なにせ、最近は、もし書くとすれば、厳しい言葉を使いたいほど、思うところがある。佛立信心を分かったつもりになっている人の、言葉を聞いたり、見たりすることは、本当に耐え難い。明らかに、開導聖人が大嫌いであろう人が佛立を語る。言いたい放題な様を見ていると、また夜叉が顔を出しかねない。
ということで、息子の泣き顔。次男は、いつもおでこをぶつけて、たんこぶをつくっている。傷だらけ。長男もそうだ。頭だけで9針と5針、腕を5針と、怪我をしてはお医者さまのお世話になっている。次男も暴れてはどこかにぶつかり、泣く。顔をクシャクシャにして。まぁ、仕方ない。
いつも思うが、子どもたちが手に負えないのは仕方ない。自分がそうだったのだから。これからが本番だ。今は「ご住職!」などと言っていただいているが、本当に申し訳ないほど素直ではなかった。中学、高校と、母はいつも学校に呼び出されていた。高校時代の大崎の階段。思い出す。私は学校から帰るために大崎駅までの階段を下りていく。母親が下から上がってくる。なにをしに?学校に呼び出されて。へー、よろしく、と。苦労ばかりかけている。今でも。
こんなことを住職が書いていいのかと思うが、事実なので書く。警察署の4階で待っていた時。ずっと、座らされていて、母親を待っていた。1時間か、2時間後、階段の向こうから母親が上がってきた。階段の踊り場から、こちらに来るまで、頭をペコペコ下げながら「申し訳ありません。申し訳ありません」と言って小走りに。本当に、なんという奴。どうしようもない。
一緒に家庭裁判所。二人並ぶ。目の前に、裁判官「お父さまのお仕事は?」、私「…」、母「お寺の住職です(涙)(汗)」と。本当に、面目なかった。申し訳なかった。
こんな人間がスポーツに出会って変わったのだが、それでも、真面目なお坊ちゃまとは程遠い。妙深寺の方々も、よく耐えてきてくださった。だからこそ、どんなところでも物怖じせず、身体を張ってご奉公させていただかなければならないと思っている。しかし、あまりに理不尽で、偉そうで、口先だけで、根性もないのに隠れてコソコソものを言い、人の悪口を言い、愚癡を言い、という姿を見ていると、夜叉が出てくるなぁ。「おい、顔を貸せ」と言いたくなる。ダメな住職だ。信心修行が足りん。そんな未熟な人間です。信心改良、お看経をいただいて、精進します。
あー、やはり書いてしまった。子どもの話だけをするつもりだったが。
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