かつも妙まけるも妙のいくさして
ころしたものもまたしぬる妙
てこのかたま・扇全十五巻一四一頁
佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌でございます。
開導会にあわせ、終戦70年慰霊法要を奉修させていただきました。雨が待ってくれているような天候ですが、大変大荒れの天気という予報も出ていた中、雨も降らずに奉修でき、ありがたく思っております。お参詣ありがとうございます。
今回の開導会も、妙深寺の企画チームが一生懸命考えてくれて、これからの未来のため、子どもたちのために、70年前の戦争をしっかりと思い返して、そこから何かを学んで新しい一歩を踏み出そうと、プログラムを作ってくれました。皆さまも、色々なことを見て、感じていただけたと思います。
昨日もご近所の方にも声をかけて、法要を勤めさせていただきました。昨日のお話は、法話という形で、一般の方にも分かるようにとお話をさせていただきましたが、今日は、妙深寺のご信者さんを対象に、ご信者さんだからこそ、この点は分かっていただきたいと、開導聖人の御教歌をいただきまして、御法門を説かせていただきたいと思います。
先ほどの当時の思い出を語っていただいた大先輩のお話を聞いても、誰も戦争なんて望んでいませんし、絶対に戦争を繰り返してはいけない、そう語ってくださっています。
しかし、終戦70年という今年、みんなで平和を考え祈るべき年であるのに、年が明けてすぐに中東でイスラム過激派組織の兵士が日本人の首を切り落とし、あるいは、シリアでの内戦は激化し、ロシアとウクライナの戦争、中国も不気味に軍備を増強している。そして日本でも、憲法の解釈を変更して、集団的自衛権の行使容認という方向に進んでいます。
東日本大震災で、私たちは一生懸命支援活動もさせていただいてきましたが、天災は恐ろしいと言っても、それ以上に恐ろしいのが戦争です。千年に一度の規模と言われた、あの東日本大震災で亡くなられた方は約2万人。ところが、横浜大空襲で1万人、東京大空襲では10万人の方が、人間の手によって、一度に殺されてしまった。恐ろしいとしか言いようがありません。
それでは御教歌を拝見させていただきます。
《御教歌》
かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙
佛立開導日扇聖人お示しの御教歌でございます。
何を言っているのか、当たり前じゃないかと思う方もおられるかもしれませんが、仏教徒として、佛立信者として、もう一つ上の視点、もう一歩深い真理をお教えくださる。
もう一歩高く、もう一歩深く、人間の本性とか、人間の業、性、欲望、愚かさ、怒りというものを見つめなければ、戦争は繰り返されます。決して終わらない、平和は守れるわけがない。
佛立仏教徒である日本人として、正しく歴史を振り返り、それらを受け止め、この国のため、あるいはこの世界のため、未来のため、子どもたちのために、正法興隆、世界平和のための、ご信心、ご弘通ご奉公に精進いたしましょうと、お教えくださる御教歌です。
この御教歌をお詠みくださった、佛立開導日扇聖人のすごさ、尊さ。同時に、こうした教えを頂戴している、私たち本門佛立宗の、ありがたさ。それだけではなく、果たすべき大きな使命があることを学ばせていただきたい。
この御教歌は長松寺に現存するもので、次回の京都佛立ミュージアムの「戦争と平和と仏教展」でも展示させていただこうと思っています。
この御教歌には御題が書き添えられてあります。
「東山霊山に石のしるし建たる戦死の武者弔ひのうたよめと人のいひければ」
何のことを言っておられるか、その当時の時代背景と、その歴史をあわせて見てゆくと、今日の「終戦七〇年慰霊法要」「いま、平和を考える」ということに直結して、大変意味深く、大切な御教歌であることが分かるのです。
これは、靖国神社の前身、東京招魂社、そのさらに前身である京都招魂社が今度建てられることになったので、そのことについて、一首詠んでくれと言われたものである、という意味です。当時、開導聖人は、京都でも名だたる歌人でしたので、そういう依頼があった。そうして詠まれたのがこの御教歌。
「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」
幕末・明治維新の頃、日本の行く末を案じて立ち上がった志士たちが大勢いた。各藩では、そうして亡くなった志士たちを弔うために、「招魂場」というものを作っていました。
日本で一番古いと言われているのが、高杉晋作が奇兵隊の戦死者のために建てた山口県下関の桜山招魂場です。こうしたものが、各藩ごとに作られた。
そして、明治維新直後、鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争が起こり、多くの戦死者が出ました。その戦没者たちを、国として弔う、祀る、顕彰するために政府が考えたのが、まず、京都の東山、今の八坂神社の東の奥の方に建てようとされた「京都招魂社」でした。
明治元年五月十日に太政官布告が2つ発布されました。
「癸丑(きちゅう)以来(嘉永6年(1853年)6月3日、浦賀への黒船来港以来)、唱義(義を唱え)精忠(忠義に精を出し)、国事に斃(たお)るゝ者の霊魂を慰(い)し東山に祠宇(しう)を設けて之を合祀せしむ」
「東山に一社を建て当春伏見戦争以来戦死者の霊魂を祭祀せしむ」
そうして、京都に招魂社が建てられた。そして開導聖人が詠まれたのがこの御教歌。
「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」
勝った負けたで殺しあうことは悲惨そのものだ。仮に勝っても迷いの亡霊で、殺した者もただ死んでゆく運命にあるじゃないか。
靖国神社の前身に対して、あるいは戦死した武者、兵士に対して、何とも意味深い御教歌を詠まれています。
京都は、「蛤御門の変」で、長州藩が放った火で丸焼けになりました。勤王の公卿や長州藩は「都落ち」しました。
しかし、薩摩と長州が同盟を結び、江戸幕府が大政を奉還したことによって形成は完全に逆転しました。
当時から、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われたように、戦争は、正義と正義の戦いで、どちらも言い分があり、どちらにも正当な理由がありました。後に、「王政復古のクーデター」と言われたように、幼い天皇陛下ですら利用されていた節があり、だから「勝てば官軍、負ければ賊軍」という、どちらが正当な軍か、天皇陛下のお付きになっている官軍か、分からなかったのです。
開導聖人は、京都の中心でその混乱を見ておられた。
新しく誕生した明治新政府は、策略をめぐらし、用意周到に仕掛けて、ついに鳥羽伏見の戦争が始まってしまった。幕府軍が約8千6百人、政府軍が4千人から5千人、合計1万4千人(「幕末維新全殉難者名鑑」による)という方々が亡くなりました。これは後に、太平洋戦争も全く同じ構図で開戦に至ることが分かります。
しかし、招魂社は政府軍が創建したものですから、当然、官軍側の亡くなった方しか祀られていません。賊軍側の戦死者は祀られていないのです。
戊辰戦争で、政府軍の中枢として活躍した江藤新平も、西南戦争をひき起こした西郷隆盛も、当然「賊軍」ですから、招魂社には祀られてはいません。
明治十二年六月四日、「東京招魂社」は「靖国神社」という名前に改称され、地方の招魂社は京都招魂社も含めて「護国神社」という名前になりました。
戦争というのは「正義」と「正義」の戦いです。どちらにも、正当な理由がある。実際に、平和のための戦争もある。戦争を否定するための戦争がある。これを日博上人は「真実の矛盾」と言っておられます。
西南戦争の後、対外戦争の時代がはじまり、靖国神社は官軍と賊軍という色彩を弱め、「日本国のために命を捧げた方、英霊のための社」として位置づけられました。靖国神社は軍が管轄し、戦死者を祀りました。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争と、総計約247万人に上る英霊が祀られているのが現在の靖国神社ですが、「英霊=靖国神社」でないことをしっかりと肝に銘じなければなりません。
それぞれの戦争で、本門佛立宗のご信者さまも、あるいはお教務さんも、たくさんたくさん出征していかれました。妙深寺の霊簿の中にも、法号の中に、殉国院、殉州院、純忠院、本国院、盡国院、北満院、興亜院、南溟(なんめい)院、南島院、比島院、忠烈、忠義、忠良、義勇、盡忠、と付けられた先輩教務さんの法号が刻まれています。こうした方々も、当然、本門佛立宗のお教務さんですから、靖国神社に帰ることはない、御本尊の中、御宝前の中に帰ります。
妙深寺の初代日博上人は、サイパン島でご弘通ご奉公をされました。その後を乗泉寺の御講師だった世戸応眼師という方が受け継ぎ、立派に御本尊も奉安してサイパンにお寺を建てておられました。開筵式を開く直前に、サイパン島は玉砕。事前に難を察した応眼師がご奉公に来ていた奥さまやお母さま、お子さんに御尊像をお供させましたが、ご自身はそのまま玉砕された。
昭和十九年七月八日、二十五才。南溟院忠烈応眼法師。
靖国神社は、日本古来の神道とは異なる、異質の神社です。
そもそも、日本古来の神道も、それを支えた仏教も、開導聖人がこの御教歌に詠まれているように、死んでしまえば敵も味方もない、神仏として祀って供養する信仰があった。それが日本、それが神道、それが仏教でした。
それらを超越して、明治国家が作り上げた神社が靖国神社で、敵味方を選別して、敵側の死者を一切排除して、味方側の戦死者だけを祀るというものになっている。
ですから、開導聖人は、「敵・味方」「勝者・敗者」ではない視点で、戦争と平和、なすべきこと、果たすべきことについて考えられるように、このような御教歌をお残しくださっているのです。
「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」
本門佛立宗のご信者さんであるならば、もう一歩高く、もう一歩深く、人間の本性、人間の業、欲望を見て、国ということ、国を守るということ、戦争ということを、考えて、平和のために行動をしていかなければならないのではないか。
こう言っていると、最近の風潮では、すぐに「自虐史観」…「自分の国を辱めている歴史観」だと言われたりするのかもしれませんが、戦争というものの実態、あるいは戦争の真相を見なければならないことは事実です。
太平洋戦争は、日本側で戦闘員約174万1千人、一般市民約39万3千人の犠牲者を出した、他に類を見ない、壊滅的な、恐ろしい戦争でした。
その太平洋戦争は、12月7日(日本では8日)、日本はパールハーバー、真珠湾を攻撃し、アメリカに宣戦布告しました。これを「奇襲攻撃」や「だまし討ち」と言われることがありますが、実際には違うことが明らかなっています。
真珠湾攻撃の12日前の11月25日、ホワイトハウスでは、ルーズベルト大統領やハル国務長官、陸海軍の首脳等が集まって
「アメリカに過大の危険を招かないように配慮しつつ、日本の方から攻撃せざるを得ないように仕向ける」
「The question was how we should maneuver them into the
position of firing the first shot without allowing too much danger to
ourselves.」
という合意が行われ、翌日有名な『ハル・ノート』を日本側に提出されました。
この「ハル・ノート」を読んだ東郷茂徳外相は、これを読んで、
「戦争になるボタンが押された」
と日記に書きました。
そして、先のホワイトハウスの会議にも参加していたスティムソン陸軍長官は、
「私は日本が真珠湾を奇襲したという最初のニュースが届いた時に、何よりも、まずほっとした。真珠湾における損害の報告が、刻々と入ってきて、急速に大きくなっていったにもかかわらず、私はそのあいだ中、深い満足感にひたった」
と書き遺しました。ひどいものです。
甚大な被害をもたらした戦争の、最初の一コマはこんなものだ。用意周到に画策され、外交交渉の延長線として戦争が始まる。
しかし、だからといって、アメリカはひどい国だ、日本は正義の戦争、アジア解放のために戦った、彼らは悪、我々は善。これも自虐史観と正反対にある「自己絶対肯定史観」だと思います。これもおかしいと開導聖人は教えてくださっている。
その先、その向こう側にある、奥にある、人間の業、愚かさ、恐ろしさを、思い返さなければ分からない。
このアメリカの策略も、明治新政府が幕府軍を挑発して戦争を仕掛けていった戊辰戦争と重なります。因果の道理、同じことをしてきたではないか。
広島の原爆で被曝された権大僧正伊田日雄上人は、
「戦争というものは、一度起こったら、どんなことをしてでも相手をやっつけてやるという気持ちになるから恐ろしいのだ」
とお話くださいました。だから戦争をしてはダメだ。大変に重いお言葉です。
先の大戦で、戦って亡くなられた英霊の方々、あるいは焼夷弾で、機銃掃射で、広島で、長崎で亡くなられた一般市民の方々、すべての戦没者の方々の、御霊よ、霊魂よ、諸精霊よ、どうか安らかなれ、妙法経力追善菩提、南無妙法蓮華経。
敵・味方の別なく、人間の本性、業を知って生きることが、本当の平和を守ることになる。ただ単純に「戦争反対」と言うだけでは、もはや戦争を止めることはできない。
原子力爆弾を落とした人間も、それによって殺された人間も、サイコロの面のように、縁が揃えば、菩薩にもなり、鬼にもなるということです。
立場が変われば、日本が原子力爆弾を作って、どこかに落としていたかも知れません。
「戦争というものは、一度起こったら、どんなことをしてでも相手をやっつけてやるという気持ちになるから恐ろしいのだ」
B-29操縦士の『空襲ノート』。日本人を悪魔と思っていた米国人の、日本の一般市民を虐殺すべく焼夷弾を落とそうとするB-29の操縦士たちの手記。
「眼下は日本の美しい緑だった。民家の屋根が陽に輝いて見えた。空地らしいところに白い点のようなものがたくさん走り回っている。何だろうと興味を持った。同乗員に調べてくれと頼んだ。彼は強力な望遠鏡で見ていたが、すっとんきょうな声で『あっ、少年たちがベースボールをやってる』と言った。それから重い沈黙が機内を支配した。誰もが口を固く結んだままひと言もしゃべらなかった」
狂気の中でおぞましいことをする人間に、フッと人間らしさがよみがえることがある。
お祖師さまは、
「無顧(むこ)の悪人、猶妻子を慈愛す」
とおっしゃった。
だからこそ私たちは、人間の心は、鬼にもなり、菩薩にもなる。その菩薩の面を育てられるように、日本中、世界中の人に、但行礼拝、「南無妙法蓮華経」とお唱えして、ご奉公させていただかなければならない。
今日は神社の話をしましたが、御題目の御本尊さまの中に「天照大神」がおられることをご存じでしょうか。
お祖師さまは鎌倉時代、私たちにお示しくださった御本尊で「南無妙法蓮華経」の右下あたりに「天照大神」、また左側には「八幡大菩薩」とも書かれ、御本尊の中に勧請されています。
天照大神は、天皇家の祖神で、日本民族の総氏神とされている。その方も、南無妙法蓮華経に帰依し、御本尊の中にお入りいただいています。もし、天照大神を拝むだけなら、ユダヤ教と変わらない。民族限定の宗教です。
神仏習合は、仏教の懐が深いからこそ、お入りいただける。これで、日本民族だけでなく、人類全ての人々が敬うことができる。個別に敬うなら、氏神同士で喧嘩して、民俗宗教が戦争をして、終わりません。
坂本龍馬は海援隊で出版した『閑愁録』の中で、
「仏法は天竺(インド)の仏法とのみ言べからず、乃(すなわち)皇國の仏法なり」
だからこそ、日本の守ってきた文化も、精神性も、天皇陛下のおわしますことも、天照大神も、普遍化する。国際化もするし、人類の希望と成り得る。
また、サン=テグジュペリは、こんな言葉も残しています。
「心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある」
私たち日本人は戦争に負けました。悲惨な敗北でした。しかし、それらを含めて、日本人にしか得られない、言えない、持てない戦争と平和に対する考え方、生き方があるはずだ。
今、時計の針を戻して、またなにかおかしな方向へ行こうとしている。
そうではなく、日本は、世界の希望だ。そして、仏教こそ、この世界の、本当の希望だということを、みんなでかみしめて、祈り、回向し、誓いながら、信行ご奉公に気張らせていただかなければならない。
宮沢賢治さんの言葉、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
それが法華経の精神。
「一人が変われば世界が変わる」
本門佛立宗の教講は、戦争と平和についても、開導聖人から大変なヒントをいただいています。大果報者だと思って、そのありがたさを忘れず、その使命を果たそうと、努力しなければもったいない。
仏教徒として、佛立信者として、もう一歩高く、もう一歩深く、人間の本性、人間の業、欲望や怒りや愚かさを見つめなければ、平和は守れない。
どうか、佛立仏教徒である日本人として、正しく歴史を振り返り、それを受け止め、この国のため、この世界のため、未来のため、子どもたちのために、正法興隆、ご弘通ご奉公に精進しなければならないと、感得させていただく御教歌であります。
故に御教歌に。「かつも妙まけるも妙のいくさして ころしたものもまたしぬる妙」
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