教育委員会の委員、横浜市港北図書館の館長などを歴任されました。特に館長だった時には横浜の知られざる郷土史について研究を重ね、著書にまとめられました。

特筆すべきは信行ご奉公に於ける功績でした。結婚後、歯の治療中に麻酔薬が身体に残留し、震えと痺れが止まらなくなり、治療をしても癒えることなく長く苦しんでおられたとのこと。その際、ご信心を勧めていただいて、妙深寺にお参詣するようになられました。

教化親は横浜市の上司でもあった原正雄さん。言われたとおりに御題目をお唱えする中、すぐにあれほど苦しんでいた病痛が完治しました。この現証の御利益をもって、この時からご夫婦でご信心ご奉公に励まれるようになったそうです。

勤勉実直、素直正直な姿を見て、日博上人も大変な信任を寄せ、すぐにお寺の大切な役務を担われるようになりました。

そして、先住松風院日爽上人の時代になります。「先住の陰に金吾さんあり」と言ってもいいほど、妙深寺でも、長松寺でも、宗門でも、公私にわたって、強い絆でご奉公に当たられていました。先住の偉大なご奉公をずっと支えておられました。

そして、妙深寺の第八代事務局長として、先住の最晩年と、ご遷化、新住職の就任という困難な時期に、ご奉公いただきました。

私は、金吾さんを菩提親として得度させていただきました。先住が選んでくださいました。

最初に、ご信者さまのお宅で緊張しながら言上させていただいたのも、金吾さんのお宅のご宝前でした。12才、お中元やお歳暮のご挨拶に伺い、緊張しながら覚えたての言上をさせていただきました。

いろいろなことがありました。あり過ぎました。今はただ、ご恩だけを感じています。

むちゃくちゃな不良の時代もあり、ご心配やご迷惑をおかけしました。それでも、あきらめず、見守ってくださっていました。

成人式。記念写真がありますが、成人式の直前に苗場で大乱闘をしてしまいました。相手は大人数でボロ負けし、救急車で病院に運ばれました。

目の上を何針も縫って、顔も腫れたままの、成人式でした。

バカですね。

しかし、先住と、母と、お祖母さま、そして菩提親の金吾さんと記念写真を撮りました。ずっと書斎に飾っています。

いろいろなことがありました(涙)。そう考えていたら、お見送りのご奉公で、涙が出て止まらなくなりました。

息子のような気持ちから、ヘソを曲げたり、辛辣に話し合いをしました。

最晩年、この前のお餅つきの日、二人きりでゆっくりと食事して、語り合いましょうと約束していました。

いよいよ、先住の御17回忌だから、と。

あの、青山の、伊藤忠商事本社の2階まで、先住と一緒に引き戻しに来てくれたのも、金吾さんでした(涙)。

大学で教育学を学んだのも、本を出版したのも、いま館長をしているのも、菩提親である金吾さんのDNAの1分をいただいているのかもしれません。

如風院法勲清響日金居士。

語りつくせぬ気持ちがあります。

しかし、男子たるもの、これからの生き様でしか表せないので、「さすが俺の〜」と言われるような、ご本意にかなった生き方、ご奉公をさせていただきます。

金吾さん、本当にありがとうございました。

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