以下、10年前に出版した拙著『仏教徒 坂本龍馬』で維新後の要人の葬儀について触れた部分を抜粋します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『明治人のお葬式』(此経啓助著・現代書館・二〇〇一)には、詳しく有力者たちの葬儀の模様や経緯、背景が書かれている。その中から一つ例をとってみると、山内容堂は、明治五年(一八七二)六月二十一日に没した。その一週間後、先に挙げた「自葬の禁止」なる太政官布告が出された。明治政府は「神葬祭」を神道国教化政策の大きな柱としており、明治の世の人々に受け容れられるように体裁を整えなければならなかった。山内家は先祖代々仏式の葬儀を行ってきたが、この容堂に至って初めて神葬祭で盛大に行った。
明治十一年(一八七八)五月十四日、大久保利通が暗殺された。その葬儀は明治政府の威信をかけた大葬儀となった。大久保の喪主を勤めたのは平山省斎という当時権大教正の神職の者だった。彼は元幕臣で外国奉行などを務めたが、維新後蟄居した後に神道家となり、日枝神社、氷川神社の宮司となり、最終的には明治の神道界で最高位となる大教正となった。後に神道十三派の一つ神道大成教の初代管長となっている。神道界の重鎮が大久保の喪主を勤めたが、逆を返せば大久保に近い神職者であったから明治神道界の重鎮になれたとも言えるだろう。
大久保の葬式は、明治五年に神葬式専用の埋葬地として設けられた日本最初の公営墓地である青山墓地に於いて行われた。この青山墓地の仮神殿に於いて神葬式の葬儀が行われた。出棺前に招魂祭を行い、皇族や大臣、各国の公使など錚々たる参列者が集まって拝礼し、出棺されたという。
岩倉具視は明治十六年(一八八三)七月二十日に食道癌で没した。彼の葬儀は日本最初の国葬で、国費を以て国主催の下に行われた。葬儀費用は三万円、現代に換算すれば二億円に上る。その葬儀は当然のこととして神葬式で行われた。
喪主には出雲国造千家家の当主で、東京府知事や司法大臣も務めた千家尊福が就いた。前年、政府は神官の教導職の兼務を廃し、葬儀に関与しないこととした。同時に神社神道を公認し、この神道系諸教団によって葬儀に関与できる仕組みが出来ていた。この頃、神道界の内部では伊勢派と出雲派による対立がくすぶっており、それはある意味で本居宣長と平田篤胤の記紀解釈の相違点という延長線上にあった。この出雲大社の系譜は、岩倉らしく平田篤胤の説くところに近い。
明治十八年二月七日、岩崎弥太郎は没した。岩崎の葬儀は、明治の豪商らしく国葬のこれを上回る派手なものであった。葬儀執行のために雇った人足が七万人というから桁外れである。葬儀は神式。副斎主は本居宣長の曾孫に当たり、やはり後に大教主となる本居豊穎。明治の大成功者らしく、葬儀費用こそ一万円だったが、会葬者用の料理や菓子は六万人分、外国人用の料理は精養軒に三百人分を発注した。その石棺は豪華な伊豆石で造られていた。
伊藤博文は、岩倉具視、島津久光、三条実美、島津忠義、有栖川宮熾仁親王、毛利元徳、北白川宮能久親王に続く八人目の国葬として神式で葬儀が行われている。喪主は千家尊弘が勤め、三十万人の大群衆が見守った。
明治十年五月二十六日に没した桂小五郎こと木戸孝允は、神葬祭の盛んな中で敢えて仏式での葬儀を遺言し、事実そのとおりに執行された。木戸家は西本願寺の門徒として知られており、島地黙雷らが木戸に接近し、神道国教化政策への抵抗に協力したと言われている。葬儀の導師は西本願寺の門主、大教正大谷光尊が勤め、島地黙雷、大洲鉄然、赤松連城らが続いた。その葬列は質素だったが会葬者が多く、高台寺の前庭に仮屋をいくつも立てて執り行ったという。遺体は東山の墓所に運ばれた。
勝海舟は、明治三十二年(一八九九)一月十九日に没した。「大観院殿海舟日安大居士」という法号がついている。勝の遺骨は、故人の生前の申しつけとおり、別邸のあった洗足池の墓に収められた。「洗足池」という名称は、最晩年の日蓮が入滅直前にこの池の畔で足を洗ったという言い伝えに由来する。
「コレデオシマイ」
勝は最期に臨んでこの言葉を遺した。この言葉は、何より勝らしく法華経の信者らしい。なぜなら、法華経の信者とは、この娑婆世界での一生を修行と思い、この度の死を以て今回の修行は終わるが、また娑婆に戻って修行を重ねるという教えがあるからだ。未練もなにもない。
勝海舟は、伝統的な仏教式の葬儀を当たり前に行ったという。ただ、それだけであった。日蓮宗の小出海寿師とも小出日健師とも伝わる勝家に縁のある名も知られていない僧侶が導師を勤めた。喪主は、慶喜の十男で、勝の長男小鹿が亡くなった後に養子に迎えた十一才の少年であった。慶喜はこの養子話を聞いて、「勝は自分を恨んでいると思っていたのに、それほど自分のことを思ってくれていたのか」と喜んだという。徹頭徹尾、仏教徒・勝海舟らしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この後、龍馬の葬儀の詳細ついて書いています。
0 件のコメント:
コメントを投稿