3月9日 月曜日。今朝も無事に「横浜ラグーン」の放送が出来ました。
3月11日を前に、東日本大震災を振り返り、お話をさせていただきました。
次々と原子力発電所が爆発してゆく中、神奈川警察署で通行許可をもらい、マグマスパの小泉代表から放射能測定器を借りて、封鎖された東北道を北上しました。
「世界の終わりかもしれない」
制御不能に陥った原発。そこで働く方々、そこに向かう方々に、手を合わせ、底知れぬ恐怖を感じながら被災地にたどり着きました。
あれから、9年です。
今の危機を思うと、この9年間は私たちに与えられた猶予期間だったのかもしれません。
あの日から、僕たちは何を学んで、何をしてきたか。
エモーショナルな話ではなく、どういう国、どういう社会で、どういう生き方をしてきたか。
やっぱり、経済優先で、臭いものには蓋をして、都合のわるいものは隠しながら、損得勘定をしながら、生きてきてしまったのではないか。
グリーンウォッシュ。ボランティアウォッシュ。結局エゴ、利益、欲得という。
未だ制御棒はただの一本も取り出せず、汚染水は出続けているのに、世界に向かって「アンダーコントロール」と豪語して引き寄せた五輪。
「復興五輪」というアドバルーン。そして今や開催危機にある日本。これからの経済的な大損失。
重ね合わせるだけで、天からの大きなサインを感じますが、どうなのでしょうか。
9年間の猶予期間は、あっという間に過ぎてしまった。僕たちは変われたか。それは被災地の方々の話ではなく、全く別の地域に暮らす、私たち全員の問題でした。
激甚災害が相次ぎ、東日本だけではなく、あらゆる地域で、何度も何度も「あり方」を問われるようなことが続いていたから。
私にとっての東日本大震災は陸前高田の佐々木松男さんからいただいたお手紙が一つの基点です。絶対に忘れてはならない宝物だと思っています。
今日、ラジオでその一節をご紹介しましたが、ここに全文を掲載させていただきます。
本当に、ここに書かれていることから、私たちは何を受け止め、どう生き直すかを考えなければならないと思います。9年間では出来なかった、足りなかったとしても。
今回の新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、五輪の延期や中止どころか、世界経済の大崩壊にならないように願います。
こうした事態を待っていた方もたくさんいました。悪魔的な考えですが、世界経済はコントロールできないほど膨張していたのです。着地点を探していると言った。経済破綻は想定内だと。
とにかく、佐々木松男さんが書いてくださっているように、震災前とは違う、「別の考え方や生き方」とは何か。私たちは問われていました。
いま、再び考えるべきだと思います。
『陸前高田からの手紙』
私の町、陸前高田市は、今回の東日本大震災により壊滅的な被害を受けました。
大地震の後、高さ7、8mの津波に襲われ、命からがら役所の屋上に逃げました。津波は、だんだんその高さを増して、何度も退いては襲うことを繰り返しました。屋上にも波しぶきをあげて瓦礫が打ち上げられ、「ここまで」と観念しましたが、一命はとりとめることができました。
翌日、高台にある避難所に自力で脱出しました。家も会社も車も、全財産を流され、私の避難所生活が始まりました。町の全てが消え、行政も機能を果たせなくなり、高台にあった老人ホーム高寿園には500名もの避難民であふれました。当初、全体の避難民は5000名以上いたと思われます。老人ホームの職員らは、近隣の農家から米を分けてもらい、朝夕2食を水分をたっぷり含ませたお粥で避難者に食べさせてくれました。
1ヵ月くらいはお粥、おにぎり、パン、カップ麺で朝夕2食で過ごしました。そのうち全国から救援物資や炊き出しが来るようになりました。
中でも4月29日の妙深寺さまをはじめとした大掛かりな炊き出しがあり、大変驚きました。ご住職自ら先頭に立ち汗して働いているお姿に接し、本当に有り難く、涙が出てしまいました。何しろお肉やお魚など、震災後初めての食材で大バーベキュー大会が開かれたのですから、避難の方々も大喜びでした。
そして、6月3日の炊き出しには近隣の避難所からも多数の方々が訪れ大感激でした。その他にも開運寺の秋山現信ご住職をはじめ、皆さまには何度も陸前高田に足を運ばれて、心暖まる物資をたくさんいただきました。本当に感謝申し上げます。
今回の震災で妻を亡くし、悲しみに沈んでいた私には、皆さまのご奉仕に、どんなに勇気を戴いたことか言葉に表すことができません。また、寺報を拝見させていただき、5月号の表紙に当地の桜を掲載していただいたのも嬉しく思いました。
不思議な事に、震災で何もかもなくしましたが、海や自然に憤りを感ずることはありません。
今まで自分の土地、家、会社と思って暮らしていたのですが、そんなことは人間が勝手気ままに決めていたことで、実は地球の借りものであり、そこで生かされていたんだなと思うようになっていました。震災前の生き方とは違って、何か別の考え方や生き方が芽生えはじめているのを感じております。
妙深寺の皆様には感謝感謝です。心よりお礼を申し上げます。そして、この度いろいろお付き合いさせていただいたご縁を大切にしながら、前向きに歩みだそうと思います。
今後とも宜しくお付き合いいただければ幸甚でございます。机もなく携帯のメールで失礼とは存じましたが、お礼を申し上げたく送信させていただきました。まとまりのない文面、どうかご容赦ください。
陸前高田市「高寿園」方
佐々木松男 (会社役員 61才)
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