2007年10月31日水曜日

次男の成長




















 なかなか男前になってきた。ひろし君には「めがねザル」と言われている次男だが、ひろし君には何故かなついているらしい(いや、ひろし君が自分で言っているだけだが)。 

長男の時にも思ったのだが、親というのは一つの催眠術にでもかかっているかのように子どもが可愛く見えるものらしい。長男が赤ちゃんだった頃、本当に可愛くて可愛くて仕方なく見えた。しかし、時間が経ってからあの頃の写真を見てみたら、それほどでもない。あれ~?と思った。

 さて、次男くん。久しぶりに家に帰ってきたら、まぁ大きくなっていること。反応も機敏になっているし、よく笑う。眼があっただけでいつもニコニコ。ありがたいこっちゃ。特に次男は私の父に似ているかもしれないなぁ。長男は歌の才能はゼロ(?)だと思うのだが、次男は歌に敏感に反応する。だから、私が次男をだっこしている時に歌っていると一緒に合わせて歌っているようだ。

 最近、ご信者さんが、この男っ前の次男を見ると、「あら~、ご住職に似てこられましたね~」と言ってくださると母から聞いた。そりゃお世辞だ、そんなはずない、長男も次男もエエ男過ぎる、僕とは似てないなぁ~、と笑っていた。




















 それにしても、将来が心配じゃ。こいつら二人、なんか女の子にモテそう。開導聖人は御教歌で「顔や形を繕うものは多いけれど、心を磨く人は少ない」と教えてくださっているから、心をブラッシュアップして、強くして、大きくして、磨いて、本物のいい男にしたいなぁ。頑固な親父として二人の前に君臨して、ビシッと教えていこうと思う。

 しかし、来年はブラジルの100周年のご奉公で22日間も家族と離れるし、「まるでマグロ漁師さんね」と言われているから、長男や次男も僕のことを忘れてしまうかもしれないが、まぁそういうのも仕方ない。昔から思うのだけど、近くにいるだけが子どもにとって幸せとも限らない。賢者の子は愚者になる、って言う(自分が「賢者」とは思ってません)。優しさが優しさを生むとも限らない。裕福な者の子が愚か者になるというのは古来から法則のようになってしまっているんだから。

 「ダイナスティ」という米ハーバード大学の名誉教授、デビッド・S・ランデスが全世界の大富豪の家系と歴史を調べて本にしていて、興味深く読ませてもらった。歴史家・経済学者として最高権威の著者が、フォード、ロスチャイルド、トヨタ、プジョーなど世界の伝説的13ファミリーを取り上げ、分析を施している。

 近代史などと合わせて読んでいくと非常に興味深い。なぜ彼らが成功し、その後の彼らの一族、後継者たちがどのような道を歩んだか。ダイナスティ(dynasty)とは、「王朝」「世襲による権力の継承」「支配階級」という意味。つまり、歴史に名を残し、現在も多大な影響を及ぼしている「ファミリー企業」について研究し、彼の鋭い洞察力で「ダイナスティ」の功罪、「光」と「影」に切り込んでいる。

 本書を読むにつけても、親の資産を継承することは難しいと分かる。特に、「有形」の資産は受け継いだが、初代がなぜ成功したかという「無形」資産を受け継がなかった子孫らの没落は必読。子孫たちが金や名誉にだけ執着し、結果として地位も、一族の誇りや輝かしい歴史も傷つけてしまうのは哀しい。

 だから、大事なことは、親の生き様をしっかりと見せられるか、伝えられるかに掛かっている。特に、男親としてはそう思ってしまう。子どもの近くで何度キスしても、抱き上げても、それ以上に親が人間として何を目標に、何を指標にして生きているか、が胸を張って示せなければならないということではないか。

 長男と次男との心の絆、これが何より大事だと思う。それはどうやって作ったらいいか。単に時間を一緒に過ごすだけではないと信じたい。心から彼らを愛し、心から大切に思うことと、彼らに生きた教材として自分の生き方を示していけるようにすることと、同じくらい大切だと思う。次男の成長が楽しみ。女性を泣かせるジゴロにならないように教育しよっと。(その前に、ご信心を教えろって!)

イムジンガン

 姜ご住職にお願いをして、北朝鮮との国境まで連れて行っていただいた。国境に行くことは、姜ご住職にとっても非常に珍しいことだという。

 私は当初、田代くんにお願いして一人だけタクシーで行かせてもらおうと思っていた。しかし、姜ご住職は突然の申し出を快く受けてくださって、私に付き合ってくださった。

 ソウルから高速道路を一路、北へ、北へ。1時間ほど走ると、左側にハンガンと、そしてさらにその先にイムジンガンが見えてくる。

 前の項でも書いたが、「世界平和」と毎日ご祈願させていただきながら、こうして訪れた韓国の抱えている問題から目をそらすわけにはいかない。それは日本も密接に関係してきた問題であって、私たちと切っても切り離せない問題だと思う。目の前に横たわる朝鮮半島の現実、不幸な歴史の中で同じ民族が分断され、今でも緊張状態が続き、苦しんでいる人がいるという事実を直視しなければならない。せめて、韓国でご奉公させていただくことになったら、真っ先にこの問題を肌で感じられる場所を訪れたいと思っていた。そして、そこで御題目をお唱えさせていただきたい、と考えていた。

 姜ご住職の運転で、ソウルから北へ向かった。しばらく走っていくと、高速道路の左脇に、北朝鮮との国境に位置する川、「漢江(ハンガン・かんこう)」と「臨津江(りんしんこう)、イムジンガン(韓国読み)、リムジンガン(北朝鮮読み)」が、何とも自然に、あっという間に見えてきた。

「あぁ、こんなに近くに、北朝鮮との国境があるんだ」

 とつくづく実感した。地図の上ではソウルが北朝鮮国境に近いことなど知っていたのだが、実感というのは行ってみないと分からない。この位置関係、この風景、こうした問題を抱えて生きてきた人々、そのことを思っていた。近くて遠い。遠くて近い。それが南北に分断された方々の思いなのだろうから。

 実際、私は少しだけ御題目を上げさせていただきたいだけだった。こうした場所に立って、韓国の方々が抱えている問題を肌で感じさせていただきながら、御題目をお唱えさせていただきながら南北の融和や平和を願いたかった。そして、その地で苦しんでいる家族、特に子どもたちのためにもご祈願させていただきたいと思った。

 そんなことしても意味はない、と言う人もある。韓国の方と話をしていて、「北朝鮮と融和などしてもらったら困る」という人もいる。南北統一など言っているだけだ、本音は貧しい国と一緒になったら韓国が迷惑する、韓国経済の足を引っ張る、もう放っておいてくれと思っている、等々。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の現政権のままで南北統一など出来るはずがない、と。私も、先日の佐渡でジェンキンス氏とお会いして、また彼の著作を読み返しながらどれだけ恐ろしい現実が北の大地を覆っているか学ばせてもらった。拉致問題をはじめ、多くの人から「生きること」を奪っている恐怖の国家体制が現在なお存続していることを思い知らされた。

 しかし、現実的な、政治的な問題は多々あるとしても、私はお祖師さまのお教え下されたとおり、上行所伝の御題目を以て朝鮮半島に横たわる問題について考え、御題目をお唱えさせていただくことによって、「何かが起こる」と確信していた。それが私たちのご信心ではないか。

 検問所があって上手に場所が見つからない。ゆっくりとお看経出来る場所を探していた。南北の問題を象徴する場所として「板門店」があるが、29日と30日は何と6カ国協議の経済・エネルギー協力に関する作業部会が開かれており、一般人に対しては閉鎖されていた。もちろん、板門店に行っても御題目が唱えられなければ意味がない。やはり、姜ご住職のご案内をいただいてよかった。場所を見つけるだけでもパスポートチェックや事前のツアー登録がなければ入れない場所が多く、逆に外国人は良いが韓国人は厳しい事前チェックがあって入れない地域や施設というものもあり、本当に難しい。しかし、高速道路を行ったり来たりしながら、1992年9月にオープンした「オドゥ山統一展望台」に場所を定めて、そこから北朝鮮に向き合い、御題目をお唱えすることが出来た。

 簡単な模型と展示があって、この展望台から3200メートル対岸が北朝鮮であると書かれていた。左側の川がハンガン、左側がイムジンガン。

 この展望台には観光客がたくさんきていて、特に韓国の人にとって気軽に北朝鮮を見られる場所はこのくらいしかないということで、大勢の方が見学に来ておられた。もちろん、日本人の観光客もいた。

 私たちは、展示室から展望台に上った。500ウォンを入れて北朝鮮側の農村、畑、集合住宅などが立っているのが見えた。「人がいないですね」と姜ご住職が仰ったと思ったら、私の目に大きなワラを背負った男性が畑のあぜ道を歩いていくのが見えた。その他、どこに望遠鏡を当てても誰も見つけられなかったから、あの村で歩いていたのは彼一人だった。ちょうどお昼の12時くらい。子どもたちはいないのだろうか。他のみんなは何処に行っているのだろう。集合住宅は少なくとも20くらいはあった。大きな幹部さんの家のようなものも2~3棟あった。人影がないことが不気味に感じた。それでも、男性の姿を見ることが出来たのは幸せだった。

 展望台の一番上で、懐中御本尊をお掛けさせていただいて、小さな小さな一座の法要を勤めさせていただいた。この地で正法が興隆し、南北が平和になりますように、苦しむ人々に一日も早く幸せが訪れますように、と。姜ご住職と一緒に御題目をお唱えできたことが嬉しかった。

 実は、姜ご住職はアシスタントとしてHeiranという鶴松寺の女の子をご奉公に連れてきてくださっていたのだが、この時ばかりは「恥ずかしいから知らんぷりしてよー」っと言っていた。さすが女子大生。でも、写真だけはキチッと撮ってくれていた。ありがたい。

 ほんの僅かな時間だったが、この御題目口唱の功徳は火にも焼けず、水にも漂わない。もっともっとご弘通に気張って、菩薩行を実践し、いつか本当に平和と安穏が訪れますように、と願う。とにかく、ハンガン、イムジンガンの向こう岸にある北朝鮮に向かって、御題目をお唱えさせていただいた。

 お看経が終わった後、周りで見ていた日本人観光客の方から「修行ですかー?」と言われたので、笑って「はい、そーでーす」と答えた。

 先日、盧 武鉉(ノ・ムヒョン)韓国大統領が北朝鮮の金正日書記長と会った。政治的なパフォーマンスと受け取られて賛否両論があったようだが、この展望台でのお看経に引き続いて、彼が渡った韓国と北朝鮮に掛かる橋にも行かせてもらった。もちろん、私たちがそこを渡ることは出来ないが、この場所を訪れられたことも私にとっては非常に意義深かった。

 私たちがこの場所にいた時にも、後ろからアメリカ軍の車列が猛スピードで通り抜けていった。すぐ近くの板門店で6ヶ国協議の作業部会が行われているのだから、いろいろな動きがあったのだろう。

 この場所でも降りて写真を撮らせてもらった。この先にあるのが北朝鮮。本当に近い。近いのに、韓国の人たちはこんなに遠い国はないと感じている。感情としては統一を望んでいる。しかし、それが極めて難しいことも知っておられる。

 韓国の青年たちには軍に入隊しなければならない。徴兵制度がある。姜ご住職も100日間勤務したと言っておられた。その場所が、この地域だったということで、ここに案内してくださったのだ。

 国が分断されている、ということを眼で、肌で実感することが出来た。この200年弱の間、全世界は、特にアジアは、まさに「社会的ダーウィン主義」さながらに弱肉強食、ぶんどり合戦、生存権の争奪戦に巻き込まれ、それぞれが危機感を持ったり、煽ったりしながら、不幸な戦争に突入していった。

 韓国の現在(問題)について、日本の統治があったからこのような不幸な分断が生まれたという人もいる。「日本のせいだ」と言う人もある。

 しかし、過去の清算や謝罪と同じ、いやそれ以上に大切なのは、今を生きている者同士の理解と協調であり、単なる批判や評論では仕方がない。日本人であると同時に、本門佛立宗の、仏教徒である私たちが、「バラバラになったものを一つにする」教えである上行所伝の御題目のご信心を伝えたいと思うのは自然だと思う。グランデ・ファミリアでも、ずっと言い続けたこと。「バラバラになったものが、元の姿に戻る」。

 この場所を後にして、また高速道路に戻った。そして、姜ご住職がイムジンガンに降りられる場所を探してくれた。鉄条網の外から見るのではなく、分断の象徴ともいえる「イムジンガン」を、実際に目の当たりに出来る場所はないか、土手まで入れる場所はないかと言っていたので、姜ご住職が探してくれていたのだ。そして、姜ご住職の案内で、私たちは少し国境からは逸れているが、土手まで出られる場所に行った。そこも、土嚢が積まれていて、砲台か機関銃を置く場所が作られていたが、警備の兵員はいなかった。淋しいが、綺麗な川面が広がっていた。

 映画「パッチギ!」で取り上げられた在日朝鮮人と日本人の姿。とても素晴らしい映画だったし、若者たちに色々なことを考えさせた映画だったと思う。

 あの映画の舞台は京都だった。主人公の家はお坊さん、そして在日朝鮮人と日本人の間を結ぶかのように、彼は綺麗な声で「イムジン河」を歌い上げた。この歌は、発売中止に至った経緯など因縁が深いのだが、分断された方々がどのような哀しみを抱いているか、イムジンガンを見つめる人々の心がどのようなものか、少しでも感じ、学ばせてくれる。

 少なくともイムジンガンを前にして、私の脳裏ではこの旋律が流れていた。

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イムジン河

松山 猛 訳詞
朴世永 原詩
高宗漢 作曲

イムジン河水きよく
とうとうとながる
みずどり自由に
むらがりとびかうよ

我が祖国南の地
おもいははるか
イムジン河水きよく
とうとうとながる

北の大地から南の空へ
飛びゆく鳥よ自由の使者よ
誰が祖国を二つに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの

イムジン河空遠く
虹よかかっておくれ
河よ思いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも忘れはしない

イムジン河水きよく
とうとうとながる

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 ずいぶん長い文章になってしまった。

 この後、16時くらいにホテルに戻って、そのまま私の部屋に入っていただいて、姜ご住職と19時くらいまでゆっくりと話が出来た。本当に有意義だった。そして、夕食は団参の方々と合流、それは大変に盛り上がった。

 なんと、姜ご住職のファンクラブが出来るらしい。すごい。

 そして、30日14時前、無事に日本に帰国した。本当に有難い、貴重なご奉公となった。



2007年10月29日月曜日

鶴松寺の高祖会

 素晴らしい晴天の下で、韓国ソウル鶴松寺の高祖会の奉修ご奉公をさせていただいた。私たちは本当に真心のお迎えご奉公をいただいて、感謝の言葉もない程だった。大きな看板まで道路にかけてくださっていて、河(ハ)理事長の温かいお心が感じられた。ありがたい。

 昨日の新清寺の高祖会に引き続いて、ソウル鶴松寺での高祖会ご奉公。新清寺のご信者方も昨日に引き続いてお参詣してくださっていた。韓国の中央寺院といってもいい鶴松寺には、若いお参詣者が多く、本堂内も韓国の一般お参詣者でいっぱいになっていた。理事長のご長男もお参詣・ご奉公くださっていた。ご長男はご信心にも前向きで、鶴松寺で一生懸命にご奉公してくださっていると聞いていた。今回、ご長男は英語が堪能ということで、奉修前後に話をさせていただくことが出来て、これからはメール友だちになることにした。

 今回、普段と比べるとお参詣者は多かったようだが、姜ご住職は「韓国でのご信心、ご弘通はとても厳しいです」と言っておられた。

 御法門の中でも触れたのだが、韓国での本門佛立宗のご信心を囲む状況を分析すると、大きく2つのことがいえる。

1. 不幸な歴史の中で、『日本の宗教』に対する抵抗感が強い。

2. 戦後、キリスト教が圧倒的に流入しており、特にカトリック教徒が若者にまで広く浸透している。週末、教会に通う若者も多い。

 この2つを念頭に置いて御法門を説かせていただいた。まず、日本と韓国(朝鮮)との間に不幸な歴史があることは事実で、未だに様々な社会問題や精神的な軋轢が両国間に横たわっている。感情的な抵抗感が政治的に利用されることもあり、中国や韓国で起こるような『反日』行動は希であるとしても、そうした感情は常に人々の根底にあるのだろう。

 しかし、単純に、本門佛立宗は『日本の宗教』『日本の仏教団体』とする定義だけを当てはめていただきたくない、とお伝えした。もちろん、日本に本山があるのだからそう言えばそうだが、そこだけで止まっていてはいけない。ブラジルの本門佛立宗が、「Primordial Buddhism」と掲げていることなどを紹介し、あくまでも普遍的な仏教、普遍的な宗教としての「佛立信心」であると心に置いていただきたい、と。

 また、キリスト教、特にカトリック教徒が多いということについては、ヴァチカンのあるイタリアで佛立信心が芽生え、いまイタリアの方々が頑張っておられることや、カトリック教徒が90%といわれるブラジルでご弘通がどのように進展しているかをお伝えした。その中にヒントがある。また、私も一人でイスラエル、エルサレムに行かせていただいたこと、その理由をお伝えした。1つのバイブルから生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、互いに戦争を繰り返していることの矛盾と、人類が歩むべき第3の道としての『仏教』に誇りを持つこと。「カトリック教国のブラジルでは、大学生で『私、仏教徒です』って言ったら逆にモテるんですよ!このことを考えて。時代は仏教、佛立宗なんです!」とお話しした。

 とにかく、海外でのご奉公は、次にいつ来させていただけるか分からないため、いつも以上に精一杯御法門させていただく。この一度の御法門で、何とかご信心増進、ご弘通発展の一助になればと願う。ちょっと長くなってしまったが、姜ご住職の上手な通訳もあって助かった。とにかく、『佛立信徒でよかった』『御題目にお出値いできてよかった』という『喜び』や『誇り』を取り戻していただきたい、とお話しした。インドなどでのエピソードを紹介しつつ、、、。

 奉修が終わったのは13時を廻っていた。13時から記念写真を撮り、ご供養場までご案内していただいた。ご供養場も、私たち日本からのお参詣者に気を使ってくださり、味わいも少々日本人の舌に合わせて作ってくれている店なのだと説明してくれた。お店で日本から来た私たちと、わざわざご供養場までご奉公に来てくださった韓国の方々と一緒に記念写真を撮らせていただいた。

 とにかく、素晴らしい体験、ご奉公をさせていただくことができた。ありがたい。

 今日は、私だけ団参の方々から離れて、姜ご住職に北朝鮮の国境近くまで連れて行っていただく。二人で北朝鮮の見える丘の上からお看経させていただこうと思っている。「世界平和」と御祈願させていただくが、特に朝鮮半島の場合、南北の平和、南北問題の解決なくして世界平和などないという具体的な御祈願があるからだ。

2007年10月28日日曜日

ソウルの朝、

 昨夜はブログをアップした後、本を読みながらゆっくりと眠りにつくことが出来た。団参の方々と美味しい夕食をいただいた。その後、何人かとホテル近くのコンビニに行ってお水を買って部屋に戻ってきた。お水は欠かせないし、ホテルの部屋のお水は高いし。

 なんと、ベッドが良い。枕だろうか、分からないけれど、ぐっすり眠れた。こんなことってあるんだなぁ。ホテルのベッドと枕がビタッと合うなんて。うれしい。本当によく休ませていただきました。ありがとうございます。

さて、今日は9時30分に出発予定。お天気もバッチリ。よっしゃ、精一杯、ご奉公させていただこう。ありがたい。

2007年10月27日土曜日

長松寺 Cafe International

 既に韓国のご奉公となってしまった。
 朝5時30分過ぎに準備をしはじめて、5時45分には出発。羽田空港からソウルの金浦空港まで。日本は台風の影響で大雨だったが、韓国の空は鮮やかに晴れていた。その報告はまた今度。午後から新清寺で無事に高祖会を奉修させていただき、姜師の通訳によって御法門もさせていただいた。明日は鶴松寺での高祖会。ホテルを9時30分に出発して11時からの奉修となる。ありがたい。
 さて、立て続けの海外関連のご奉公の中で、先日来日本に来てくださっていた韓国の理事長ご夫妻が空港までお迎えにきてくださっていて、お互いに再会を喜んだ。よかった、10月のご奉公が結びつきを強くしてくださっていて。
 その地域代表者会議の締めくくりの記事を書かなければならないと思っている。義天寺を訪れた後、ホテルに一旦戻って、最終目的地である由緒寺院・長松寺へと向かった。長松寺とは、佛立開導・長松清風日扇聖人が晩年を過ごされた宥清寺・奥の院である。ほぼ開導聖人がお住まいになられたままの形で護持させていただいている。開導聖人の建立された佛立講最初のオリジナル・デザインの御戒壇、御宝前、開導聖人の愛された庭、それらが当時のまま護持されている。建物は江戸時代からのものである。
 その長松寺では、淳慧師や博子さん、松本現薫師が中心になって、「長松寺Cafe」という交流の機会を作ってくれている。すでに4日と16日の長松寺の御総講には関西近郊に住む交流のあるご信者方が自然にお参詣してくださっており、大変に有難いと思っている。その方々を中心に、さらにご信心をしていない方にまで広げて交流の機会を設けようというのが、この「Cafe」の主旨とのこと。
 これまでも、イタリアのダニエレ・良誓師やブラジルの斉藤御導師やコレイア御導師、スリランカのミランダ女史などがお参詣されると、鑒座に座っていただいて、自国の言語で導師役を勤めていただいたことがあった。こうした試みは、単純に「開導聖人がお喜びになるだろうなぁ」という思いからだった。開導聖人が安政4年に開始されたご弘通が、遠い国にまで広がり、こうして様々な言語に訳されてご信心されていること、特にそこには「菩薩」がおられること。そのことを、開導聖人護持の御宝前の前でご覧にいれたかった。
 今回の長松寺Cafeでも、企画を練ってくださって、まず最初に私が英語で言上し、続いて各国の代表者が自国の言語で言上を行い、最後に海外部長が日本語で言上してお看経に入らせていただいた。80名以上のお参詣があったのだが、本当に暖かいお看経、活き活きとしたエネルギーが音を立てているかのようなお看経になった。
 今回、なによりの大きなプレゼントは、何と吏絵ちゃんが参加してくれたことだった。吏絵ちゃんは、吏絵ちゃんの病気の御祈願をしてくれていたスリランカの方々が長松寺に来られると聞いた。横浜に来た次の長松寺御総講で、吏絵ちゃんは10月8日のCafeに参加する、とメールをくれた(吏絵ちゃんは僕の少ない携帯メールのお友だち)。
 そして、当日。体調を心配していたのだけれど、きちんと、元気にお参詣してくれていた。もう、アベイさんもガマゲさんも、飛ぶように喜んでくださっていた。こんなこと、こんなに嬉しいことがあるだろうか。
 ガマゲさんが吏絵ちゃんを抱きしめながら言った。
「吏絵ちゃん、私たちスリランカのメンバーは、あなたの名前を御宝前に掲げて、祈っていたのですよ(涙)」
 私はこんな素敵な瞬間に通訳で立ち会っていたのだが、本当に胸に思いが込み上げてきた。吏絵ちゃんも「本当に御祈願してくれていたなんて」と、彼らの口から直接聞いて、思えたに違いない。
 しかも、ガマゲさんは続けて吏絵ちゃんに尋ねた。
「吏絵ちゃんは、朝と夜にどのくらいお看経しているのかな?」
「え?」
と一瞬みんなが顔を見合わせたような気がした。吏絵ちゃんがお母さんの顔を見る。「ヘルプ~」という感じだった。お母さんもそれを察して、
「ね、吏絵ちゃんね、そう学校に行く前と帰ったときと、、、、ね?、、、、」
というような。は、は~。続けて、本当に底抜けに優しい笑顔でアベイさんが、
「いいかい、吏絵ちゃん。吏絵ちゃんは大変な病気だったよね。そう、出来る限り、一日朝夕最低でも20分間お看経されてもらいなさい。そうしたら必ずブッダが吏絵ちゃんを守ってくださるのだから」
とお話になった。とても感動した。本当に、真心のお折伏というか、本物のアドバイスだったと思う。そこまでお伝えできて、本当の「お助行」である。ありがたい。

 さらに有難いこと!HBSのネットでも紹介させていただいているが、2004年に由乃ちゃんが横浜にお参詣してくださった。彼女も幼い頃に白血病を患い、ご家族の献身的な看護とみんなのお助行をいただいて元気に過ごし、ご奉公してくださっている。詳細は「白血病からの回復」というページに記載されているから是非お読みいただきたい。
 その由乃ちゃんと吏絵ちゃんが、肩を組んで歌を歌ってくれていたぁ~。なんじゃー、この有難さは。なんていうタイミングか。こういう日が来るんだなぁ。
 佛立宗のご信心は、最大の不幸を最高の幸せにしてくれるのだと、何度も何度も教えていただくが、まさにそうだと思う。病も成仏の仲人に出来る、病を通じて学び、学ばせていただくことがあり、お助行している者も、お助行を受けている者も、共に御題目の御力を実感できる。本当に、「思いやり」「慈悲」が、こんな形になるということを証明してくれるのがご信心。その瞬間が、由乃ちゃんと吏絵ちゃんだったなぁ。
 長松寺Cafeでは、宥清寺の石井君たちがギターを持ってきてくれて、海外信徒の方々を前に80名の若者が大合唱するというクライマックスだった(誰が考えたの?すごい)。これには老いも若きも本当に音楽の魅力を感じて、喜んで肩を抱きながら歌っていたのだ。その時のショットが、由乃ちゃんと吏絵ちゃん。二人とも白血病を乗り越えて、御利益をいただいて、こうして元気になってくれた。ありがたい。

 また、このCafeには大阪・本泉寺の夕香菜ちゃんと加納姉妹が来てくれており、一生懸命にご奉公してくれていた。3人が持っているのは海外の方にお渡しする記念品。ここで撮った写真を、この写真入れにはめ込んで、「モノより想い出」とばかりにお渡ししようと考えた。みんなとの出会い、今夜のCafeを一生忘れないでねとばかりに、素敵な写真がはめこられていた。
 夕香菜も、今年のお正月に事故に遭い、顎を複雑骨折した。その時は誰もが慌てた。しかし、時が経つにつれて、なぜこうしたことが起きたのか、誰に何を教えようとして、何のために、なぜ、ということの一つ一つをみんなが気づき、知り、そして夕香菜と加納姉妹、尾池くんたちは、素晴らしい体験談、お助行から学んだこととして、青少年の一座にて発表してくれた。それは立派な発表だった。夕香菜もよくやってくれた。
 その夕香菜の笑顔。みんなの微笑み。ありがたい。これが良いなぁ。みんなが、壮絶なことを乗り越えて、こうして笑っている。ご信心していたら間違いない。ビクビクするな。逃げるな。いま辛くても、必ず乗り越えられる、最大の不幸も最高の幸せに変えるんだ、変えられるんだ、冬は必ず春となる、と思って御法さまにさらに近づくしかない。
 あっという間に時間が過ぎて、みんなで記念写真を撮った。もう、このまま増え続けたら長松寺の御宝前での記念写真は無理だな。底が抜ける。いや、もう既に入っていない人がたくさんいるもの。
 でも、本当に素敵な時間をありがとうございました。

嬉しい、マダワ君からのメール、

 明日の早朝から韓国。全くPCに向かう時間が無く、メールのチェックはできても返信が出来ない。19時から事務のご奉公があり、20時から近所のご信者さん宅で局長と一緒にお話。戻ってきてから御法門のプリントアウト、スーツケースに荷物を積み込んだ。

 明日の朝は5時40分に妙深寺を出発し、羽田空港に6時20分集合予定。8時20分のフライトということだと、このくらい早い時間なのだな。よかった成田ではなく羽田を使うことが出来て。成田だったら、もっと早い時間に起きなければならないだろう。

 先ほど、スリランカのマダワ君からメールが来た。本人からの直接のメール。うれしい。一度は快方に向かったと聞いて安心していたのだが、マダワ君の症状だけ良くないと聞いて、お父さんのシャンタさんも困惑・混乱していたので御祈願を続けさせていただいてきた。その彼からの報告メールはとても嬉しい。

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Dear Rev, Nagamatsu Odoshi,

I am Madhawa, I am extremely sorry for the getting delay to write you.

I take this moment to say, thank so much you, every members in your temple who were chanted for me to come out of danger from dengue fever.
I strongly believe in chanting odaimoku [Namu myoho renge kyo].
to recover me from dengue.our members too chanted for me.

This experience changed my life to a good way. I honoured lord Buddha and lotus sutra every moment in my life. When I chant I always think members who chanted for me and other people who suffer from various problems.

I heard that you will be here on December.we all welcome you with warm feeling

Namu Myoho Renge kyo

Madhawa Perera
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 本当に素晴らしいメールで有難かった。というのは、先日まで日本に来られていたスリランカの代表者が言っておられた。

「病院で病気が治ったとしても本当に病いが治ったとは言えないのです。私たちが背負う本当の病を完治は、ご信心によって病気が治るということだけなのです」

 身体の表層に浮かび出た「病気」ではなく、その「病気(=症状)」を通じて、その奥に隠れているもっと大きな「病い」に気づき、それを治すことが様々な症状を緩和する根本的な治療法だと気づくこと。これがご信心をするということだと考えられる。

 マダワ君が、これだけ苦しい経験を心から前向きに捉えていること。あれほど苦しかった病気のことを、「私の人生をより良い道へ変えるきっかけ」であると捉えられたマダワ君。偉いぞ。それでいい。「病は成仏の仲人」とはこのことだ。次にあったら伝えよう。

 ありがたい。

2007年10月24日水曜日

昨日は千葉へ

 昨日の朝から今日の午前中まで、千葉県の館山で泊まりがけの会議に出席。神奈川布教区の、主に平成20年度弘通方針について検討・協議する会議だった。
 非常に有意義な会議となった。来年度のご奉公も楽しみ。今月末までに成案化してゆき、いろいろな意見を集約してゆく。それにしても、こうした会議を通じて、布教区のご奉公をしていただいている講務の方々とゆっくり話すことができるのが有難い。各寺院のご奉公の取り組みもお聞きすることが出来るし、またとない勉強の場である。
 会議が開催された場所は千葉県の館山。布教区参与の方が探して下さった「国民休暇村」だという。しかし、立派な建物と綺麗な内装で驚いた。学生時代、全国をレースで回っていた時に泊まっていたような「ユースホステル」を思い浮かべていたのだが全く違う。すごい、立派なホテルなんだなぁ。
 しかも、正面は海。窓を開けなくても波の音が聞こえていた。気持ちいい。夕方、海岸まで出て石を投げたり、歌を口ずさんだり。ちょっとしたリゾート、ではないか。ありがたい時間をいただいた。
 夜、スリランカに出張している清顕から連絡があった。すぐに福岡御導師に代わって、来年度のご奉公日程について調整。2008年10月19日(日)にスリランカHBSの10周年を奉修・開催することを決定した。この機会に多くの参詣者を募り、素晴らしい「輝く島」、スリランカをご案内し、同時にご信心を見習ったり交流する機会に出来ればと考えている。
 今朝、13時までにお客さまがあるので、先に失礼した。アクアラインを通り、途中で「海ほたる」に寄った。東京湾の真ん中に浮かぶドライブイン。スターバックスでコーヒーを買い、ホッと一息。ありがたい。

時代の兆し@横浜ラグーン

  9月16日は「オゾン層保護のための国際デー」、横浜ラグーンを放送させていただき、ネパールでの大災害を含めて気候危機、環境問題についてお話させていただきました。 天変地異が相次ぐ世界、国際政治も危機的な状況を迎えています。きっと、もう平和な時代は終わりを告げていて、戦国時代のよ...