2009年6月15日月曜日

125年と4ヶ月

 昨日は、京都の麩屋町・長松寺の開導会を奉修させていただいた。梅雨の最中にもかかわらず、京都は快晴。しかも、心地良い風が吹いていた。本当に、ありがたかった。
 今年は、開導会に併せて松鶴院さま、長松千鶴子の第27回忌法要を営ませていただいた。私の父の姉。チー姉ちゃん、と呼んで親しまれ、永く麩屋町で日峰上人や小千代お祖母さまをお護りくださった偉大な方。教学院、本山宥清寺教務部の秘書としてもご奉公され、多くの御導師方や御講師方のお世話にも心を尽くされた。
 しかし、当時の話になると、明るく、優しい中でも、お教務さんと対峙して、とても厳しい方だったと聞く。なにせ、チー姉ちゃんは、品尾お祖母ちゃんに仕込まれたのだから、半端じゃない。品尾お祖母ちゃんは開導聖人から手習いを受け、その威厳は宗内に聞こえていた。とにかく、昨日は父の祥月ご命日であるとともに、快晴の下で無事に開導会とチー姉ちゃんのご回向が勤まった。本当に、ありがたかった。
 麩屋町の御館。この6月から計算すると、開導聖人が麩屋町の御館に入られてから125年と4ヶ月。ずっと護持させていただいてきた。開導聖人、品尾お祖母ちゃん、日峰上人、小千代お祖母さま、そして今回ご回向させていただいたチー姉ちゃん。そして、先住日爽上人をはじめ、兄弟姉妹。連綿と、125年間。
 多くの苦難も困難もあり、それらは長松家に言い伝えられている。本当に、護持してゆくことは並大抵ではなかった。そして、この由緒寺院・長松寺は、宗門の、特に本山宥清寺の方々の篤いご信心をいただきながら、125年以上も、そのままの姿で護持されてきたのだ。そのままの姿で遺る由緒寺院は、ほぼ長松寺だけとなった。200年の寺院も、300年、500年の寺院も、こうして護り伝える方々がいなくなったらお終いだ。
 その麩屋町の長松寺を護持させていただかなければならないのが、この若輩なのだから、おそろしい気持ちもする。125年の重荷を背負って、しかも「護持・発展」と言上させていただいている。来年、佛立第二世講有・日聞上人の100御諱を契機として、由緒寺院・長松寺も新たな護持発展のためのご奉公を進めさせていただきたいと思っている。
 ありがたい。一昨日から、学生師たちにも、本当に丁寧なご奉公をいただいた。本山宥清寺のご信者のみなさまにも、多くのお参詣とご奉公をいただき、特に今年は他寺院からのお参詣が宥清寺のお参詣者数を越えた。本当に、ありがたい。
 しかし、肩が痛い。荷が重い。

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