2015年8月2日日曜日

御教歌「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」 終戦70年 開導会 御法門


御教歌 平成二十七年六月 妙深寺 開導会 併せて終戦70年慰霊法要 「いま、平和を考える」
かつも妙まけるも妙のいくさして
ころしたものもまたしぬる妙
てこのかたま・扇全十五巻一四一頁
佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌でございます。

開導会にあわせ、終戦70年慰霊法要を奉修させていただきました。雨が待ってくれているような天候ですが、大変大荒れの天気という予報も出ていた中、雨も降らずに奉修でき、ありがたく思っております。お参詣ありがとうございます。

今回の開導会も、妙深寺の企画チームが一生懸命考えてくれて、これからの未来のため、子どもたちのために、70年前の戦争をしっかりと思い返して、そこから何かを学んで新しい一歩を踏み出そうと、プログラムを作ってくれました。皆さまも、色々なことを見て、感じていただけたと思います。

昨日もご近所の方にも声をかけて、法要を勤めさせていただきました。昨日のお話は、法話という形で、一般の方にも分かるようにとお話をさせていただきましたが、今日は、妙深寺のご信者さんを対象に、ご信者さんだからこそ、この点は分かっていただきたいと、開導聖人の御教歌をいただきまして、御法門を説かせていただきたいと思います。

先ほどの当時の思い出を語っていただいた大先輩のお話を聞いても、誰も戦争なんて望んでいませんし、絶対に戦争を繰り返してはいけない、そう語ってくださっています。

しかし、終戦70年という今年、みんなで平和を考え祈るべき年であるのに、年が明けてすぐに中東でイスラム過激派組織の兵士が日本人の首を切り落とし、あるいは、シリアでの内戦は激化し、ロシアとウクライナの戦争、中国も不気味に軍備を増強している。そして日本でも、憲法の解釈を変更して、集団的自衛権の行使容認という方向に進んでいます。

東日本大震災で、私たちは一生懸命支援活動もさせていただいてきましたが、天災は恐ろしいと言っても、それ以上に恐ろしいのが戦争です。千年に一度の規模と言われた、あの東日本大震災で亡くなられた方は約2万人。ところが、横浜大空襲で1万人、東京大空襲では10万人の方が、人間の手によって、一度に殺されてしまった。恐ろしいとしか言いようがありません。

それでは御教歌を拝見させていただきます。

《御教歌》
かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙

佛立開導日扇聖人お示しの御教歌でございます。

何を言っているのか、当たり前じゃないかと思う方もおられるかもしれませんが、仏教徒として、佛立信者として、もう一つ上の視点、もう一歩深い真理をお教えくださる。

もう一歩高く、もう一歩深く、人間の本性とか、人間の業、性、欲望、愚かさ、怒りというものを見つめなければ、戦争は繰り返されます。決して終わらない、平和は守れるわけがない。

佛立仏教徒である日本人として、正しく歴史を振り返り、それらを受け止め、この国のため、あるいはこの世界のため、未来のため、子どもたちのために、正法興隆、世界平和のための、ご信心、ご弘通ご奉公に精進いたしましょうと、お教えくださる御教歌です。

この御教歌をお詠みくださった、佛立開導日扇聖人のすごさ、尊さ。同時に、こうした教えを頂戴している、私たち本門佛立宗の、ありがたさ。それだけではなく、果たすべき大きな使命があることを学ばせていただきたい。

この御教歌は長松寺に現存するもので、次回の京都佛立ミュージアムの「戦争と平和と仏教展」でも展示させていただこうと思っています。

この御教歌には御題が書き添えられてあります。

「東山霊山に石のしるし建たる戦死の武者弔ひのうたよめと人のいひければ」

何のことを言っておられるか、その当時の時代背景と、その歴史をあわせて見てゆくと、今日の「終戦七〇年慰霊法要」「いま、平和を考える」ということに直結して、大変意味深く、大切な御教歌であることが分かるのです。

これは、靖国神社の前身、東京招魂社、そのさらに前身である京都招魂社が今度建てられることになったので、そのことについて、一首詠んでくれと言われたものである、という意味です。当時、開導聖人は、京都でも名だたる歌人でしたので、そういう依頼があった。そうして詠まれたのがこの御教歌。

「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」

幕末・明治維新の頃、日本の行く末を案じて立ち上がった志士たちが大勢いた。各藩では、そうして亡くなった志士たちを弔うために、「招魂場」というものを作っていました。

日本で一番古いと言われているのが、高杉晋作が奇兵隊の戦死者のために建てた山口県下関の桜山招魂場です。こうしたものが、各藩ごとに作られた。

そして、明治維新直後、鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争が起こり、多くの戦死者が出ました。その戦没者たちを、国として弔う、祀る、顕彰するために政府が考えたのが、まず、京都の東山、今の八坂神社の東の奥の方に建てようとされた「京都招魂社」でした。

明治元年五月十日に太政官布告が2つ発布されました。

「癸丑(きちゅう)以来(嘉永6年(1853年)6月3日、浦賀への黒船来港以来)、唱義(義を唱え)精忠(忠義に精を出し)、国事に斃(たお)るゝ者の霊魂を慰(い)し東山に祠宇(しう)を設けて之を合祀せしむ」

「東山に一社を建て当春伏見戦争以来戦死者の霊魂を祭祀せしむ」

そうして、京都に招魂社が建てられた。そして開導聖人が詠まれたのがこの御教歌。

「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」

勝った負けたで殺しあうことは悲惨そのものだ。仮に勝っても迷いの亡霊で、殺した者もただ死んでゆく運命にあるじゃないか。

靖国神社の前身に対して、あるいは戦死した武者、兵士に対して、何とも意味深い御教歌を詠まれています。

京都は、「蛤御門の変」で、長州藩が放った火で丸焼けになりました。勤王の公卿や長州藩は「都落ち」しました。

しかし、薩摩と長州が同盟を結び、江戸幕府が大政を奉還したことによって形成は完全に逆転しました。

当時から、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われたように、戦争は、正義と正義の戦いで、どちらも言い分があり、どちらにも正当な理由がありました。後に、「王政復古のクーデター」と言われたように、幼い天皇陛下ですら利用されていた節があり、だから「勝てば官軍、負ければ賊軍」という、どちらが正当な軍か、天皇陛下のお付きになっている官軍か、分からなかったのです。

開導聖人は、京都の中心でその混乱を見ておられた。

新しく誕生した明治新政府は、策略をめぐらし、用意周到に仕掛けて、ついに鳥羽伏見の戦争が始まってしまった。幕府軍が約8千6百人、政府軍が4千人から5千人、合計1万4千人(「幕末維新全殉難者名鑑」による)という方々が亡くなりました。これは後に、太平洋戦争も全く同じ構図で開戦に至ることが分かります。

しかし、招魂社は政府軍が創建したものですから、当然、官軍側の亡くなった方しか祀られていません。賊軍側の戦死者は祀られていないのです。

戊辰戦争で、政府軍の中枢として活躍した江藤新平も、西南戦争をひき起こした西郷隆盛も、当然「賊軍」ですから、招魂社には祀られてはいません。

明治十二年六月四日、「東京招魂社」は「靖国神社」という名前に改称され、地方の招魂社は京都招魂社も含めて「護国神社」という名前になりました。

戦争というのは「正義」と「正義」の戦いです。どちらにも、正当な理由がある。実際に、平和のための戦争もある。戦争を否定するための戦争がある。これを日博上人は「真実の矛盾」と言っておられます。

西南戦争の後、対外戦争の時代がはじまり、靖国神社は官軍と賊軍という色彩を弱め、「日本国のために命を捧げた方、英霊のための社」として位置づけられました。靖国神社は軍が管轄し、戦死者を祀りました。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争と、総計約247万人に上る英霊が祀られているのが現在の靖国神社ですが、「英霊=靖国神社」でないことをしっかりと肝に銘じなければなりません。

それぞれの戦争で、本門佛立宗のご信者さまも、あるいはお教務さんも、たくさんたくさん出征していかれました。妙深寺の霊簿の中にも、法号の中に、殉国院、殉州院、純忠院、本国院、盡国院、北満院、興亜院、南溟(なんめい)院、南島院、比島院、忠烈、忠義、忠良、義勇、盡忠、と付けられた先輩教務さんの法号が刻まれています。こうした方々も、当然、本門佛立宗のお教務さんですから、靖国神社に帰ることはない、御本尊の中、御宝前の中に帰ります。

妙深寺の初代日博上人は、サイパン島でご弘通ご奉公をされました。その後を乗泉寺の御講師だった世戸応眼師という方が受け継ぎ、立派に御本尊も奉安してサイパンにお寺を建てておられました。開筵式を開く直前に、サイパン島は玉砕。事前に難を察した応眼師がご奉公に来ていた奥さまやお母さま、お子さんに御尊像をお供させましたが、ご自身はそのまま玉砕された。

昭和十九年七月八日、二十五才。南溟院忠烈応眼法師。

靖国神社は、日本古来の神道とは異なる、異質の神社です。

そもそも、日本古来の神道も、それを支えた仏教も、開導聖人がこの御教歌に詠まれているように、死んでしまえば敵も味方もない、神仏として祀って供養する信仰があった。それが日本、それが神道、それが仏教でした。

それらを超越して、明治国家が作り上げた神社が靖国神社で、敵味方を選別して、敵側の死者を一切排除して、味方側の戦死者だけを祀るというものになっている。

ですから、開導聖人は、「敵・味方」「勝者・敗者」ではない視点で、戦争と平和、なすべきこと、果たすべきことについて考えられるように、このような御教歌をお残しくださっているのです。

「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」

本門佛立宗のご信者さんであるならば、もう一歩高く、もう一歩深く、人間の本性、人間の業、欲望を見て、国ということ、国を守るということ、戦争ということを、考えて、平和のために行動をしていかなければならないのではないか。

こう言っていると、最近の風潮では、すぐに「自虐史観」…「自分の国を辱めている歴史観」だと言われたりするのかもしれませんが、戦争というものの実態、あるいは戦争の真相を見なければならないことは事実です。

太平洋戦争は、日本側で戦闘員約174万1千人、一般市民約39万3千人の犠牲者を出した、他に類を見ない、壊滅的な、恐ろしい戦争でした。

その太平洋戦争は、12月7日(日本では8日)、日本はパールハーバー、真珠湾を攻撃し、アメリカに宣戦布告しました。これを「奇襲攻撃」や「だまし討ち」と言われることがありますが、実際には違うことが明らかなっています。

真珠湾攻撃の12日前の11月25日、ホワイトハウスでは、ルーズベルト大統領やハル国務長官、陸海軍の首脳等が集まって

「アメリカに過大の危険を招かないように配慮しつつ、日本の方から攻撃せざるを得ないように仕向ける」
「The question was how we should maneuver them into the position of firing the first shot without allowing too much danger to ourselves.」

という合意が行われ、翌日有名な『ハル・ノート』を日本側に提出されました。

この「ハル・ノート」を読んだ東郷茂徳外相は、これを読んで、

「戦争になるボタンが押された」

と日記に書きました。

そして、先のホワイトハウスの会議にも参加していたスティムソン陸軍長官は、

「私は日本が真珠湾を奇襲したという最初のニュースが届いた時に、何よりも、まずほっとした。真珠湾における損害の報告が、刻々と入ってきて、急速に大きくなっていったにもかかわらず、私はそのあいだ中、深い満足感にひたった」

と書き遺しました。ひどいものです。

甚大な被害をもたらした戦争の、最初の一コマはこんなものだ。用意周到に画策され、外交交渉の延長線として戦争が始まる。

しかし、だからといって、アメリカはひどい国だ、日本は正義の戦争、アジア解放のために戦った、彼らは悪、我々は善。これも自虐史観と正反対にある「自己絶対肯定史観」だと思います。これもおかしいと開導聖人は教えてくださっている。

その先、その向こう側にある、奥にある、人間の業、愚かさ、恐ろしさを、思い返さなければ分からない。

このアメリカの策略も、明治新政府が幕府軍を挑発して戦争を仕掛けていった戊辰戦争と重なります。因果の道理、同じことをしてきたではないか。

広島の原爆で被曝された権大僧正伊田日雄上人は、

「戦争というものは、一度起こったら、どんなことをしてでも相手をやっつけてやるという気持ちになるから恐ろしいのだ」

とお話くださいました。だから戦争をしてはダメだ。大変に重いお言葉です。

先の大戦で、戦って亡くなられた英霊の方々、あるいは焼夷弾で、機銃掃射で、広島で、長崎で亡くなられた一般市民の方々、すべての戦没者の方々の、御霊よ、霊魂よ、諸精霊よ、どうか安らかなれ、妙法経力追善菩提、南無妙法蓮華経。

敵・味方の別なく、人間の本性、業を知って生きることが、本当の平和を守ることになる。ただ単純に「戦争反対」と言うだけでは、もはや戦争を止めることはできない。

原子力爆弾を落とした人間も、それによって殺された人間も、サイコロの面のように、縁が揃えば、菩薩にもなり、鬼にもなるということです。

立場が変われば、日本が原子力爆弾を作って、どこかに落としていたかも知れません。

「戦争というものは、一度起こったら、どんなことをしてでも相手をやっつけてやるという気持ちになるから恐ろしいのだ」

B-29操縦士の『空襲ノート』。日本人を悪魔と思っていた米国人の、日本の一般市民を虐殺すべく焼夷弾を落とそうとするB-29の操縦士たちの手記。

「眼下は日本の美しい緑だった。民家の屋根が陽に輝いて見えた。空地らしいところに白い点のようなものがたくさん走り回っている。何だろうと興味を持った。同乗員に調べてくれと頼んだ。彼は強力な望遠鏡で見ていたが、すっとんきょうな声で『あっ、少年たちがベースボールをやってる』と言った。それから重い沈黙が機内を支配した。誰もが口を固く結んだままひと言もしゃべらなかった」

狂気の中でおぞましいことをする人間に、フッと人間らしさがよみがえることがある。

お祖師さまは、

「無顧(むこ)の悪人、猶妻子を慈愛す」

とおっしゃった。

だからこそ私たちは、人間の心は、鬼にもなり、菩薩にもなる。その菩薩の面を育てられるように、日本中、世界中の人に、但行礼拝、「南無妙法蓮華経」とお唱えして、ご奉公させていただかなければならない。

今日は神社の話をしましたが、御題目の御本尊さまの中に「天照大神」がおられることをご存じでしょうか。

お祖師さまは鎌倉時代、私たちにお示しくださった御本尊で「南無妙法蓮華経」の右下あたりに「天照大神」、また左側には「八幡大菩薩」とも書かれ、御本尊の中に勧請されています。

天照大神は、天皇家の祖神で、日本民族の総氏神とされている。その方も、南無妙法蓮華経に帰依し、御本尊の中にお入りいただいています。もし、天照大神を拝むだけなら、ユダヤ教と変わらない。民族限定の宗教です。

神仏習合は、仏教の懐が深いからこそ、お入りいただける。これで、日本民族だけでなく、人類全ての人々が敬うことができる。個別に敬うなら、氏神同士で喧嘩して、民俗宗教が戦争をして、終わりません。

坂本龍馬は海援隊で出版した『閑愁録』の中で、

「仏法は天竺(インド)の仏法とのみ言べからず、乃(すなわち)皇國の仏法なり」

だからこそ、日本の守ってきた文化も、精神性も、天皇陛下のおわしますことも、天照大神も、普遍化する。国際化もするし、人類の希望と成り得る。

また、サン=テグジュペリは、こんな言葉も残しています。

「心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある」

私たち日本人は戦争に負けました。悲惨な敗北でした。しかし、それらを含めて、日本人にしか得られない、言えない、持てない戦争と平和に対する考え方、生き方があるはずだ。

今、時計の針を戻して、またなにかおかしな方向へ行こうとしている。

そうではなく、日本は、世界の希望だ。そして、仏教こそ、この世界の、本当の希望だということを、みんなでかみしめて、祈り、回向し、誓いながら、信行ご奉公に気張らせていただかなければならない。

宮沢賢治さんの言葉、

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

それが法華経の精神。

「一人が変われば世界が変わる」

本門佛立宗の教講は、戦争と平和についても、開導聖人から大変なヒントをいただいています。大果報者だと思って、そのありがたさを忘れず、その使命を果たそうと、努力しなければもったいない。

仏教徒として、佛立信者として、もう一歩高く、もう一歩深く、人間の本性、人間の業、欲望や怒りや愚かさを見つめなければ、平和は守れない。

どうか、佛立仏教徒である日本人として、正しく歴史を振り返り、それを受け止め、この国のため、この世界のため、未来のため、子どもたちのために、正法興隆、ご弘通ご奉公に精進しなければならないと、感得させていただく御教歌であります。

故に御教歌に。「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」

「いま、平和を考える」 長松清潤




平成27年度 妙深寺 開導会 併 終戦70年慰霊法要
「いま、平和を考える」
住職 長松清潤

本日は、終戦から70年という大切な節目に、妙深寺は、開導会にあわせて、特別な法要を勤めさせていただきました。お参詣いただきまして、ありがとうございます。

ドイツの哲学者・ヘーゲルは、
「我々が歴史を勉強すると、我々が歴史から学んでいないことが分かる」
と言っています。

第二次世界大戦当時、イギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルは、
「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」
と言っています。大変示唆に富んだ言葉だと思います。

さて、今も大勢の先輩からの戦争体験をお話しいただきましたが、こんな言葉に接するとき、私たちは、本当に70年前の戦争から学べているのか、不安にならないでしょうか?

私も大好きな『星の王子さま』を書いた、サン=テグジュペリという方が、こんな言葉を残しています。

「恐怖の描写をするだけであれば、われわれは正しく戦争に反対することにならない。生きることの喜びや無駄な死の非情さについて声高く述べるだけでも、同じように正しく戦争に反対することにはならない。数千年以来、母親の涙について語られて来た。だがその言葉も、息子が死ぬことを妨げ得ないことをしっかりと認めなければならない」

「お母さんが息子を失ってこんなに苦しんだんですよ」と言っても、それが歯止めにはならない。どれだけ恐ろしいものを見ても、恐ろしい体験を聞いても、本当のところ、私たちの心には届かず、戦争が無くなることはない、という言葉です。

いかがでしょうか?

戦後70年、私たちはこれまでも様々に学んできたはずですが、どれだけ心に刺さって、平和の大事を思えたでしょうか。

残念ながら、「平和」は、「戦争」からしか学べないと言われます。

私たちの宗派の広島のお寺に、伊田日雄上人という方がおられます。この方は、広島に原爆が投下されたとき、爆心から1・5キロの地点におられ、被曝をされました。

昨年8月6日、私はスリランカの青年たちと、広島の平和記念式典に出席をしました。その際、伊田御導師にもお話をお聞きすることができました。

御導師は、爆発の熱風で全身やけどを負い、頭と足からウジが湧いたとお話しくださいました。広島や長崎の場合、横浜や東京のような空襲の日だけの悲惨さや恐ろしさではなく、「被曝」ですから、放射能にさらされ、本当に長い間、ずっと苦しまなければならなかった。

そして、次のことをお話くださいました。

皆さん、戦争はなんでいけないんだと思いますか?伊田御導師は、こうおっしゃっています。

「戦争は、『どんなことをしてでも相手をやっつけてやる』という気持ちが起こってしまうから恐ろしいのだ」

そうですよね?絶対に勝たなければいけないし、自分の家族や子どもが殺されると思えば、相手を絶対にやっつけてやるという想いが起こってしまうものです。

それから、

「平和とは『絶対に守る』という努力がなければ守れない」

とおっしゃっていました。

さて、この写真をご覧ください。これは、アメリカの写真家、ジョー・オダネルという方が撮影したもので、そのご家族からお借りした写真です。実は来月7月7日から、京都佛立ミュージアムで「終戦70年特別展示『トランクの中の日本』~戦争、平和、そして仏教~」という展示会を開催するのですが、ジョー・オダネル氏は、終戦直後に従軍カメラマンとして来日され、焦土と化した日本、特に広島と長崎を撮影されました。『トランクの中の日本』というタイトルは、オダネル氏が、あの忌まわしい記憶を思い出したくない、ということで、43年間、トランクの中に、その写真のネガをしまっていたんです。ところが、40年以上がたっても相変わらず世界から戦争はなくならない。また、もしかしたら核戦争がまた起こるかもしれない、と思われ、覚悟をしてトランクを開けた。それが、後に小学館より出版された『トランクの中の日本』でした。

その中の一枚がこの写真で、長崎で撮影された一人の少年の写真です。

ジョー・オダネル氏は、この写真について、自分の気持ちを書き残しています。

「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで、見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。
私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?」

こういう言葉を寄せられています。

当然ながら、この撮影をしたオダネル氏も被曝しており、2007年に亡くならたのですが、それまで50回以上の手術を受けたと言います。そして、亡くなった日は、長崎に原爆が落とされ、この写真が撮られた8月9日でした。

オダネル氏は書き遺しています。

「爆心地が目の前に広がっていた。一瞬息が詰まった。地球に立っているとは信じられない。見渡すかぎり人々の営みの形跡はかき消され、瓦礫が地面をおおいつくしていた。私はたったひとりでここに立つ。まるで宇宙でたったひとりの生き残りであるかのように。徹底的に荒れ果てた地表には、鉄管や煉瓦が不気味な影を落としている。まわりの静けさが私を打ちのめした。私は体を失った彫像を見つめる。口はからからに乾き、眼には涙がにじむ。やっとの思いでつぶやいた。『神様、私たちはなんてひどいことをしてしまったのでしょう』」

ヘーゲルやチャーチル、サン=テクジュペリが言っているように、私たちは、やはりまた戦争を繰り返してしまうのでしょうか。

終戦70年の今年、みんなで平和を考え祈るべき年であるのに、年が明けてすぐに中東でイスラム過激派組織の兵士が日本人の首を切り落とし、あるいは、シリアでの内戦は激化し、ロシアとウクライナの戦争、中国も不気味に軍備を増強している。そして日本でも、憲法の解釈を変更して、集団的自衛権の行使容認という方向に進んでいます。

私は『仏教徒坂本龍馬』という本の中で、「憲法9条を守れば平和主義者で、靖国神社に参拝すれば愛国者だなんて冗談じゃない」と書きました。

「靖国に参拝したから愛国者で、憲法九条を擁護すれば平和主義者であるというのは、双方共に問題の矮小化である。そうしたことはこの国のために命を擲(なげう)った人々の霊魂に対する侮蔑であり、人間の本性に対する無知であり、平和や繁栄の軽視であると考える」

それぞれの立場や考え方の人があると思いますが、もっと徹底的に、人間の業、人間の本性、欲望の際限のなさ、人間の正体を見つめなければならない。

それを見つめられたのが「仏さま」。この世には「仏教」という希望がある。逆を言えば、「仏教しかない」のです。

戦争は、「正義」と「正義」の戦いですから。どんな悪人にも「正当な理由」があり、戦争には必ずその国の「大義」があります。

日博上人は『一実』の中で述べられています。

「『戦争を否定するが故にこの戦争が起こる』これが真実の矛盾であります」

戦争は、平和のために起こるものだという。

そして、靖国神社に参拝すれば愛国者だというのも私は間違いだと思います。

幕末維新の仏教改革者・佛立開導日扇聖人の、ある一首の御教歌が、京都長松寺に残されています。

それには題名が付けられており、

「東山霊山に石のしるし建たる戦死の武者弔ひのうたよめと人のいひければ」

とあります。京都、東山の霊山に、ある石碑を建てたい。それは、戊辰戦争で亡くなった方々を弔うためにということで、当時、京都で有名な歌人でもあった日扇聖人に、「歌を一首詠んでほしい」という依頼があった。

「東山の霊山」というのは何かというと、東京にある「靖国神社」の前身「東京招魂社」の、さらに前身の「京都招魂社」のことなんです。

この招魂社に対して、戦死した人のために歌を詠めと言われて、開導聖人が詠んだ歌が次のようなものです。

「かつも妙まけるも妙のいくさしてころしたものもまたしぬる妙」

この御教歌をいただいている本門佛立宗のご信者さんは、この国の近代史や世界史に対しても、本当に大切なことを教えていただいている。

敵、味方、あらゆる人々が、一人ひとり、家族の無事を、それぞれの神仏に祈りました。それぞれが正義を掲げ、戦った。しかし、「勝った勝った」言っている人間も、また死ぬ。

『ダンマパダ(法句経)』という、仏さまの古い経典に、次のような一節があります。

「すべてのものは暴力に脅えている。
すべてのものは死を恐れる。
己が身にひきくらべて、殺してはならない。
殺させてはならない。
すべてのものは暴力に脅えている。
すべての生きとし生けるものにとって命は愛しい。
己の身にひきくらべて、殺してはならない。殺させてはならない」

また、『スッタニパータ』という経典にある「慈しみ」と題された一節には、

「一切の生きとし生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、
悉く、長いものでも、大きいものでも、
中ぐらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」

これが、仏さまの祈りなのです。仏教なのです。

さらに、スリランカに伝わる、『慈悲の瞑想』では、次のような一句を唱え、祈ります。

「私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いが叶いますように
(中略)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いが叶いますように
(中略)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いが叶いますように
(中略)
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いが叶いますように
(中略)
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いが叶いますように
(後略)」

自分や周囲の人の幸せを祈り、かつ自分が嫌いな人、自分を嫌いな人のためにまで、祈る。これこそが仏教です。

私は、「この世界には仏教という希望がある」と言いたい。

宮沢賢治さんの言葉、

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(法華経化城喩品第七)

みんなが幸せになってほしい。

色々な主義主張はあるが、絶対に戦争を解決の手段としてはならない。

だから何をするか。やはり、正しい仏の教えを伝えていくしかないと私は確信をしています。そのために全身全霊、命をかけてご奉公をさせていただいています。

平和のために。

お祖師さまは、

「万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壌を砕かず、代は羲農の世と成て、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を御覧ぜよ。現世安穏の証文疑ひあるべからざる者也」

このお祖師さまの言葉を最後に紹介して、今日の法話とさせていただきます。

2015年8月1日土曜日

律子先生の寺ヨガー!

そして、今日は、月始総講に引き続いて、律子先生による第一回の「寺ヨガ」。

瓜生家の2才のお姫さまから、妙深寺の看板娘、90才の篠行子さんまで、本堂にいっぱいのご参加をいただきました。

Facebookを見て、律子さんってまだハワイにいるんじゃないのー?と心配してたんですー(笑)。

朝、恐る恐るメッセージを送ったら、キッチリと日本に帰っておられました。

よかったー(笑)。

初心者の方、お年を召した方も多い今日のレッスン。

インストラクションするのは難しいだろうなーと思っていたのですが、参加者全員、大感激の1時間となりました。

結構しっかりしたポーズもありましたよー。

全員で身体を動かすこと。

みんなが笑顔になって。

律子先生のお友だちをはじめ、ご近所の方も大阪から来てくださった方までいて、本当にありがたかったです。

最後は、いつもインシーでさせていただいているように、私からお話をさせていただき、法華経のマントラ、上行所伝の御題目をお唱えさせていただきました。

寺ヨガ、これからの可能性を感じました。

律子先生には、本当にお忙しい中、真夏の週末の土曜日にお時間をいただいて、本当に申し訳なく、有難かったです。

本当に、感謝(涙)。

律子さんにスタートしていただいた寺ヨガ。

来週もテラコヤステイで体験していただくことができます。

ありがたいなー。

ありがとうございますー。

ブルームーンのムーンリバー

おついたち、おめでとうございますー。

それにしても、暑いですねー。

水分補給をたっぷりと行って、乗り切っていただきたいです。

瞬く間に、時間が過ぎてゆきますねー。

ブルームーンの31日、午前中は兼子清顕師と悦子さんの長女、「凛」ちゃんの、満月御礼お初参りをさせていただきました!

かっわいい女の子ー!

妙深寺のお姫さまとして育てます(笑)。

ブルームーンの輝く夜は、20時30分からインシー用賀店を会場に、佳世子先生とレッスンをさせていただきました。

しっかりとしたインストラクションの中から佳世子先生の繊細な感性が伝わってきます。

汗と一緒に、身体の隅々から老廃物が出てゆくのを感じました。

完全に開いていただいてから交代し、お話と無始已来の詠唱から始めさせていただきました。

ニューヨークの初日から風邪をひいていて、思うように声が出なくて申し訳なかったです。

プロとして反省。

お坊さんも反省。

いつもながら、インシーでレッスンに参加してくださる方々は特別。

つくづく、素晴らしい出会いに感謝です。

次回は8月30日、そして9月はスーパームーン。

本当に、ありがたいですー。

伝えたいことが、溢れるほど。

これからも、先生方のお力をお借りして、溢れる思いを、仏教という希望を、素晴らしいアイデア、教えを、お届けしたいです。

昨夜は、ブルームーンの、ムーンリバーまで見えたような気がします。

ありがとうございます。

気をつけて‼️その電話、詐欺です‼️

  みなさん!気をつけて! 妙深寺の寺務所からお知らせです。 「今日、私の携帯に、総務省 総合通信基盤局 データ通信課の山田シンタロウさんから電話があり、私の名義で、8月21日にドコモショップ新静岡店で契約した携帯から違法メールがバンバン送られているとの事でした。 相手の方は私の...