2008年10月30日木曜日

平塚、九州、福岡

 29日は、駆け足で飛び回った感がある。
 前夜、寺報の巻頭言を書き終えて、翌日はお昼過ぎに平塚に向かった。妙深寺のある三ツ沢は、横浜でも交通の便がいい。鉄道でもJRの横浜駅と新幹線の新横浜駅の中央にあり、車でも首都高速、横浜新道、第三京浜の集合点、入り口にすぐの場所。資料をプリントしていて時間がなくなり、高速道路を使って平塚へ出発。横浜新道から保土ヶ谷バイパス、東名高速を使って平塚まで40分程度で行ってしまった。
 きれいな本堂にお参詣させていただき、ありがたかった。平塚の上行寺はお参詣させていただくたびに勉強になる。それは、上行寺の婦人会の方々のご奉公の姿勢が、本当にすばらしいからだ。ご信心は「給仕第一」ともいわれ、お給仕を実践させていただかなければいけない。上行寺では、私が子どもの頃から、お導師やご住職に対するお給仕が一段と徹底されていて、幼いながら感じるものがあった。
 上行寺では、14時から神奈川布教区の住職会。神奈川県下の本門佛立宗寺院の住職が集って、来年度のご奉公のことなど、さまざまなご奉公についてお話をする。ただ、今回の住職会は、16時35分の羽田発のフライトで福岡に向かわなければならないので、失礼ながら中座させていただいた。
 平塚から国道一号線を今度は北へ。羽田に着いたのは15時50分くらい。ひろし君と合流して、そのまま搭乗。福岡に到着したのは18時20分くらい。そのままタクシーで光薫寺にお参詣させていただいた。すでに、会議のために北九州や熊本からご奉公の青年たちが集まってくださっていた。全国から、私たち弘通研究班のメンバーも集まってこられていた。
 光薫寺の本堂も、またすばらしい。広い本堂は、きわめて荘厳。現在、ご本尊がご修復にお出ましになられており、驚くべきことに妙深寺の日博上人ご染筆のご本尊がご安置されておられる。不思議な気持ちと、あぁ、ありがたい、つくづく思いながら、ご挨拶させていただいた。
 会議は、第3回 青少年の一座について、その骨子を決める内容だった。九州らしい、非常に強いご信心と斬新な発想があいまって、期待が膨らむ。真剣にご奉公に取り組んでおられる青年会の方々に、まだ第2回の時と同じように感動した。本当に、ありがたい。来年が楽しみである。



2008年10月29日水曜日

ケーグルでの御講

 今朝は眠かった。何とか4時過ぎに寺報の原稿を完成させた。満足できないものだが、仕方ない。先生にも言われたしなぁ、難しいって。どうしても頭の中で設定している対告衆(説かせていただく相手)があって、文章や内容も確信犯的なのですが。でも、納得いかないなぁ。来月はもっと時間をかけて、頑張ろう。
 さて、スリランカの件。象の孤児院を後にして、ケーグル地域のヘラスさんの家へ。このお宅はキャンディロードから山を少し登らなければならない。いつもは車だが、今回の大型バスは入れないので歩く。雨期ということもあり、パラパラと雨が降っていた。きつい坂道をみんなで歩いていく。
 上の写真がその道のりなのだが、両側に濃い緑が茂っているのが見えると思う。そう、スリランカは緑豊かな国で、「住宅街」といってもジャングルのようなところが多い。私もお助行に廻らせていただいている時、このことを痛感した。その時、ミランダさんに運転してもらって、各お宅を廻っていたのだが、ある芸術家のお宅の近くになってミランダさんが、「ねぇ、この辺は素晴らしい住宅街でしょう?」と聞いてきた。どこから見ても鬱蒼としたジャングルで、家など何処にも見えない。「え?ここが住宅街?へー?」と驚いて答えてしまった。柴山局長は、コロンボや郊外などの街並みを見て、昭和30年代の日本のようだと仰っていたが、そうなのだろう。日本でも、所々剥げたアスファルトの道、隣近所との近さ、郊外に出ると木々が生い茂っているというの普通だったのだろう。
 既に書いたが、ヘラスさんは英語教師で、この地域のご信者さんは教師の方が多い。ヘラスさんの御講の前にこの州の知事のお宅に伺った。その奥さんから、どうしても一座の口唱をしていただきたいということで、懐中御本尊をお掛けして御題目をお唱えさせていただいた。どのような場合でも、ご弘通の勝縁とさせていただく。この地域でご弘通が進展するように、一座の口唱会も意味があった。
 ヘラスさんの家のニプナ君は妙深寺ではお馴染み。お参詣してくれてから3年以上が経過するのだから、随分と大人になった。まぁ、眉毛も濃くなっちゃって。妹さんはハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーに似ている(と勝手に言って談笑していたのだが)。みんな、素直にご信心をされ、いつもご利益談をメールしてくれる。有難い。
 この時も、本当にお参詣を喜んび、御講の席主となれたことに感謝しておられた。サンドイッチやケーキ、紅茶など、ご供養にも力を入れて、私たちを待ってくださっていた。この地域の御講は、私のイメージでは夜になることが多い。すると、いつもヘラス家手作りのスリランカ料理をご供養してくださる。カレーやホッパー(これが、本当に美味しい。お米で出来ているのだが、見た目はインスタントラーメンの麺のようだが、とても柔らかく、カレーなどに混ぜると絶妙)、野菜料理など、美味しい家庭料理に舌鼓を打たせていただいている。本当に美味しくて、ありがたい。
 和やかな雰囲気の中、御講が奉修された。時間が無く、若い人たちはメールアドレスを交換したり、連絡先を教え合ったりしていたのだが、とても名残惜しく、早々にバスに向かった。次のプログラムは、世界遺産・キャンディ。いよいよ、本格的な北部の街。仏歯寺に18時までに到着しなければならない。その前に着替えなければならないので、近くのおみやげ屋さんを借りて改良服にお召し替えいただく。

うー、眠い

 眠い。寺報の原稿書き。ネムネムです。もう、何とか、不満足度100%ですが、書き終えたので、寝ます。明日から九州だし、今夜しか時間が取れませんでしたから。

2008年10月28日火曜日

清水の清啓寺

 清水の清啓寺は、日博上人時代から御縁の深いお寺。昨日から修学塾のためにお参詣させていただき、修学塾の授業をさせていただいている。東名高速を走り、海を見ながら静岡県清水市へ。
 何度か書かせていただいたが、修学塾とは弘通学、宗学、法門学を教務が研鑽する塾で、各支庁毎に行われている。私は第二等学級から第四等学級までの若い御講師方に弘通学として授業を担当している。「弘通学」とは、なかなか難しい授業で、彼らのご弘通ご奉公に資する、明日からでも活用できるようなものでなければならず、資料や事例を用いること、彼らからの発言、本音、質問を話していただき、それに対して応えてゆく。
 各寺院、さまざまな状況の中でご奉公に励んでおられる。ご弘通ご奉公を進める上で、悩んでいることもある。悩んでいて当然。悩んでいない者の方が恐ろしいし、おかしい。これでいいのか、どうしたらよりご信者に仏教の真髄、菩薩行への信心的昇華、転換を与えられるか、功徳を積んでいただき、罪障を消滅し、現証の御利益を感得していただけるか。日々に、それに対峙して悩み、ご奉公してくれている。「これで我よしと思へば怠りぬ」である。「これでいいや」と思う心こそ、恐ろしい。
 また、今朝から授業は続いており、昨夜は清水に泊まらせていただいた。朝、窓から見える清水港が綺麗だった。清啓寺は、本当に青年層の方々が活躍している。お寺の幹部の方々も活き活きとご信心に励まれている。その家族ぐるみのご信心がまとまっていて羨ましい。お助行につぐお助行の輪が、いまのお寺の温かい空気を作り出しているのだろうと思う。
 米津くんなど、有望な青年がたくさんいる。米津くんは鵜飼師の幼い頃から近所に住む友人だったそうで、何十年も前から清啓寺に出入りしていた。家やお寺に遊びに来る度に、鵜飼師のお父さま、行歓師からご信心の話を聞いていたそうだ。そして、鵜飼師が得度するという折に、「俺もご信心させていただきたい」と申し出て、翌年のお正月に決心してご信心を始められた。
 第2回 青少年の一座でも、米津くんなど清啓寺の青年会は大活躍してくれた。ムードメーカーのように、この遠い静岡から東京まで何度も会議やご奉公に足を運び、頑張ってくれていた。ご奉公を進める中で、塩田委員長が当初から言っていたように、ご奉公中にご信心が増進し、お教化ができるようにさせてもらおう、まず委員会のご奉公者からご信心を奮い立たせよう、との言葉を、行動をもって実践してくれていた。清啓寺でのお助行、100本祈願、お教化など、良いニュースをたくさんもたらしてくれた。第3回 青少年の一座の会議に明日から行かせていただくが、また、そのご奉公の中でも、良いムードメーカーがたくさん現れて、本当の意味でご奉公者から佛立信者らしい心の豊かさを育んでもらいたい。
 清啓寺の窓からは、富士山が綺麗に見える。すばらしい雄姿だ。雲も綺麗。雲、大好きだ。鵜飼師も頑張っているなぁ。スリランカから帰国して、まだ日も浅いが、頑張っている姿が有難い。
 こうした活き活きした寺院の声が、全国から聞こえてくる。もちろん、課題はたくさんあるだろうが、教務が本気でご奉公させていただけば、現証の御利益、希望は溢れてくるもの。ありがたいことだと思う。

2008年10月27日月曜日

衣美ちゃんからのメール

 スリランカについて、時間をかけて書き足していきたいのだが、最年少の16才で参加した衣美ちゃんからメールが来たので紹介させていただきたい。

 衣美ちゃんは、鵜飼師の姪御さんということだったのだが、スリランカの空港でお会いした時には年齢が分からなかった。聞いてみると16才の高校生ということで、ご両親はどれほど心配しておられるだろうと心を痛めていたのだが、帰国後に彼女からメールをいただいて頭が下がった。ほんと、ご両親のご信心は半端ではない。ご家族そのものが、強いご信心で結ばれている。ありがたい。

 写真を見ていただいても分かるとおり、大変な美少女なのだがサリーを着ると大人の女性のようで驚いた。今日、清啓寺に修学塾のためにお参詣させていただくと、偶然に衣美ちゃんに会うことが出来た。高校の制服を着ていて、やはり高校生なのだとあらためて気づいたような次第。いただいたメールをブログに載せても良いですか?と聞くと、元気に快諾してくれた。

 やはり、スリランカへの渡航が、彼女の人生の中でも貴重な体験になったようで、これからのご奉公に期待できる。嬉しいなぁ。こんな若い世代の人たちが、ご信心の有難いことを実感し、力強い誓いを立て、未来を志向している。嬉しい(涙)。

 ただ、やはり今回のスリランカは危険な情報がたくさんあったことも事実。組織としては、いろいろと考えなければならないこともあり、個人個人の判断に委ねることになった。それはそれで仕方ないのだ。大事なことは、ご家族の御法さまやご弘通に対する思いであり、家族同士の会話である。見習いたいものだ。こんなに真摯な、素敵なご家族がいる。それを、素直に受け止める衣美ちゃんも、とても偉い。口数は決して多い方ではなく、話し始めると「タメ語」で幼さを感じるのだが、このメール、本当に立派。清啓寺で出会った衣美ちゃん笑顔は、キラキラ輝いていた。

 下記、衣美ちゃんのメールを載せさせていただく。

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 ありがとうございます。

 今回、スリランカ開教10周年記念団参にお参詣させて頂いた静岡、清水・清啓寺のえみです。

 私がスリランカの御信者さんとお話して一番感じた事は、皆さんの素直・正直な心と信心です。そして一番心に残っている事は瓜生さんも言われてましたが、今回の団参の御参詣者がスリランカの治安が悪かったために約半分になってしまったことにたいしてアベイさんの息子さんが言っていた言葉でした。私はその言葉を聞いて今までの自分のご信心に対する思いを反省しました。

 私も実はスリランカの状況を知り、一度団参をキャンセルしました。清晋師より「一度御宝前にお約束したのだから遊びじゃないんだ。ご奉公だよ。行かせて頂きなさい」と御折伏を頂き、祖母からは「行かないの?もったいないわ御奉公なのに。大丈夫よ!お看経しっかりあげれば。」両親からは「死ぬときは日本にいたって死ぬんだから。腹を決めなさい。」なんて親かと思いました・・・「もう死んだってしらないから」と半ばやけくそ状態でのギリギリの再申し込みと出発でした。しかし、違ったんです。

 この最高のお題目をお唱えしご信心させて頂いててお守り頂けないはずがないじゃないか。迷っていた自分がすごく恥ずかしくて情けなくて・・・なにもかもがご利益です。

 団参でご一緒させて頂いた御導師様、御講師様、ご信者さん、青年会の方々とお話したすべてが新鮮で本当にありがたかったです。

 同じお部屋だった瓜生さんはお母さんのように世話してくれて、青年会のお姉さん達には本当のお姉さん(これでも私は長女なので、お姉ちゃんがいたらこんな感じかなと)のように優しくしてくれてとてもうれしかったです。 また一緒にご奉公させて頂きたいです。

 今回の団参で見たこと聞いたこと感じたことすべてをスリランカの方達と同じ気持ちでこれからのご奉公にいかしてゆきたいです。

 ありがとうございました。

 話が変わりますが、さっきチャンダ・ナンダさんから電話がありました。約1分間くらいお話できました。「もしもし、チャンダ・ナンダです。ありがとうございます。」その後は会話が成立したかわかりませんが・・・・・こうして国境を越えご信心でつながっています。本当にありがたいです。

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 もー、うれしー。すっごく、うれしい。16才です、16才。16才の子が、こんな風に、ご信者さんとしても、国際貢献しようとする一人の人間としても、書けますかぁ?すごいじゃないですか。すごいです。もう、スーパー高校生です。おじさん、嬉しくて、仕方ないです。ありがたーい。

 頑張ってね、衣美ちゃん!

2008年10月26日日曜日

BMICHの毛沢東

 スリランカは、その歴史的な経緯から、各国の支援によって発展を遂げてきた。
 驚くべきことに、いつも海外でのご奉公が終わると、テレビでその国についての特集や話題が放送される。イスラエルから帰った直後も、イスラエルで起きているパレスチナとイスラエル軍の交戦、パレスチナ自治区を取り囲んで建設されている「壁」について放送があった。私も自分の眼で見てきたばかりだったので、深く思うところがあった。
 ブラジルから帰国した時にも、当然ながら日系人ブラジル移民についての放送があり、イタリアからの帰りにもイタリア特集が放送されていた。
 そして、昨日、NHK特集で、またスリランカの世界遺産、私たちが入った仏歯寺についての特集が放送されていた。また、シンハラ人とタミール人の抗争、テロや紛争が続くスリランカについて深く掘り下げ、それぞれの民族にインタビューを重ねて、実際には非常に限定的で、ほとんどのスリランカ人が平和と協調・共存を望んでいることを明らかにしてくれていた。有難い。そうなのだ。本当に、そうなのだから。
 BMICHは、中国政府からの援助・供与によって建設されたという。立派な大ホールだが、2階の巨大なエントランスの中に、大きな胸像が2つあった。近づいて見てみると、それは毛沢東と周恩来の胸像だった。不思議な気持ちだ。不安定で、発展途上のスリランカに、各国の援助が入り乱れている。それは、きっと必要な支援なのだろう。しかし、それぞれの思惑が重なって、胸像を見ながら複雑な気持ちになった。
 スリランカは、恥ずかしい一面もある。世界の中で、これほどまでに大臣の多い国はない。僧侶が国家公務員的に各省庁に配置されているから、汚職などは是正されるかと思いきや、政治は極めて腐敗しているという。貧しく、まだ発展途上にあるスリランカ。どうか、様々な国の思惑に翻弄されることなく、政治的な腐敗がこれ以上続くこともなく、豊かで、人々にとって本当の意味の「発展」を遂げて欲しいと思う。私たちは、スリランカの政治などに興味はない。それは、国家や国民の努力で、あるべき方向に進んでいくだろう。しかし、その人間の営みの根底に「ご信心」をお届けし、スリランカが真に豊かになるために、その一助として、草の根の、本質的な支援、ご弘通ご奉公を続けさせていただきたいと思う。

妙高山の紅葉

 今日は千葉で御講席。
 昨夜は19時から補講を奉修させていただき、その後に教養会感のガラスの間でボーズ・バー。篠原さんがマウス・オルガンを演奏してくださった。
 篠原さんは補講にもお参詣くださり、そのままボーズ・バーでの演奏。その演奏、その音色に、みんな息を飲んで聴き入っていた。200年前の楽器といい、1820年頃にウィーンで生まれ、その後はドイツで改良・発展を遂げていったという。篠原さんの吹いておられるのは、「ハーモニカ」と呼ばれて普及する前の「マウス・オルガン」というもので、半音の出ない非常に難しいもの。終戦前は「口琴」と呼ばれていたことも調べてみると分かった。
 篠原さんは、病院や介護施設などを廻り、演奏会を行っておられる。また、特に篠原さんが心がけておられるのが寝たきりになった方の枕元に伺って行うと言っておられた。お医者さんも、家族まで本人の反応を諦めていたのに、涙がスーッと流れる。そういう活動をしておられる篠原さん。頭が下がる。今朝、一緒に本堂でお看経をさせていただき、庫裡の玄関の前で御講へのお見送りまでしていただいた。ありがたい。
 車で千葉まで。日曜日なので高速道路はとても空いていた。スムースに車は走り、あっという間に御講席の近くまで付いてしまった。少しの間、車の中で時間を過ごした。余りに早く御講席に着いたら、お参詣者にもご迷惑がかかるので。その車の中での待ち時間も、大切な時間。ここまで、深恭師に運転していただいて来たのだが、疲れからか眠ってしまっていたから。
 御講席では、遠く長野からもお参詣してくださっており、とても有難かった。新潟県に近い場所から、朝5時に出てこられたという。スリランカと同じくらい、日本にもこうしたご信者さんがおられる。有難い。すでに山の上には数回雪が積もったという。今年は例年よりも温かいということだが、それでも豪雪地域に住んでおられる方だ。紅葉は、妙高山の裾野まで下りてきているのだろう。京都も、既に紅葉が近づいているに違いない、と話していた。私は、そうした季節感に疎いので、「石田さんに聞かないと」と言って談笑していた。
 有難い御講席だった。こうした御講席、一席一席が、お参詣者のご信心を高め、お互いに磨き、ご弘通のご奉公の糧となるように、つくづく思う。帰りの車の中でも寝てしまった。疲れているのだなぁ。

瓜生さんからのメール

 瓜生さんからメールをいただいた。瓜生さんも、スマトラ沖地震・津波の直後に青年会を連れてスリランカに支援活動に来てくださっており、今回の団参は二度目のスリランカだった。

 お孫さんの芽衣ちゃんのこともあり、スリランカへの団参ご奉公については思い悩んでおられたと思うが、そうした思いを乗り越えて、お参詣してくださった。お一人お一人、いろいろな想いを抱いて、スリランカのご奉公に来てくださったことが本当に有難い。

 瓜生さんからのメールを拝見して、あらためて支援活動の時のことも思い出した。今では、あの時の映像は、事ある毎に紹介されている。グランデ・ファミリアでも、青少年の一座でも、本門佛立宗のご信心の尊さと広がりをお伝えするために、あの時の映像は使われているのだ。しかし、そうした影に、本当のご奉公、本物のご奉公があることを、どれだけの人が知っているだろうか。いろいろなことを乗り越えて、覚悟をして、ご奉公してくださった方々のお陰で、最近の国内の方々に紹介できるだけのものが生まれている。

 とにかく、下に瓜生さんからのメールを紹介させいただく。

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 ありがとうございます。

 スリランカの団参ではご住職とゆっくりお話しする機会もございませんでしたが、本当にお疲れ様でした。

 終わってみればといってしまえばそれまでですか、思ったよりという思いをもたれた方もおられるかもしれません。

 初日のお看経をいただきながら、本当に福岡御導師、ご住職のこれまでのご苦労が、そしてやっと10年が迎えられたという感慨で、涙が止まりませんでした。

 これほどまでに、私たちが学ばせていただけたことを本当にありがたく思いました。

 また、若い人たちが純粋に受け止めてくれたことも喜びの一つです。これからのご弘通を担ってくれるなあと応援させていただかなければと思いました。

 いまでもこころに残っている言葉は「私たちはどんなことが起こってもご法様が必ず守ってくださると思っている。日本人はなんで?」 。アベィさんの息子さんの言葉です。

 私はいつも思い出します。ご住職が我々をスリランカに行かせてくださったときのお心を「どんな時でも、いつでも、ご法様は御見守り下さる。もし何かがあればそれは私たちのこころの隙間に生じた魔である」ということを。

 正直ゴール地区、カルタナ地区をもう一度という思いもありました。
 でも、日本に来てくださった方々にお会いし、彼らの笑顔を見ることができたことがとてもよかったです。

 遠く離れていても、共にご弘通をさせていただいていることを確信いたしました。

 勿論芽衣のことは頭を離れませんでした。ご奉公がさせていただけることをずっとご祈願しておりましたが、風邪がひどく、苦しそうにしている芽衣が救急外来を受診したり(痰がきれず) また、毎日痰を取ってもらうために近医を受診したりということがあったそうですが何とか元気になっていました。これも本当にありがたいことでした。

 なんと救急外来を受診している時、運ばれてきた子供が、親が見ていたがちょっと目をはずした時にうつぶせになっており、心配停止状態で運ばれ、やっと心臓はもどったが、意識はもどらずといった子供がいたそうです。
 思わずこんなことで芽衣が受診していることが申し訳ない気持ちになったそうです。

 高祖会の準備の中で、彼らが我々を心からもてなしてくださったことを生かしたいと思っています。

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 既に、瓜生さんは高祖会の準備ご奉公に取り組んでくださっている。高祖会は、名古屋建國寺の石川御導師の御唱導いただく。また、土曜日の第一座は韓国の姜ご住職に御唱導していただくことになっており、姜ご住職に随伴して18名もの韓国のご信者方が妙深寺に宿泊され、お参詣してくださる。この準備ご奉公の中心的存在が瓜生さんで、受け入れやご接待のご奉公を考えていただいている。本当に、何とも、ありがたい。

2008年10月25日土曜日

若者たちの声 青少年の一座

 心ある御講師が、青少年の一座の感想を現薫師を通じて送ってくださった。
 内容を読ませていただいて、本当に感激した。これほどまでに、あの一座を通じて感じてくださった青年たちがいたことを、心から嬉しく思う。やはり、人を動かす、動き出させるのは、フィクションなしの、ストレートな、人間の言葉なのだ。そうした人がより良く動き出すための媒介をさせてもらいたい。そのための偉大なファクトリーになりたい。
 本当に、有難い。ここに、個人名などを少し伏せてご紹介させていただく。
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 ありがとうございます。先日8月2・3日、東京乗泉寺にて第二回青少年の一座にご参詣させて頂きました。この青少年の一座は本当に「ありがたい」一座でした。
 自分は幸せだということ。世界がもし100人の村だったら。というものがありました。100人のうち20人は栄養が十分ではなく、1人は死にそうなほど、でも15人は太りすぎ。100人のうち17人はきれいで安全な水を飲むことができません。100人のうち1人が大学の授業を受け、1人だけがコンピューターを持っています、けれど、14人は文字が読めません。
 この内容を見て、世界を知り、自分は幸せだと実感した。だが、大切なのはわかる事よりすること。今、自分ができること、小さくたっていい。少しずつ他人のためになることをしていくことを決意しました。
 みんな繋がっている。そう実感したお看経。お看経では、ブラジル・スリランカと中継して、リアルタイムで一緒にお題目をお唱えさせて頂きました。お唱えしているときに、みんなひとつになっているんだ。という思いでいっぱいになり、涙が出てきました。私自身、お看経中に泣くという経験が無く、驚きました。
 現在の日本は若者の犯罪が多く、自分勝手な理由がほとんどです。どうして?と思うばかりです。自分と他人とのつながりが少ない現在。自分の力で生きていると錯覚してしまいそうな現在。
 ~生かす生かされる命~そのことが分かる。分かち合える信友ができるこの本門仏立宗。このありがたい御法を弘めたい、菩薩になろうと誓う、本当にありがたい一座でした。
 慎也
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 青少年の一座に参詣させていただいて、僕が良かったと思う事は、3人の方から体験談を聞いたことです。その3人の内の1人の清雄寺の木村さんの体験談を聞いて、木村さんは、独立して事業を立ち上げて失敗し、家族やお寺と縁を切られたそうです。借金を抱えて追い詰められて、一時は自殺も考えたそうです。頼るところはお寺しかないと思いだし、深夜いひっそりとお寺参詣をはじめ、「助けて下さい」とご祈願を続けたそうです。その後、交通事故に遭うが、後遺症も残らず治ったそうです。現在は、借金も返済できて、家族で喜びを感じ、ご奉公に気張っている、という体験談でした。
 僕は、この体験談やあとの2人の体験談を聞いて、しっかり御題目を唱えるとお祖師様は、助けてくれるということがわかりました。この、青少年の一座に参詣させていただいて、僕もこれからは、お寺参詣やご奉公に気張らせていただき、人の為にお題目を唱えさせていただきたいと思いました。
 友樹
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 今回初めて青少年の一座に参詣させてもらって熱く感じた事は、全国の佛立宗の若者たちが1つとなって、それにブラジル、スリランカの信者さん達とお題目で交流できた事に有り難さを感じました。
 僕も子供の時は、お寺に行くのが嫌な時期もありましたが、青年会、薫化会の皆が「お寺で一緒に遊ぼうや」とか言ってくれて、それからお寺に行くのが楽しみになってました。今回の一座で同じ世代が集まって同じ目標に向かって行きましょう。と意思確認の場を持てたことがありがたかったです。
 隆志
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 8月3日の第二回青少年の一座で改めてご信心の素晴らしさを知ることができました。僕自身、今の生活で何か忙しく辛いこともあり、その度に打ちのめされる気持にもなりますが、第5支庁の木村さんや、田中さん、第4支庁の小泉さんの苦しい体験を聞かせていただいた時は、自分のおかれている環境なんてまだまだ甘いものではないかと思いました。
 それと同時にお題目口唱によってご利益をいただき、困難を乗り越えさせていただけることにありがたさを感じ、この青少年の一座を機会によりいっそうご信心に励まなければいけないなと思うようになりました。
 洋介
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 青少年の一座に行って、いろいろな体験談を聞きました。自分も同じようなことを体験しているけど、正直、人には話したくなかった。同じような体験とは、中学校のころにあったイジメです。自分も同じやったと聞いていたけど、自分よりも深刻だった。でもそれを自分よりも年下の子が話してました。それをみて、ほんとにすごいと思いました。でも、青少年の一座のあと、僕の体験を寺報に載せてもらいました。「やっぱり人に伝えないといけない」と思いました。
 青少年の一座のあとから、人が困っていると、その人の相談にも乗ることができるようになったし、自分の中で成長できたと思います。
 青少年の一座に行くまでは自分が人にご信心を伝えるとかはまだ無理かな、と考えていたけど、行って自分がご信心を伝えることの大切さを教えてもらいました。
 大輔
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 私がずっとご信心をしていただきたい人にも、現証御利益をいただいてもらって、こういう場所で感動を伝えたい。青少年の一座に参詣させていただいて思ったことです。今回、体験談を話してくださって、私に感動を伝えていただき、本当に有り難いです。
 次は、私が伝えていけるようなご信者になりたいです。今は生きていくのが大変な時代といわれているし、実際に私もしんどい、て思うこともたくさんあります。でも、お寺に来させてもらえたら大丈夫、力強く言えるように、誰かの力になってあげる事ができるようになりたいです。
 美結
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 以上、青年たちの素直な感動を、どうか薄れさせず、育てていっていただきたい。今月27日と30日、第3回 青少年の一座 九州シンポジウムの会議に出席するために福岡までご奉公に行かせていただく。来年も、素晴らしい感動をもたらしてくれるだろう。そうしなければならない、と思いを新たに出来た。

高島さんの歌

 スリランカへのご奉公の経緯については、ここで何度か触れてきた。あの、スマトラ沖地震と津波の直前、私はスリランカを訪れ、インド開教御講のご奉公をさせていただいた。その約1ヶ月後に、あの大災害が起きたのである。
 あの津波のニュース速報が流れた直後、今回もスリランカ団参に参加してくださった高島さんが妙深寺を訪れた。いろいろな思いを胸に抱かれ、しかも多額の支援金を手にして、せっかくご弘通が広まっているスリランカが大被害にあった、どうか支援活動を開始してほしい、と申し出られたのだった。
 ここで詳細を全て書くことができないが、その申し出が私たちの背を強く押して、妙深寺はウェブサイト「HBS NETWORK」を通じて支援活動の呼びかけを開始した。
 1月に福岡御導師ご夫妻がスリランカ支援に行かれた。また、「お金よりも顔の見える支援を」という御導師の呼びかけに答えて、3月末には高島さんや瓜生さんと若者たちで組織した支援団を送り出した。あの時のことを、スリランカの人たちは決して忘れていない。高島さんや瓜生さんにとって、今回のスリランカ訪問は、あれ以来2度目となる。感慨深く過ごしておられたに違いない。
 サリーを身につけて、記念大法要へのお参詣。ミランダさんやアルンダティーとの再会、感無量のご奉公である。世界中に、ご信心で結ばれた家族がいることを実感しておられただろう。温かい心と心の輪で築かれた関係は、永遠の宝物だと思う。支援活動から始まった御縁なのである。
 高島さんは、俳句をされており、団参などの際には歌にして、その時の気持ちを残してくれる。西澤さんと共に、イタリア団参の時などでも、旅の味わいに深みを与えてくださる。今回も、帰国後にメールで送ってくださった歌をご紹介したい。一つ一つに、写真を加えたいくらいなのだが、残念ながらこのブログではそれもできない。特別のアルバムや写真の下にこれらの歌を添えると、とても味わい深くなる。
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 秋光や サリーあふれる 式典へ
 秋の日の 白亜の階段 サリー満つ
 大塔の 秋の法要 苔むして
 千年の 塔ぞふたたび 秋時雨(しぐれ) 
 秋時雨 塔はふたたび 千年へ
 はぐれ象の 河は濁れり 雨季の秋
 茶褐色の 道をたたけり スコールかな
 両手広げ 驟雨に打たれし 青年僧は
 み仏の 縁の秋や スリランカ
 素足にて お寺参らせ たまふかな
 草原の 象よ大地よ スコールよ
 検問の 兵士の詰め所 緑濃き
 店先は トマト・きゅうりに 茄子かな
 田起しの 深く入りて 鍬打てり
 草伸びて 田起し親子の そちこちに
 秋の日の 縁日楽し スリランカ (日本も?)
 ハレからケ サリーの秋なり おんなたち
 街超えて 別荘地帯の 秋の朝
 汗ふきて 看経の間の 紅茶かな
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 旅の思い出、ご奉公の場面が、しっとり、ゆっくり、心に染みてくる。

母と姉の参加

 スリランカへのお参詣団には、私の母(先住の奥さま)や姉などが加わってくれていた。
 スリランカの情勢が緊迫し、それを受けて主催が妙深寺になったことなど、いろいろなことがあった。主催は妙深寺になったが参詣団には他寺院の方々が20名おられる。これで何か起きたら、それこそ大変な問題になるだろう。スリランカの団参で何かあれば妙深寺の住職を辞して責任を取る以外にない。9月の秋季総回向でも、そのようにご披露してご祈願を御願いした。
 そもそも、見かけよりも、言っていることよりも気が小さいので、母や姉は心配しただろう。私の背中に身動きが取れないほどの重責があって、頼りなく思ってくれたのか、母も姉も参加することになり、妙深寺の教務部も5名が随行すると言ってくれた。何かあっても、一緒やで、という覚悟でご奉公してくれた。どれほど、心強く、ご奉公できたか分からない。
 スリランカのご信者さんたちは、このことを殊の外よろこんでくださっていた。わざわざ、記念大法要のアナウンスでも「Mother of Nagamatsu Odoshi」と紹介され、母がひどく恐縮していたほどだ。姉も、通訳のご奉公をしてくれて、有難かった。教務部でも、信仰師もチャンダナンダ師の通訳、その他の教務部も鋭意ご奉公してくれていた。本当に、安心して、心強く、有難かった。
 アヌラーダプラのアバヤギリ大塔の参道に、福岡御導師と私が植樹させていただいた木がある。「Santalum album」とは「白檀」のこと。最初は何の木か分からなかったのだが、あれから2年弱経って立派に成長していた。しっかりと掲示もされていて、母と姉と一緒に写真を撮らせていただいた。スリランカの平和と大塔復興を記念してアバヤギリ大塔を訪問し、そこで御題目(掲示では「Odimoku」になってしまっているが)をお唱えした記念の植樹ということだった。このように掲示されていることを、今回の再訪まで知らなかった。
 記念撮影。最後の法要前であったので、やっとここまで来た、無事に最後のプログラムまで来た、という思いと、掲示にあるとおり、スリランカでのご奉公の成果を、親子、姉弟で、感じ合えた瞬間だった。
ありがたい。

2008年10月24日金曜日

詩織ちゃんからのメール

 スリランカ本門佛立宗 開教10周年にお参詣してくれた唱題寺の詩織ちゃんからメールをいただいた。宗務総長の寺院から、一人お参詣をされた詩織ちゃん。御導師も、毎日本堂で御祈願してくださっていたという。
 第2回 青少年の一座でも役員としてご奉公してくださった。塩田委員長と一緒の寺院に所属しておられることもあって、ずっと地道なご奉公を重ねてくれていた。4月末に塩田委員長もスリランカを訪れ、たくさんの青年会員と交流し、貴重なインタビューなどを取材してくれた。その時、彼も青年会や他のスリランカ信徒のご信心の姿に感動し、スリランカを発つ機内で涙が出て仕方がなかったと語ってくれていた。詩織ちゃんは、この塩田君の言葉を聞き、自分もいつかスリランカに行きたいと思ったのだという。
 今回、自坊の唱題寺では大切な先住の御年回があった。御導師に無理な御願いをしてしまい、スリランカへの渡航ご奉公の許可をいただいた、申し訳なかったです、その分も良い体験をさせていただき、それをこれからのご奉公に活かしたい、と涙ながらに話をしてくれていた。
 スリランカHBSのパワフルな女性たち。ミランダさんやRajiさんなどに囲まれて、日本のパワフルな女性たちが舞台の上で記念撮影した。サリーを着た詩織ちゃんの笑顔も見える。有難い。これから、是非スリランカでの体験を日本の皆さん、特に次世代を担う若者たちに伝えてもらいたい。
 下記に、詩織ちゃんからいただいたメールを掲載させていただきたい(本人に許可をいただきました)。
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 今回のスリランカ団参は、以前から本当にお参詣させていただきたいと思っていたのですが、それがかなえていただけたことが本当にお計らい以外の何物でもなく、ありがたいです。
 スリランカでの危険な状況についてはご奉公だから絶対に大丈夫だという自信があったためか、実のところ自分自身はあまり心配していなくて、逆に周りの方々を心配させてしまったなぁと反省しました。自坊で御導師が毎日団参一行の無事ご奉公成就をご祈願してくださっていたとのこと、本当にありがたくて、空港でちょっと涙してしまいました。ありがたいです。
 なによりも10年にわたって福岡御導師はじめ、長松御住職や清顕師、たくさんの諸御教務様方の献身的なご奉公があってこそのこの10周年の法要があったのだということを強く感じました。今回は素晴らしい面をたくさん見せていただきましたが、きっと普段のご奉公は大変なこと、ご苦労されることもたくさんおありになると思います。それを乗り越えて、こんなに素晴らしい式典や、諸ご奉公をさせていただけるまでになったということが、本当に本当にありがたいです。
 ブログを拝見させていただいて、こんなにたくさんご奉公をしてくださっていたのだと思うと、頭が上がりません。その重みを、少しでも受け止めさせていただいて、これからのご奉公を気張らせていただきたいです。
 今回のご奉公で、現地の人たちの素直で厚いご信心前を拝見し、本当に胸が熱くなりました。私たちがお参詣させていただいたことを、こんなにも歓迎してくださって、心待ちにしてくださっていたことがひしひしと伝わってきて、私たちがHBSの本山や、その足元を護持させていただいていることを誇りに思うのと同時に、私自身ではなにもできないけれど、私たちの存在が少しでも誰かを勇気付けることができるのだということが、とても素晴らしく、うれしいことだと感じました。
 また、ご奉公だけでなく、予想外にサリーを着させていただくことになったり、サファリを満喫したりと、本当に楽しませていただきました。10年後にはきっと難しいだろうからと思って、今回だいぶ無理を言って、無理をしてお参詣させていただきましたが、スリランカでご奉公させていただくにつれて、また行きたいという想いが強くなりました。10年後、20周年の時にはまたご奉公させていただきたいと思います。本当にありがとうございます。
 早速Nipunikaからメールが来て、本当に嬉しいです。本当にお体に気をつけてくださいね。ありがとうございます。
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 ありがたーい。詩織ちゃん、ありがとう!

象の水浴び

 スリランカから帰国して、早1日。
 すぐにでもブログを更新したいのだが、出張中にたまったご奉公に手を付けなければならず、なかなか出来ない。
 経済の状況は極めて悪くなっている。ニューヨークの市場で反発したのに今日の東証は値を下げたらしい。アジアに広がる金融危機は、深刻の度を深めているのだろうか。生活を直撃する日も近いのではないかと思うと不安になる。円も急進、対ドルで93円台、ユーロでは信じがたい116円という。輸出産業は大丈夫だろうか?今や、大手の商社や産業だけではなく、老舗も海外に進出しているが、この円高は大変な逆風だろう。市場と実体経済を分けて論じてくれているが、これがどうにも腑に落ちない。危機的な状態になってから考えると、こうして分けて金融商品を作り、市場万能を謳ってきたことそのものが欺瞞だったようにすら思える。砂上に城を築いていたようなもので、いつかはこうなると分かっていたのではないだろうか?まぁ、専門家ではないから、あまり論じても仕方ないが。
 いま、ちょっと書いておこう。先物の原油は、ブログにも書いたとおり、1バレル70ドル台に続落した。長期的に見ればあるべき位置に落ち着いたようにも思うが、今やさらに60ドル台まで値を下げているという。この乱高下こそ、今の世界の在り方、経済システムの異常さを示していると思う。それにしても不思議なのは、あれほど原油の高騰に敏感になり、価格をつり上げてきた航空運賃、つまり燃料サーチャージはグングンと上がったのに、スリランカ団参でも下がらなかった。9月の中旬に確認しても、「下がらない」の一点張り。航空会社は、この甘い蜜の味を忘れられなくなってしまったということだろうか。9.11のテロ直後から発生した不可解な料金。サーチャージを払わざるを得ないのもおかしいが、原油高を理由に毎月のように値を釣り上げてきたのに下がらないとはどういうことだろう。ほんま、おかしい。
 とにかく、そんなことを書いていても仕方ないか。本当に、きっちりモノを言ってくれる経済学者さんや独立系のメディア、ジャーナリストさんが欲しいなぁ。どこかにいらっしゃらないものか。
 ケーグルでの御講の前に、象の孤児院、川辺で象を見せてくれる場所に立ち寄ってくださった。これほど近くで象の群れをみるのははじめてで、本当に感激した。
 スリランカには2000頭近くの象がいる。以前はもっとたくさんいたのだが、人間がジャングルに進出してゆくことによってトラブルも多発し、頭数を減らしていった。象の寿命は70年~80年だという。ほぼ人間と変わらない。象は妊娠から出産まで645日、2年近くの妊娠期間を持つ。頭のいい動物で、逸話や神話も数え切れないほどある。
 今回、スリランカの象と触れあえたことは貴重な経験だった。なにせ、スリランカに何度来ても観光などしたこともなく、今回がはじめてだったのだから。団参と一緒に行動できてよかった(笑)。唯一、象を間近で見たのは、カタラガマのキリ・ビハーラでの法要の道中で見ただけだ。ウダワラウェ国立公園で象の孤児院には寄ったことがあるが、遠くから見ただけだった。こうして握手(握鼻?)できると、この巨大な動物がもっと身近になる。子ゾウもいて、とても可愛かった。
 ここで触れた「キリ・ビハーラ」は、紀元前1世紀につくられたという仏教のダーガバ(大塔・ストゥーパ)があるスリランカ屈指の寺院。キリ・ヴィハーラは、つい最近まで荒廃していた。しかし、復興されてから後は大統領まで訪れる寺院として信仰を集めている。私は、マーロン・ブランドのようなご住職と、とても親しくなり、楽しい時間を過ごした。彼は、私たちのセッションに参加してくださり、帰り際に、合掌し、誇らしげに「ナムミョウホウレンゲキョウ」とご挨拶してくれた。
 とにかく、スリランカでのご奉公が終わったのだが、出来る限りコンスタントに、スリランカ10周年のご奉公について、アップしていきたい。

2008年10月23日木曜日

スリランカ開教10周年団参 無事帰国

 スリランカ本門佛立宗 開教10周年記念団参が無事に終了し、本日団参者一同、そして数時間遅れて福岡御導師、私、清顕が帰国・帰山した。
 記念大法要の夜、深夜までディリーパ君、カスン君たちがホテルを訪れ、第3回 青少年の一座のインタビューが行われていた。遅くまでご奉公してくれた北崎くんや、準備ご奉公から徹夜を続けてきたスリランカ青年会のみんなに頭の下がる思いだった。
 翌日は8時にホテルを出発。世界遺産にも登録されてるスリランカの古代都市、キャンディを目指した。スリランカの最後の王朝が首都としていた街で、仏教の聖地としても尊崇を集めている。
 このキャンディに向かう「キャンディ・ロード」の途中に、ケーグルという街があり、そこにヘラスさんというご家族がいる。ヘラスさんは英語教師で、この地のご信者さんは教育者が多い。私も何度か御講を奉修させていただき、津波支援活動の年にはヘラスさんと長男のニプナ君が妙深寺にもお参詣してくれた。そのヘラスさんのお宅で団参者と共に御講を奉修させていただいた。
 また、詳しく書いてしまうと長くなるので、別の日にアップしようと思う。無事にケーグルでの御講を奉修させていただき、次の日はアヌラダープラのアバヤギリ大塔の前で現地の方100名の参集を得て、記念の法要を勤めさせていただいた。
 全てのプログラムが、無事に終了し、想いが胸にせまった。涙が出た。大きな節目となった。いろいろな意味で、節目となったご奉公だったと思う。自分自身にとって、そうしなければならないという気持ちだ。日本で、毎日御祈願してくださっていた方々に、心から御礼を申し上げたい。本当に、こうして無事にご奉公が終了し、スリランカの方々も喜び、団参者が何事もなく、随喜して帰国できたことは、御祈願してくださった方々のおかげ、御法さまの御守護のおかげに違いない。
 スリランカのシャンタ・ペレラさんが見送りにきて、抱擁しながら別れたのだが、彼も泣いていた。彼のような男が涙を見せるのは珍しい。真面目で、木訥なリーダーだが、本当に感極まっておられた。「日本から、誰も来てくれないのではないかと、みんなで話していたんです。その時は、福岡御導師と、長松師と、清顕師だけで、良いじゃないか、と言って、いたんです(涙)。御法さまがついていてくださる、大丈夫だ、大丈夫にきまっているじゃないかと話していたんです」と。
 有難い。とにかく、無事に帰国いたしました。みなさまのおかげです。ありがとうございます。

2008年10月20日月曜日

スリランカ 開教10周年記念大法要

 スリランカ本門佛立宗開教10周年記念大法要が晴天の下、盛大に奉修された。
 素晴らしい法要だった。感動に溢れた。スリランカ信徒の想いとご奉公が結集した。10年間のご奉公が結実した。万難を排してスリランカを訪れ、この大法要にお参詣してくださった団参者の想いを受け止めて、誰もが感動していた。
 10周年の記念大法要は、BMICHをスリランカ各地からのお参詣者で満場にして奉修された。シンハラ語、英語、日本語の3種類の言語が交互に飛び交い、映像とスピーチを織り交ぜて、10年間のご奉公を振り返り、福岡御導師に感謝の言葉を述べ、この地のご弘通を支え、発展させてきた人々をお互いに敬い合った。
 本門佛立宗を代表して、宗務副総長・弘通局長の梅田御導師が祝辞を述べ、御講有からのメッセージを読み上げられた。これに当たり、事前に青年会が準備して、スクリーンには御講有の写真が映し出された。国情が不安定なスリランカだからこそ、さらにご弘通に精励していただきたいとのお言葉をいただいた。
 Raji女史も、ここでご紹介したスピーチを行った。最後に福岡御導師から御法門をいただき、会場の雰囲気は大いに盛り上がった。リサ・ランドールの話を交えて、私たちのいただく御本尊への向き合い方、信行ご奉公、御利益のいただき方についてお教えいただいた。私は閉会の辞を担当してお話をさせていただいた。最後に御題目を三唱して、閉会の辞に代えた。
 今は深夜となったので書ききれないが、帰りの途につきながら、心地よい充実感に包まれていた。多くのスリランカのご信者方と再会を喜び合い、それぞれに特別の感情で今までのご奉公を振り返ることができた。この大きな会場を一杯にするまでに発展してきたスリランカ。これまでの道のりは、決して平坦ではなかった。福岡御導師がよくお話されるが、良いことばかりではない。成功談ばかりではない。多くの失敗の上に今日がある。紆余曲折、多くの問題もあったし、今でも課題が残されている。しかし、今日、こうして、ここまで来たのだ。末法のご弘通は簡単ではない。問題があって当たり前。うまくいかないことの方が多い。それでも、こうして前に進んできた。節目を迎えられた。それが有難いのである。
 私は、スリランカに勉強に来た。決して、私は「スリランカでご弘通させていただこう」と思ってきたのではない。自分のご信心を磨き直し、佛立信心の原点を再発見し、それを日本に逆輸入するためにスリランカのご奉公に参加させていただいた。そして、当初の想い以上の体験、御利益、ご奉公をさせていただくことができた。多くのご信者方と強い絆も生まれ、こうして10周年に参加させていただくことができた。本当に有難いことだ。私のような者が、と思う。謙遜しているわけではない。本当に、福岡御導師について、何とかご奉公させていただければと思ってやってきたが、思っていた以上のものを得させていただけたのだ。これがご奉公の妙味、ご信心の妙味というのだろう。
 こうしたご奉公をさせていただくことが出来たのも、自坊妙深寺で私を支えてくださり、快く送り出してくれてきた御講師方、ご信者方のお陰である。若輩の住職を、スリランカのご奉公で成長させようと思ってくれていたのかも知れない。事実、少しはマシになったと思う。成長できたと思う。
 何度か書かせていただいたが、スマトラ沖地震と津波の被害にスリランカが襲われる1ヶ月前、私は始めてスリランカを訪れ、ご奉公させていただいた。その時のスリランカに於ける衝撃的な出会いと感動は今でも脳裏に焼き付いている。そのままスリランカからインドに渡り、ラージギルでインド開教ご奉公をさせていただいた。ミランダ博士、Raji女史とのご奉公は、本当に楽しく、充実していて目からウロコの落ちる想いがした。その直後の大地震と津波の被害である。
 私たちは迷うことなく支援活動を開始した。妙深寺のご信者も大いに賛同してくださり、ホームページで呼びかけたところ寺院の垣根を越えて支援活動は広がった。3月にはお会式当日を挟んでいたが、実際に妙深寺を中心とした教講を支援活動のために福岡御導師に随行していただいた。その時、妙深寺から大御本尊をお供させていただいたのだが、その大御本尊が親会場に奉安され、このBMICHの大会場でも御奉安されていた。ありがたい、妙不可思議な御縁を感じた。
 いずれにしても、もう深夜なので書ききれないが、日本でご奉公の成功と安全を御祈願してくださっている方々の思いを背にして、記念大法要は盛大に奉修させていただくことができた。しかも、大成功であった。本当に有難かった。ありがとうございました。
 ホテルに戻っても、次々と面会を受けた。コロンボは今日が最終日なので、アポイントが入る。ホテルのロビーで短い時間だがお話しさせていただいた。また、記念大法要のご奉公で徹夜が続いていたはずのカスン君やディリーパ君、その他の青年会のメンバーが10時過ぎにホテルに来てくれて、来年の夏、日本で行われる第3回 青少年の一座 九州シンポジウムのためのインタビューを受けてくれた。北崎君が流暢な英語でコミュニケーションしてくださり、インタビューも順調に行うことが出来た。ひろし君も10時半にホテルを出発。わずか2泊の滞在で日本に帰国する。すごいスケジュールだ。この記念大法要のためだけにスリランカに来てくださった。こうした、本物のご奉公をしてくれているから、ひろし君は公私ともに大変な御利益をいただいているのだろう。これこそ、佛立信心、ご奉公である。ありがたい。
 明日、早朝から北部に向けてホテルを発つ。それこそ、テロなどのある地域での御講奉修である。日曜日が本番と言ってきたが、まだまだ重要な局面が続く。心せねばならぬ。安全を確保して、明日のケーグルでの御講、次の日のアヌラダープラでのセッションを成功させねばならぬ。

2008年10月19日日曜日

未来を背負う青年たち


 午前の御講の最後に、2階に上がって両国の青年会で記念写真を撮った。

 未来を担う青年たち。心と心でつながっている。本当に、素晴らしいことだと思う。ワクワクするし、希望が胸に湧いてくる。ありがたい。

トゥクトゥク

 カスン君のオフィスには、準備ご奉公のために3日前と昨日の夜に伺った。
 最初に訪れた日の夜、雨が降っていた。最速のコンピューターが並ぶオフィスに、カスン君の会社のスタッフとディリーパ君が作業を進めていた。彼らが準備ご奉公に追われていたのでホテルへの帰りはスリランカ名物の乗り物、トゥクトゥクで良いと申し出た。車で送ってもらうとなると時間が掛かるし。第一、ずっと乗りたかった。タイでは「タクタク」だか「ティキティキ」だか、もう何と呼ぶか忘れてしまったが、何度か仕事でタイを訪れた際に使わせてもらった。タイのものは少し大きい。アジア各地で、この乗り物は市民の足として大活躍している最もポピュラーな乗り物だろう(タイかフィリピンで乗ったバイクのタクシーも面白かった。乗る前に、「ねぇ、本当にタクシーなの?」と聞いた。どこに連れて行かれるか、ドキドキしたなぁ)。
 スリランカのトゥクトゥクはタイのものよりも小さいそうだが、すべてインドから輸入しているという。街中、いたるところに走っていて、よく事故が起きないものだといつも感心していた。
 雨の中、トゥクトゥクに乗り込んでホテルまで。何やらディズニーランドのアトラクションに乗っているようだ。2キロで100ルピーくらい。カスン君のオフィスからホテルまで5分で300ルピーくらいだろうか。支払いをしようと思ったら、カスン君が払うからいいと言われてしまった。どちらにしても、申し訳ないなぁ。
 カスン君は、きっと立派なリーダーになるだろう。仕事も順調だし、心根が良いとガマゲ氏も絶賛していた。本当に、私もそう思う。スリランカにも、これほど素晴らしい佛立青年がいることを誇りに思う。第3回の青少年の一座の担当、北崎くんが団参に加わっているのだが、このカスン君へのインタビューを行うつもりだ。今日、記念大法要の後でカスン君のオフィスをもう一度訪れる。帰りは、もう一度トゥクトゥクに乗りたいな。

スリランカ女性の正装、サリー

 今日、午後1時からBMICH(バンダーラナーヤカ記念国際会議場)でスリランカ本門佛立宗開教10周年記念大法要が開催・奉修される。
 実は、日本からの参詣団の女性の中で、この記念大法要にスリランカ女性の正装であるサリーを身につけてお参詣しようという話があり、それぞれサリーを求めて着付けをするという。イタリアでは日本の着物をつけてお参詣してくださった方があったが、この暑いスリランカでは相手の国の民族衣装を日本女性が身につけて交流しようというのである。素晴らしいことだ。有難い。
 このサリー。年齢を問わずに女性を引き立たせてくれる。色とりどり、華やかで艶やかな生地がたくさんあって、自分の好みの色を選べるようだ。日本の着物ではないが着方が難しい。わざわざ着付けの人を部屋に呼んでリハーサルと勉強会をしていた。私たちは部屋で待っていて、着付け終わったという連絡を受けてロビーへと下りていった。
 すごい。きれい。特にシルエットが美しい。これを身につけて大法要に参列したら、どれほど喜ばれるだろう。異なる文化を受け入れ、その文化を敬う。その姿勢に、スリランカの多くの方々が感激してくれると思う。草の根の国際貢献、国際交流だが、ご信心で結びついた人たちは、簡単に言葉の壁を超えて心が通じ合う。その、一つのツールに、サリーが役だってくれたらいい。
 この着付けに関しては笑い話もたくさんある。妙深寺の名物教区長・勝子さんは、着付けをするということでフロントに電話をかけた。電話を掛けてから、「あら、日本語じゃぁないの~」と言って「ほら、ちょっと頼んで!」と電話を渡し、何とか意志を伝えさせたという。その根性がすごい。英語が全く喋れないのに、ど根性で突き進む。すごい、さすが!高島さんもフロントでサリーを着ている人を探して、教えてもらおうとしていたらしい。すごいなぁ、女性は。そういう積極的な姿勢、行動力が見事。ありがたい。
 今日は7名の女性がサリーを身につけて大法要に参列するという。きっと、息を呑むほどの光景だろうなぁ。BMICHの前から、民族衣装に身を包んだ子どもたちのダンスもあるというし、記念の大会にふさわしい華やかさを添えると思う。
 スリランカ女性の正装、サリー。あまりにも綺麗だから、記念撮影。どうだろう?綺麗でしょう?

スリランカの10周年 御講ミーティング

 滞りなく、何事もなく、健康で、安全で一日が終了するとホッと一息できる。
 今日、土曜日は午前と午後に御講ミーティングが奉修された。午前はシャンタさんのグループでの御講席、午後はウィージェセケラ氏の親会場での御講席だった。それぞれ、明日がメイン・イベントであるから、人数を制限しての奉修。それぞれのセンターでの御講では、通常350人程度のお参詣がある。今回は日本から50名ちかくのお参詣者があるわけだから、何の制限もなければ足の踏み場もなくなる。だから、今日は現地の方々は50名の制限をつけて、シニアメンバーと青年会のリーダーたちなどだけのお参詣とした。30度前後の暑さの中、和気藹々の御講が奉修された。
 海外の方との交流に慣れている瓜生さんの提案で、一人一人胸に名札を付けてお参詣した。こうすれば御講奉修前後で名前を呼び合って交流することが出来る。言葉が通じなくても、目と目で、笑顔で交流してくださっていた。
 御講は、緊張感と期待感の中でもゆったりと進んでいく。イタリアでも同じだが、ざっくばらんな雰囲気、手作りの雰囲気が新鮮に感じる。御講奉修の前にイントロのご披露、対話などがある。これも、日本での完成された御講(?)を奉修することに慣れてしまった私たちには新鮮なのである。
 お看経と福岡御導師の御法門、子どもたちへの感謝状の授与、御法門、御礼、私からも参詣団を代表してスピーチをさせていただいた。私のお話では、スリランカの方々に団参者がどのような気持ちで来たか考えていただきたい、とお伝えした。『日本には多くの悪い情報が溢れていた。みなさんからすると滑稽に思うかも知れないが、実際恐ろしい情報で、渡航の是非を検討せよと勧告されていたのである。
 それでも、彼らは渡航を決意した。なぜか?なぜだと思うか?お金も使う、時間も使う、さらに、恐ろしい情報の中を、何を好きこのんで貴国を訪れようと思ったか?どう思うか?よく考えていただきたい。彼らは、あなた方スリランカのご信者さんを励まし、歴史的な10周年という慶事を共に祝い、ご弘通の一助になろうと、ご奉公として決意したのである。仏教とは、実践である、ご奉公である。仏教とは、教えを学ぶ知識ではなく、信心という実践なのである。この人たちは、それを実践している。ただ、ご心配は無用だ。なぜなら、こうして万難を排してご奉公された方々は、必ず御利益をいただくからである。受け身の信仰スタイルでは罪障は消滅できず、御利益もなかなかいただけない。身命財の「devote」が大事なのである。どうか、この団参者一行の気持ちを受け止めて、みなさんが実践者として、この政情不安定な国の中で、菩薩行に励んでいただきたい。
 二席目の御講席は、ウィージェセケラ氏のセンターだが、特に妙深寺の原しげ子さんの御有志によってメインホールの建設が進んでいた。まだ完成していないが、そのホールでの御講奉修となった。暑かったが、日本からのお参詣者はよく頑張ってお参詣してくださった。ありがたい。
 ひろし君が昨日の2時過ぎにスリランカに入ってきてくれた。わずか2日間だけスリランカに滞在し、出入国の日を含めて全行程4日での団参である。今日の御講、明日の記念大法要にだけお参詣して、仕事のために東京に戻る。イタリアの御宝前でも記念撮影をしたので、スリランカの御宝前の前でも記念撮影をした。先月はアメリカ、ブラジルとご奉公してくれたのだから、その「実践」には本当に感心する。しかも、先日来100本祈願をされているので、夕方、夜と、御講が終わって疲れているにもかかわらず、部屋でお看経を続けていた。「今日、最低でも5本させていただかなければならないので」と。敬服する。ありがたい。
 夜、アベイ氏とガマゲ氏が来て、私は拉致されてしまった。徹夜で青年会が準備ご奉公をしているので、そのオフィスにもう一度来てもらいたいということだった。夕食をしている最中、フロントで誰かが私を捜していると連絡があった。行ってみるとアベイ氏とガマゲ氏の二人だった。青年会を励まして欲しい、と。もちろん、夕食をそこそこにオフィスに向かった。部屋に入ってみると、新聞を敷き詰めた部屋の中で会場をデコレーションするフラワーアレンジメントやモニュメントを手作りで製作している。またまた、そのクオリティーの高さに驚いた。
 部屋にいる全員に声をかけ、励まし、カスン君の部屋に移動してみんなで話し合い。とても有意義な時間だった。10周年後の、彼らの抱負を聞いていた。ありがたい。忘れられぬ夜となった。明日、本番で会おうと約束して、ホテルまで送っていただいた。21時。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...