除夜法要は、無始已来から泣いて泣いて、お参詣の方に申し訳ありませんでした。31日、藤本御導師のご遷化の報に接してから、ブラジルとの連絡に忙殺されて御宝前に座ることができませんでした。本堂の御宝前に出て、御法さま、お祖師さまのお顔を拝見したら、涙が止まりませんでした。悦子さんが「父の本望だから。教務さんはご奉公で死ぬのが」と晶ちゃんに言っていたと聞き、また涙。そう、そうだ。悦子さんの仰るとおり。先に逝ってしまった。次は、僕たちが、と腹も決まりました。
しかし、31日の除夜法要は、あまりにも泣きすぎて、お参詣者にご迷惑をお掛けしました。申し訳ない。事情の知らない方は、さぞ、驚き、さぞ、お正月気分を害されたこととと思います。しかし、立正安国論750年の御正当年は、涙の中で終わり、そして新しい年が涙の中で始まったことは間違いありません。
1日、最終の新幹線で京都に向かいました。ただ、動転していたのか、こだまに乗ってしまい、小田原で気づいた。小田原から新横浜に引き返し、車を駅まで持ってきてもらいました。一人で車を運転して行こうと決め、車を受け取りました。東名高速道路の横浜インターの手前で、「飛行機があるから」との連絡。それで9時20分までに関空に行ける、と。そこから妙深寺に引き返しました。何をやってるんだ、と哀しくなりましたが、仕方ない。あきらめて、眠れぬ夜を過ごして。
関西空港で悦子さんとコレイア師とお会いして、良風寺へ。常題目のご奉公。御題目、御題目、御題目。本堂で御題目をお唱えしていて、御導師の声、笑顔が蘇り、涙が溢れて止まらなくなり、嗚咽する。そして、また御題目。ご家族を思うと、やりきれない。いくら、本望と言われても、思っても。
ただ、しっかりと御題目をお唱えさせていただき、お見送りのご奉公をさせていただきたいと思います。言葉を尽くしても足りません。言葉にすれば陳腐になる。しかし、もう、いい加減なご奉公は通用しない、御導師が命を懸けて、教えてくださった。如説修行。今までのご奉公が、おままごとのように感じます。心からの改良を誓うしかありません。生き直します。
新年から申し訳ありません。ありがとうございます。
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