2009年6月1日月曜日

班長さんへの手紙

 ありがとうございます。
 五月に開催された「班長スクール」には、一〇四名という想像した以上のご参加をいただき、本当にうれしく思っています。事前に、何としても参加して欲しい方、教区から推薦のあった方に、私からお手紙を送らせていただきました。突然のお便りで申し訳なかったと思いますが、これからも住職と受持御講師、教区の皆さんと一体になって、菩薩の稽古を進め、班長になれる方を作りたいと思います。
 開導聖人の御指南に、
「ひもにてつりたる横槌(よこづち)を向ふへおして手をはなてば我方へ来る」
「世の中は横槌を宙に吊りたるが如し。押せば此方へ来る也。引けば向へ逃ぐる也」
とあります。
 寺報にも掲載させていただいたのですが、「班長」というお役も、「ご奉公」「菩薩行」も、すべては末法に生きる私たちが幸せを手にするために必要な功徳行です。「人のため」でもありながら、「自分のため」になる。これが佛立信心です。
 しかし、どんなに理屈が分かっていても、行動が伴わなければ意味がありません。今は「ご信心をしてる」と言っても、「一人信心」の人や家庭が多いのが実状。「お看経してる」「お参詣してる」人でも、その目的やご祈願の内容といえば自分や家族のことのみ。身体健全、災難除滅、家庭円満、商売繁盛。尊い御題目は、こうした信心の仕方でもお計らいをくださいますが、圧倒的に罪障や業の深い凡夫です。本当の御利益、本当の佛立信心の素晴らしさからは、遙かに遠いのです。
 他の人の為に実際に行動することが欠けていては「一〇〇%の佛立信心」ではない。
 「幸せになろうとしても、巨大な横槌を自分の方に引き寄せているようなもので、自分の方に引き止めておくことは難しい。だから、押してみなさい。押したなら、自然とあなたの方に来るのだから」
 「菩薩の誓い」「菩薩行の実践」とご奉公の方針に盛り込んでいるのは、お寺のスタッフを増やすためではありません。そんな些末な、下心のような考えで「佛立菩薩を育てよう」と言っているわけではありません。導師役を勤められるようになったり、お助行に通えるようになったり、当番日に法城護持のご奉公に出たり、御講やお会式の将引に励むことは、「幸せの横槌」を押し出すことであり、必ず自分に返ってくることです。
 これを嫌がって、「面倒だ」「人のことは構っていられない」「自分のことで精一杯」と生きている人は、横槌を逃がしてしまう人。
 「彼も助かり、我も助かる」
 この法則と、その法則の実現が、佛立信心にあります。
 五月の御講の御法門、覚えていますか?
 「やみ重み 医者もすさめぬ 貧乏人 いたくなわびそ われぞたすけん」
 尊い御題目をいただく本門佛立宗のご信者さんたちの強い気持ち、物怖じしないで人を支えようとする姿勢を教えてくださいます。
 「病が重く、医者さえも遠ざかる貧しい人よ。そんなに嘆くことはない、私がいる、助けてみせる」
 教区御講の御法門では石川チエ子さんとの懐かしいご奉公をお話ししました。ご利益談ではありません。強いご信心を持たれている方々が、どうやってお助行に廻り、人を訪ね、御題目で人を助けようとご奉公されてきたか、紹介したかったのです。名簿一つで、貧しい方の家々でも厭わず廻るご奉公ぶり。本当のご奉公とは、これです。
 私は、住職を先頭に、全員が「班長」になるべきだと思っています。こうしたご奉公が出来ていなければ、駄目なのです。一〇〇%の佛立信心ではないのです。まだ引いているのです。忙しくしていても、幸せは逃げます。押し出せば、大きな幸せが返ってきます。

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