2007年11月26日月曜日

歴史に残る七五三

 今年の七五三は、大盛況だった。少子高齢化?どこ吹く風。大勢の子どもたち、ご家族と一緒に、御礼の言上とお祝いのお看経をさせていただいた。
 総勢25組の子どもたちとご家族だったという。これは七五三祝参詣としては最高の参詣数だったと聞いた。スゴイ、ありがたーい。実は、今回の七五三は私の長男も5才で御礼の言上をさせていただいた。さらに、ありがたーい。
 記念日というのは、思い新たに感謝する時だと思う。それが誕生日であれ、年末年始であれ、七五三であれ、それを「節目」することが大切だ。人間の場合、自然と「節」を作って高く伸びていく竹とは違う。精神的に「節目」を付けていかなければならない。もし「節」がなかったら、竹であってもあそこまでは伸びることが出来ないし、風や雪で簡単に倒れてしまうだろう。節があるからこそ、強く、高く伸びられる。
 人間は、その「節」を精神的に作らなければならない。その一つが七五三。普段の忙しい生活の中では感じられないというか忘れてしまっていることを、今日は思い出すのだ。「健康でいてくれてありがとう」「今日まで元気でいてくれてありがとう」「これからも元気でいてください」「これからも、この子をお守りください」と。その節目の数だけ、親も子も強くなれる。
 そういうお話をお祝いの言葉に代えてご家族にお話しした。子どもたちが我慢できないので(それでも今年は優秀で、よく我慢して座っていたが)、手短にお話をした。しかし、本当はもっともっとお伝えしたいことがあったのだ。
 実は、子どもたちの健康や成長を祈り、祝ってさせていただく七五三だが、実際に私たちを取り巻く環境は悪化の一途を辿っている。特に、子どもたちの健康や未来に対する不安、実際の危機は背筋が寒くなるほどだ。
 この十年来、日本では学校での障害児の増加が著しい。妙深寺のある神奈川県の場合、養護学校の在籍児童数は毎年2校分に匹敵する200~300人のペースで増え続けている。小中学校の特殊学級はさらにハイペースで、その学級の在籍児数は十年前に比べて二倍近く増加している。その多くが自閉症、学習障害、多動性、衝動性などの発達障害の特徴を盛る子どもたちだと報告されている。
 こうした子どもたちについての「障害」という考え方は、医学が進歩し、「説明」が細かく出来るようになったために出てきているだけだという見方があったが、現在の状況はそれでは説明が付かなくなった。そのために、環境省が重い腰を上げて来年度から十万人規模の疫学調査を行うことになった。どれだけ成果が上がるか疑問視する声もあるが、それでも近年の子どもの発育の「異変」と「発達障害」、いわゆる「障害児」の急増について社会的要因を探る手始めになる。これは個々では解決や説明がつかない異変の実態に国が重い腰を上げるということだ。
 ヒトの脳は血液脳関門に守られ、大人は血中に有害物質が入ってもすぐ脳には入らない。しかし、胎児や乳児は、この「血液脳関門」が非常に薄く、ごく微量の環境ホルモン(内分泌かく乱物質)や重金属が脳内に進入してしまう。だから、妊娠中や授乳中のアルコールやタバコの摂取を止めるように強く勧める。脳関門の薄い胎児や乳児が直接こうしたものに含まれる微量の有害物質の影響を受けてしまうからである。しかし、これは両親の問題ではなく、明らかに世界的な、社会的な問題であると考える。今までのように家族に問題を押しつけるのは酷だ。その姿勢を「国の重い腰」と言っている。責任の所在を追求せず、家族に押しつけてきたのも問題だと私は考える。
 ラットなどの動物実験では、有害物質の投与で「多動」などの発達障害の特徴をなす行動が見られたと報告がある。微量の環境ホルモン(内分泌かく乱物質)や重金属が体内に入り、自閉症やADHD(注意欠陥多動性障害)などが引き起こされる可能性は否定できない、との指摘も出た。つまり、国を上げて、これらの問題を引き起こす「有害物質」の特定をし、その物質を排除するための速やかな対策を講じなければならないということである。
 子どもたちを取り囲む環境は、一層厳しいものになっていると思う。温暖化から公害の問題に至るまで、それらが「進化」しているために顕在化するまでに時間がかかり、因果関係が掴みにくくなっている。分子レベルで子どもたちに迫る危機。しかし、その有害物質を作り出し、消費しているのも私たちなのだから、何とも形容しがたい矛盾に行き着く。
 こうしたことを考えつつ七五三のご奉公をさせていただくと、人類の未来や子どもたちに対する責任と親としての責任を再認識させられる。経済至上主義ではなく、仏教の教えに基づいた「新しいパラダイム」を社会の基軸にできないだろうかと考えたりする。そして、一番手前のところで、「どうか、いろいろな恐ろしい問題から、子どもたちをお守りください」という御法さまへの御祈願に行き着く。
 そう、どうか、子どもたちをお守りください。そして、同時に一人一人が能動的に行動しなければならない時が迫ってきているとも思う。

夜明け前の本山・宥清寺

 23日から25日にかけて、本山奉仕会が開催された。私は、急遽この本山奉仕に参加される方々を受け入れ、お世話することとなり、3日間の中の最初の2日間だけ京都に帰り、このご奉公に当たらせていただいた。

 最初の「本山奉仕会」が行われたのは昭和27年とお聞きしたと思う(いまは確かに思い出せない)。その当時の偉大な御導師方が京都の宥清寺に集い、朝一番から御宝前のお給仕、内陣から外陣までのお掃除、回廊の雑巾がけなどをされたという。「これぞご信心!お給仕!」というお手本を、当時の御導師方はお示しくださったのだろう。以来、198回にわたって本山奉仕のご奉公は続けられてきた。昨年までの3年間は、佛立開講150年を記念して全国の住職方が参集し、本山奉仕のご奉公に上がった。私はちょうど1年前、この第196回の本山奉仕に当たらせていただいた。

 それにしても、いろいろな理由があって急遽担当することになった本山奉仕だが、今回は「寺院・教会の役員の部」と題して、支庁・布教区から代表者がお集まりくださった。住職や御講師方の本山奉仕とは全く違った感慨で、各寺院で幹部としてご奉公をされている講務の方々の本山奉仕を拝見することが出来た。私にとっては、こちらの方が刺激になる。

 受付のご奉公をさせていただき、一人一人にプログラム等をお渡しした。点呼を取り、班を編制し、これからの3日間の本山奉仕に於ける注意事項、集合時間、服装などを説明。点呼から開行式などで進行させていただいたが、なかなか難しい。その夜は法悦殿に泊まって本山奉仕の進行管理をさせていただく。

 朝、5時15分に起床し、5時45分に庫裡に集合。右の写真は暗くて見えないかも知れないが、本堂の回廊をお掃除されている本山奉仕の方々である。気温は4度~6度。京都の中でも、北野は本当に冷える。本山修行中の、身体の芯まで冷える寒さを思い出した。本山の御講師が、今回の本山奉仕は歴史に残るほどの寒さだと言っておられた。そんな中、みなさんは雑巾を絞り、一生懸命に本山の回廊をお掃除くださった。

 夜明け前の本山、厳かな本堂内。お給仕、お掃除の終わった本堂内は、一瞬の静寂が訪れ、続いてお参詣者の唱題の声。何ともいえない雰囲気がある。

 実は、ご信者ではない外国の方を京都にお連れし、観光案内をしたことがある。みなさんもご存じのような京都の観光地、特に金閣寺や竜安寺などの観光寺院にも連れてゆき、庭などを見せた。仕方ない、海外でも有名な場所なのだから。

 しかし、そこに引き続いて、私は彼らを本山・宥清寺にお連れしたのである。本堂に案内し、御宝前の前に座っていただき、少しだけ御題目をお唱えさせていただいた。

 ご信者ではない外国の方。京都を後にする前に感想を聞いてみた。「私が連れて行った中で、どこが一番素敵だった?」と。すると、なんと「ゆーせーじ!」と答えるではないか。ご信者ではないのに!「え?なんで?」と聞いてみると、「いや、何ともいえない荘厳な雰囲気があって、感動したのです」と。

 ありがたい。その本山を、御本意に叶うように護持させていただかなければならない。歴史的建造物とか、宝物があるからとか、そういうことではなく、生きたご信心で護持しなければならない。ご弘通で護持しなければならない。

 とにかく、本山奉仕の方々の、純粋なご信心の姿勢、必死のお看経の姿には感激した。勉強させていただいた。幹部の方々が、本山の本堂で、このように修行されているということも、少し知っていただきたいと思い、ブログに載せさせていただいた。本当に真剣に、真摯に、ご奉公くださっていた。

 ありがたい。

 

2007年11月22日木曜日

ご奉公の結実!!高祖会盛大奉修 

 本年を締めくくる高祖会が、11月10日、11日と2日間にわたって奉修された。特に、小林日元上人を奉修御導師お迎えしての日曜日は、天気予報を完全に覆し、好天の下での奉修となった。

 この天気については、後日談というか、当日談がある。毎度、奉修局ではYahooなどで天気図やアメダスをチェックしている。そこで逐一「雨雲の動き」などアニメーション画面で天候の変化をチェックするのだが、この日曜日はどう見ても神奈川県の横浜地域を雨雲が避けるようにして二手に分かれていたというのだ。嘘のような話だが、担当者云く「ホントーです!」とのこと。ありがたい。不思議なものだ。

 小林御導師は、私の尊敬するご弘通家。はじめてお会いしたのは先住のお怪我の直後だった。当時、先住のお怪我は非常にセンセーショナルで、家族の思いとは裏腹にいろいろな怪情報などが飛び交って、たまらなかった。お折伏というか詮索というか、もう父を失うかもしれないという不安の中で、そうしたものに翻弄されて涙が止まらなかった。

 そんな時、鈴江御導師はいち早く「必ず御利益を頂戴する。現証を顕してくださる」と仰ってくださり、私たちはその暖かいお言葉にお縋りして御宝前に座り、御祈願をし、看病をしていたのだ。そして、あれは先住のお怪我からほんの数日後だったと思うが、名古屋・建国寺の石川御導師と博多・光薫寺の小林御導師のお二人が、わざわざ横浜・妙深寺にまでお出で下さった。私は打ちひしがれて本堂の後にある御控之間でご挨拶をお受けすることになった。当時、私は24才だった。

 石川御導師と小林御導師は、落ち着き、そして威厳がありつつもご丁寧に、本当の心の底からの労りとお慈悲をもってお言葉をかけてくださった。ここでもしものことがあったら一大事であり、宗門にとって致命的なことになる、何としてもここで現証の御利益を顕していただきたい、と。この時の、断固とした優しいお言葉を、私は絶対に忘れないと心に誓っている。

 こうした決定的な瞬間に来てくださり、お助行してくださり、真心からのお言葉をかけてくださることが、どれだけ傷ついた家族を救うか。私は身を以て体験させていただいた。だからこそ、自分自身も、教務諸師も、いざという時に動けなければご奉公にならん、と言っている。それが深夜だろうと何だろうと、火消しと同じ。駆けつけてご奉公していただきたい、と。それはその家族の心に一生刻まれる。

 私にとって光薫寺の小林御導師は最も苦しい時にお助行くださった変化(へんげ)の菩薩。後に、両御導師の息子さんを妙深寺で預かることになるとは、先住のお怪我の時には思いも寄らなかった。先住が現証の御利益によって、49日間の意識不明の果てに完全復活してから間もなく、小林信翠師(当時は横浜国大の大学院生である要慈くん)と石川清優師(同じく当時は大学生の英樹くん)を妙深寺でお預かりすることになった。

 私は妙深寺の本堂にある四畳半の教務室に寝泊まりしていたのだが、この二人は先住とご一緒の庫裡に住むことになった。まぁ、特にこの信翠師は頭が良くて、僕なんかとは全く正反対の性格で、ケンケンガクガクの議論をしたものだ。理屈ばっかりこねていると、「うるへ~!」と怒鳴りたくなるので、兄弟のように喧嘩というか、じゃれたものだ。清優師も、先住のスタイルもあって、本当の家族のように暮らした。考えてみると、よく妙深寺に息子さんを預けられたものだと小林御導師と石川御導師の決断に驚くと共に、今ではご弘通の上での友であり、良いご奉公をどれだけできているか競うライバルだ。決して情実に流されることなく、ご弘通を真っ正面から語り合える朋友、法友として、深い絆ができた。それも計算されていたのだろうか分からないが、両御導師とはそういう方だった。

 まさに、念願叶って小林御導師の御唱導をいただいた。御導師の御法門は来月号の寺報に詳しく掲載させていただきたいと思っている。その内容は、「現証」には4つの相があるということ。

「法難」「御利生」「お知らせ」「御罰」である、と。この御法門は、ビデオ撮影をしていたひろし君などの目を開いた。ひろし君は大感激していた。

 高祖会も、今年のご奉公を踏襲して、御導師にわがままを言って特別の法要式。まずは、一年間の妙深寺で溢れた笑顔をVTRにして放映。奉修前に「高祖会」の意味を解説するアナウンスを入れる。そこで、司会者から奉修御導師についてもご紹介。

 続けて、ゆっくりお迎えの御題目をお唱えし、その中を奉修御導師、出座御導師、御講師方が着座。無始已来の唱和、如来滅は拝誦せずそのまま高祖会奉修の言上をお願いし、続けて唱題。ここまで10分。そして、そこから奉修御導師御法門を頂戴する。

 妙深寺の三大会は、「お教化の出来る御会式」でなければならない、と言っている。妙講一座の拝誦の仕方、法要式については導師に一任されているのが開導聖人の御指南である。考えに考えさせてもらうと、最もご信心の尊さを届けたい人、ご信心に対して斜に構えているような息子さん、娘さん、お孫さん、お友だちなどは、御題目を唱える前の前置きが長すぎると、我慢できなくてすぐにパッと本堂から出て行ってしまう。それをしないために、説明をしっかりした後は、一気に「御題目口唱」「御法門」「御題目口唱」と持って行きたいのだ。そういうことを考えて、奉修をお願いしている。

 開導会で岩崎さんという女性がお教化になった。御会式終了後には本堂の後ろでお連れしたお友だちなどと談笑しながらご信心のことを語り、そこでお教化になる。岩崎さんもその一人だった。この方は、ずっと死のうと思って歩いていたという。そこに柴山さんが妙深寺のチラシを持って、フラッとお寺参詣を紹介された。そして、開導会にお参詣して、私も本堂の後ろで岩崎さんにお会いした。そして、ご信心をされるようになり、夕方になると柴山家で一緒に夕看経をし、御題目口唱をテープに撮り、家でも御題目をお聞きするようになられた。今では、あれほど死のうと思って悩んでおられた家庭内の問題も解決に向かい、御講席には欠かさずにお参詣されている。

 今回の高祖会でも、たくさんのお教化が出来た。有難いことだ。小林御導師の御法門はもちろん、ご奉公で疲れているにもかかわらず奉修後にたくさんのお話をお友だちにして、ご信心の有難さをお伝えし、私も御導師をお見送りした後にそうした方々とお話をさせていただいて、そして御本尊拝受のお願いをお受けした。

 何と何と有難いことだろう。毎日、有難いことばっかり。ゆっくりデスクに座れないのがいけない。キチンと定期的にブログも更新します。15時からご奉公なので、また怒濤の更新ラッシュをしようと思う。

 昨日で11月の御講が全て終了したので、ちょっとだけ時間が出来た。では、怒濤の更新ラッシュを乞うご期待!

2007年11月21日水曜日

いま、新幹線を待ち

 いま、新幹線を待って上田駅。ずいぶん寒くなってきたなぁ。

2007年11月18日日曜日

ちょっと、すいません

 京都から横浜、忙しい日々が続く。しかし、とても充実していて、心は身体の疲れとは裏腹。16日の御総講には園美さんと夕香菜と、そのお友だちがお参詣してくださり、ひろし君のお薦めによって一緒に留学する彼女もご信心をすることになった。なんて有難いことだろう。ありがたーい。
 週末、七五三の祝い参詣のご奉公。毎日、ご家族のお参詣が続く。日曜日の今日は19組のご家族がお参詣され、七五三のお参詣。すっごく盛り上がって、こんなに大勢のご家族がお参詣してくれるなんて、もう感激、感謝。
 日曜日、七五三に続いて、中央連合の教区御講が13時30分、湘南連合の教区御講が16時から奉修された。昨日の土曜日、京浜の御講がお席を溢れるほどの72名のお参詣だったので本当に驚いた。部屋からお参詣者が溢れていて、立ち見というか、立って御法門を聴聞されていたり、その後の話を聞いておられたりしていた。今日の湘南の御講席も50名を越すお参詣で、とても盛り上り、充実していた。涙あり、笑いあり。ありがたーい。
 話は変わるが、ひろし君は、いつも矢沢永吉の「A DAY」を歌う。今日、清仁師にお願いして、その歌を聴かせていただいた。本当に良い曲でびっくり。ひろし君については、またゆっくりと報告を書かせてもらいたいと思っているが、ひろし君は根性の入った人でなければ出来ない「修行」をしている。そして、その修行の中で、本門佛立宗の「現証の御利益」を体感されていて、本当に有難い。
 また、続けて書かせていただかなければならないなぁ。まとまって時間が取れず、ブログに書きたいことが溜まっていく。ひろし君の記事は、「男・ひろしの百本祈願」にしよっと。でも、ほんと、最近の更新は気まぐれで申し訳ない。
 全国で、とても寒い風が吹いているらしい。今日の御講席では気づかなかったのだが、外に出たときに木枯らしのような寒さを感じた。風邪などを引かないように気をつけていただきたい。
 アンゴラでは正体不明の病気が蔓延して、すでに多くの方が亡くなっているという。また新しい病気が誕生したのだろうか、HIVのように。イギリスから鳥インフルエンザのニュースもあったし、バングラディッシュのサイクロンでは数千人の方が亡くなったという。痛ましい出来事が続いている。
 「薬は増えたが、病気も増えた」と、現代に生きる私たちが肝に銘じなければならないことが身近に迫っている。抗生物質や手術の技術が向上しても、病気は次から次へと増え続けている。自然も人間を痛みつけているようだ。ニュースで流れていたが、バングラディッシュで罹災した人々の映像。救援物資を運ぶヘリコプターは着地できず、上空から物資を落としていた。なぜなら、人々が物資に群がり、非常に危険な状態だから。海でおぼれている人を助けようと近づくと、おぼれている人ががむしゃらに助けを求めて飛びついてくる。そして、助ける方も、助けられる方も、共におぼれてしまうということがある。海の世界の人間ならば、まず最初に助け方を学ぶ。今のバングラディッシュの状況は、まさに地獄絵図なのかもしれない。映像を見ると、大人の男にまぎれて、赤ちゃんを抱える女性や幼い子どもたちもいた。何とかせねば。何かをせねば。
 何とか、みんなで支え合って生きていきたい。誰に対しても、寂しい想いをさせたくない。苦しい思いをさせたくない。しかし、不安定なこと、危険な様相は、広がり、増え続けている。南無妙法蓮華経。

2007年11月14日水曜日

高祖会の感動を

 11月10日、11日と妙深寺の平成19年度、高祖日蓮大菩薩・御会式を奉修させていただいた。妙深寺では、この一年で最も大きく、特別な行事である高祖会は、2日間かけて土曜日に第一座、日曜日に第二座、第三座と奉修させていただく。

 「御会式(おえしき)」とは、お祖師さま(日蓮聖人)の祥月御命日にあわせて(近い週末を選び)各寺院の教講一同が会して報恩の一座を営むもの。本門佛立宗では、この「御会式(高祖会)」と、門祖日隆聖人の「門祖会」、開導日扇聖人の「開導会」を合わせる、「三大会(さんだいえ)」と呼んでご奉公させていただいている。お寺の一大行事である。

 今回の御会式は、またまたいろいろな工夫を凝らしてご奉公させていただいた。御唱導の栄を賜ることができたのは、九州博多・光薫寺の小林日元上人。光薫寺といえば、本当にご弘通の思いの熱い、活気に溢れたお寺で有名である。何より良い御弟子さんがたくさんおられる。私も何度かお伺いをしたことがあるが、一騎当千のお講師方に圧倒された。「御弟子さんを見れば、その師匠、そのお寺が分かる」と言われるが、なるほどと思った。そして、あの頃から数年が経って、小林信翠師も本当に情熱的な弘通家の片鱗を見せているし、荒木源定師は手作りのお道具をご信者さんみんなと一緒に作りながら親会場を建立。「無より有を生ずる」ご奉公を展開してくれている。ありがたい。

 週末の予報はずっと雨のままだった。土曜日も日曜日も残念ながら雨の予報。ご祈願を続けさせていただいてきたものの、土曜日の朝は雨が降っていた。これは私の罪障。お参詣者の皆さまには申し訳なく思った。

 しかし、本堂は、全く入りきらないほどのお参詣者で、完全に溢れていた。もともと妙深寺でも、御会式は日曜日だけの奉修だった。それが土曜日に「前日の座」として奉修し、お身体の不自由な方に車で本堂玄関まで入れるようにしようと考えて始まった。何年前だっただろうか、私は参詣部の参与をしており、この前日の座のお参詣者数を本堂の上の小窓からカウントしたことがある。その当時で150名を少し上回る程度だった。

 その「前日の座」を「第一座」として奉修させていただくようになってから、徐々にお参詣者が増えてきた。この高祖会では、光薫寺からのお参詣者数を外しても397名のお参詣があった。10数年前から比べると倍以上のお参詣者だ。土曜日のニーズが多いのだろうか。

 しかも、今回は特別な土曜日の奉修となった。その理由は、光薫寺からの団参者の方々が、この土曜日の座にお参詣されたからである。つまり、光薫寺の皆さまは横浜に2泊もしていただいたのだった。金曜日にはお祖師さまの御遺跡を巡り、土曜日の妙深寺高祖会の第一座にお参詣。

 何と言っても、ご弘通に定評のある光薫寺の皆さまである。とても緊張した。しかし、緊張して力み過ぎてもいけないし、突然良いご奉公をしようと思っても出来るわけがない。いつものようにご奉公、御法門させていただこうと頑張らせてもらった。

 そして、第一座の終了後、光薫寺と妙深寺の交流会が企画され、和やかな中で実施された。このご奉公は、神奈川布教区のオレンジ会でもチーフ・ディレクターとしてご奉公して下さっている杉崎さんの力がなければ決して出来ないご奉公。杉崎さんの企画は、コミュニケーションの下手な私たちを、いつも上手に導いてくれて、素敵な和を作ってくれる。もちろん、ご信者さん同士は、さすがにあっという間にうち解ける。

 最初は自己紹介をしながら5人の人を見つけて握手。そして、本堂のイスを三角形にしてグループに分け、その中に話をリードする人が決まっており、自己紹介をしたり、「ありがたーい話」をしよう!と声をかけてディスカッション。もう、本堂のあちこちで、笑い声や拍手喝采。これは、見ている私も驚いた。

 この交流会の最後には、光薫寺の方から次々と素晴らしい体験談が語られた。別の機会に載せさせていただきたいと思うが、親子のこと、仕事と家庭とご信心、嫁いだ先のご信心、最初の御講で感じたこと、ご主人の事故、改良、御利益、と次々に素晴らしい話が飛び出した。ありがたかったぁ。

 最後に、みんなで記念撮影。笑顔に満ちた高祖会。大盛り上がりだった。

 っえ?これって高祖会?そう、すごい御会式でしょ~。こんなに他寺院の方と交流できて、じっくりとご弘通の刺激をもらえて、ご利益談で涙して、冗談に笑いあって、最高の高祖会になった。まだ、第二座と第三座のご報告をしなければならないが、本当に心から光薫寺の御導師、お講師方、お参詣の皆さまに御礼を申し上げたい。ありがとうございました。

 そして、妙深寺のご奉公者のみなさま。本当に、本当に、ありがとうございました。


2007年11月13日火曜日

69才のピアニスト

 サメは止まっていると窒息してしまうらしい。他の魚にも同様のものがあるというが、彼らはエラ呼吸が出来ないためにずっと泳いでいなければならないらしい。どうやら、私もそうなんだと思う。

 ずっと以前からお願いし、お約束していたことがあり、ちょうど高祖会奉修後の日曜日、それが実現した。高祖会のご奉公ほど大きな行事が終わるとホッと一息というのが普通なのだろうが、止まっていることは性に合わない。夜にはお約束した場所に一人で向かった。

 以前、妙深寺の奉修御導師もお勤めいただいた御導師で、私の父と渋谷・乗泉寺修行時代からのご友人。その御導師と奥さま、お嬢様と待ち合わせをして、ある場所に向かった。

 私の父はJAZZが好きで、家の押し入れには廃盤のようなJAZZのレコードが山積みになっている。今やレコードをかける機械が壊れてしまっているので回して聴いたことはない。しかし、いつか父の好きだった音楽を聴いてみるのも良いだろうと楽しみにしている。

 渋谷修行時代からのご友人である御導師も、父と同様にJAZZがお好きだとお聞きしていた。私は勝手に、父とは過ごせなかった時間を、御導師に父親代わりになっていただいて実現してみようと思うようになった。そして、数ヶ月前から「一緒にJAZZを聞きに行ってください。連れて行ってください」とお願いしていたのだ。そして、その願いが叶う日が11月11日の日曜日だった。

 高祖会のご奉公が無事に円成した後、18時を過ぎて、表参道にあるBlue Note Tokyoに向かった。実は、御導師のお嬢様は永年ここに勤めておられたという。すごい。御導師もJAZZがお好きで、奥さまもJAZZがお好き。その影響で、彼女もJAZZが好きになり、このお店で海外のアーチストたちのコーディネートを手がけてこられた。特に、彼女は世界的なベーシストのレイ・ブラウンと深い親交を結んでいたとお聞きした。来日した折には、彼女でなければダメと言っていたほどらしい。ありがたい。素晴らしい人格を、世界的なアーチストから認められたのだろう。さすが、御導師のお嬢さま。

 その彼女のコーディネートもあり、日曜の夜のBlue Note Tokyoは、素晴らしいシートだった。感慨深く御導師と一緒に座り、とにかく疲れた心と身体に、父を思いながらJAZZの旋律を血液に入れさせてもらった。その夜は、お嬢様のお薦めもあり、「McCOY TYNER TRIO with special guest GARY BARTZ」と題したセッションだった。McCoyは、69才だという。その69才のピアニストの織りなす音楽に、あっという間に魅了されてしまった。

 もちろん、高齢のためか、素人の私が聴いていても、ミスタッチやリズムの外れることもがある。しかし、その全てが、彼の全てに照らして素晴らしい「音」だと感じられた。また、ドラムスの何とも言えないリズムがいつまでも耳に残っていて心地よかった。

 考えてみれば、69才になってもピアニストの彼は世界中を飛び回り、多くの人を魅了し続けている。自分で音を作り、組み立て、セッションに入るゲストとリハーサルを重ねて、彼の音を聞きに来る人たちを楽しませよう、喜ばせようとプロ根性を燃やしている。自分が69才になった時にも、元気でこうした生き方が出来ているだろうか。人を心から喜ばせ、心から楽しませることが出来るだろうか。

 プロ根性。どんなに高齢でも味わいのあるセッションが出来るはずだ。教務、導師として、私もそうなりたいし、そうでありたい。日本中、世界中を精力的に飛び回り、ご弘通させていただきたい。どんなに高齢になっても、体力を維持してご奉公させていただきたい。ある意味で、「音」を織りなすのが本門佛立宗の導師という者なのだから。

 「この公演が最後かも知れない」とお嬢様から聞いた。本当に貴重な機会に参加できたと思う。高祖会の疲れも出ない。一瞬一瞬が充実している。また勉強させていただいた。公演を終えて、一人で東横線に乗り、たくさんの人の顔を見ながら反町まで帰ってきた。疲れていたと思うが清顕師に連絡をして、反町まで迎えに来てもらった。

 本当に、感動の高祖会と共に、素敵な体験をさせていただいた。

気をつけて‼️その電話、詐欺です‼️

  みなさん!気をつけて! 妙深寺の寺務所からお知らせです。 「今日、私の携帯に、総務省 総合通信基盤局 データ通信課の山田シンタロウさんから電話があり、私の名義で、8月21日にドコモショップ新静岡店で契約した携帯から違法メールがバンバン送られているとの事でした。 相手の方は私の...