2020年11月17日火曜日

5年目の11月16日





































旭が亡くなってから、5年。


20151116日。


あの日ー。


カトマンズの空港に着き、僕はスリランカから来た良潤師と合流し、村から迎えに来てくれた立耕師とビノッドと一緒にスワヤンブナートへ寄り、その後ディペッシュのお父さんが経営するお店に立ち寄った。


野崎さんも黒崎さんも旭も支援活動に加わってくれている。早く現場に向かいたかった。けれど、言われるがままカトマンズで昼食を取った。


昼食後、電話が鳴り、旭がケガをした。足をケガしたと。これからカトマンズへ向かうと。


雑然とする道路。対向車線から来た1台の車を見た瞬間、旭が乗っていると直感した。


そのとおり、その車は右折し、私たちは続いて左折した。病院だった。あり得ないタイミングだった。


車を飛び降り、駐車場を走った。ドアを開け、グッタリした旭を抱きしめた。


ストレッチャーに乗せ、救命救急の部屋まで旭を運んだ。力なく、ぐったりした旭の身体から洋服を切り取った。


しかし、いったん外に出るよう促され、待合室へ。床に膝をつき、ドアノブに懐中御本尊をお掛けし、御題目をお唱えした。何がなんだか分からないけれど、助けてください。どうか旭を助けてください。


ほんの数分後、中に入るように呼ばれた。そして、もう治療できる段階ではないことを告げられた。すでに亡くなっていると告げられた。


冗談じゃない。そんなことはない。何か出来ることがあるはずだ。先生、頼みます。なんとかしてください。やってください。出来るでしょう。頼みます。


そう喰らい付いたが、医師は静かに立っているだけだった。と思う。


ここから、心と身体が離れたような感覚、力が全て抜けた。


旭、どうしてだ。あんなに一緒に海外でご奉公したいと言っていたのに。今日からできるのに。なんでだ。


旭を抱きしめ、旭に話しかけた。当然だが旭は答えなかった。


時間が経ち、一人で表に出た。空を見なければならない。


責任を果たさなければならない。この到底受け入れられない現実を受け止め、旭のため、ご家族のため、たくさんの方のために、行動しなければならない。


空を見上げて、一人でブツブツと話、御題目をお唱えし、またブツブツと話、また御題目をお唱えした。


そして、青森に電話をかけた。小原ご住職の奥さまが出てくださった。


智美奥さまの声が、今でも耳の奥でこだまする。その時に見上げていた空も、目に焼き付いている。


旭はいつも一緒にいる。海外弘通の永遠の歴史に名を刻み、速やかに生まれ変わりまた私たちの輪の中に加わるはずだ。


今年も1116日が過ぎた。


来年は旭の七回忌。万難を廃してネパールへ向かい、七回忌のセレモニーを奉修したいと考えています。

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