2011年7月31日日曜日
震度5強
今朝、夜更け前の3時53分、緊急地震速報で目が覚めました。何度も何度も、鳴りました。福島で震度5強。妙運寺のみなさんや、他の寺院の方々が心配です。
2011年7月30日土曜日
僕らが修行です
お世話する僕たちは、写真のような会議室の床に布団をひいて寝ているんです。すっごい頑張ってるでしょ?そうでもない?
いま、23時半。やっとディスカッションが終わりました。就寝前、みんな、まだ熱く語っています。
ディスカッション
午後、パネルディスカッション。司会としてご奉公させていただきましたが、青年会の子たちは、同じ世代の、青年会としてご奉公している子との意見交換を求めています。教務から教えてもらうことよりも、こっちの方が聞きたいはず。
始まってみると、やはりそうなのです。みんなが主役。彼らが問題意識を持っているし、彼らが答えを持っている。お寺の規模、都会や地方という違いがありますが、これだけ多くの寺院から参加者がいるのですから、必ず答えはあります。
夕看経と食事、入浴をはさんで、20時からもう一度ディスカッションします。
満身の怒りで国の原発対応を国会で批判した東大児玉龍彦教授
2011年7月27日に衆議院厚生労働委員会で発言した東京大学先端科学技術研究センター教授(東京大学アイソトープ総合センター長)。
これを観て、現実を直視すること。生命にかかわる。子どもたちの未来にかかわる。絶対に見なければならない。マスコミが取り上げてくれない。日本のいびつ、歪み。
こみ上げる激情、怒りに、打ち震えながら、時には、涙ぐみながら訴える東大教授の姿に、私は涙が出ました。泣けてきました。
国会は何をしてる。国会議員は何をしてる。怠慢ではないか、と。痛烈な批判。
プルトニウムを飲んでも平気という東大教授もいる。それを大事に温存してきた経産省もある。適切な判断がつかない愚かな議員たち。この訴えを聞け。
支援活動で浴びてきた3〜5マイクロシーベルトですら、いかに恐ろしいか。この児玉教授の発言を聞いてはじめて痛感する。0.5マイクロですら。「ミリシーベルトではないから大丈夫」などと決して言っていない。どちらにせよ、危険な数値であり、0.5マイクロシーベルトですら、内部被爆を考えれば極めて恐ろしい状況なのだ。
とにかく、拡散して、観るべき。見せるべき。聞かせるべき。
2011年7月29日金曜日
コミュニケーション・ゲーム
5人の人と握手をしてお互いに自己紹介します。握手したまま相手の素敵なところを3つ褒める。
あっという間に親しくなります。
ラテン系ブッディスト
ブラジルの青年会は、カップルで、恋人を連れてお寺に行く、お寺でも手をつないで、肩を組んで、お寺に行くのを楽しんでいる、というお話をしてくれています。ラテンの乗りの佛立信心。まさに、ラテン系ブッディスト。
質問「ブラジルには何人ご信者さんがいるのですか?」「リオのお寺には何人くらい朝参詣があるのですか?」
特別ゲスト
みんな、目がキラキラしていて、とてもいい。目が綺麗です。
抜け出して、会議。
8月中に建設会社の方と引き合わせするために、業者を選定して紹介しなければなりません。
本山奉仕<青年の部>
「青少年の一座」以降、毎年恒例となってきました。佛立の未来。貴重な機会ですね。大切にしなければなりませんね。
イノベーションは佛立のお家芸
ジェファーソンが言うように「あらゆる組織は腐敗」し、あらゆる権力は腐敗」するのだから、それが、どんなに崇高なことを掲げた組織でも「改良(インプルーブメント)」や、時には「革新(イノベーション)」を起こさなければならない。それを、開導聖人は正法を護持しているからこそ佛立には不可欠だとお示しになられている。
しかし、どうも最近、この「祭り」が廃れてきて、盛り上がらず、参加者も少なく、開催できない年が何年も続いているように思う。この「改良」という「祭り」の意味を知らない人も多い。「祭男」でもいないとダメかな。遅々として進まず、部分的、局所的、短期的、巧遅拙速では仕方ない。
佛立の祭り、お家芸のはずの「イノベーション」。現代では自動車産業などのお家芸になっている。生産方法、生産工程など、かの業界は常に「改良」「革新」をモットーにしている。約150年の歴史を経て、佛立のお家芸を奪われた思いになるのは私だけだろうか。
最近、その業界では「ダイセル式」なる改良・革新の手法が注目を集め、ついに政府もこれに着目するに至った。
その内容を見てみると、
(1)最初に徹底的に業務の見える化を実施する(ミエル),(2)そこで表面化したムダを何より先に取り除く(ヤメル),(3)カイゼン活動に入る(カワル)
とある。まさに、見習うべき業務改善のポイント。こういうことを、逆に学ばなければならなくなっているのが悔しいが、お家芸を取り戻すための参考になるのでは。
下記、詳細記事のアドレスを添付します。
「あの会社,今までにないような生産革新活動をしているらしい」。そんな噂が立ち始めたのは,2001年前後のことだ。当初こそ同業者のみぞ知る隠れた存在だったが,やがて商社や銀行の間で話題に。数年前からは,生産革新活動をお家芸とする自動車メーカーからも注目されるようになり,ある大手自動車メーカーのトップに「ぜひウチでも導入したい」と言わしめた。」
東京中央食肉市場にて
今日は家庭菜園用の腐葉土からも放射性物質が検出されましたが、内部被爆の可能性が少ないので回収までは至らない数値とのこと。どこまで信じていいやら分かりません。いずれにしても、煮ても焼いても無くならない放射性物質が全国に拡散したのです。この事実。こうした事態を招いた全ての現代人が、未来の人々から裁かれることになるでしょう。
食肉に放射能汚染が広がっていることで何度か報道に出ていた東京中央食肉市場。高校生の頃、アルバイトをしていた場所です。
とにかくお金が無かったのでいろいろなアルバイトをしましたが、これほど反対されたバイトはありませんでした。
時給がいいからと友だちに誘われて始めたバイトでしたが、東京中央食肉市場ととは、いわば屠殺場であり、畜産物の解体、加工を行う場所で、僕たちはその解体・加工・卸の「◯△畜産」という会社で働くことになったのでした。
朝、5時過ぎに家を出て、品川駅に集合。みんなで駅近くの市場まで歩いていきました。門を入ると敷地から動物たちの声が響いています。見ると、数え切れないほどの牛や豚が囲いの中にいました。
私たちは市場の一角にある工場に入り、解体されたお肉を真空パックにしたり、軍手などをお洗濯したりするのが仕事でした。朝、あれほどいた牛や豚が、昼休みになると鳴き声一つしなくなり、ガラガラ、ガタガタとレールに吊るされて流れてきます。
時々、「ナガマツ、内臓屋に行ってこい!」と言われて小さなメモを持って違う建物に行きます。その建物に入ると、一般の人が焼肉屋さんで食べるようなホルモンなどがバケツに入れられています。大きな牛の頭蓋骨なども積み重ねられていました。おぞましい光景でした。
ここで働くことを「信じられない」「なんて場所で働くんだ」「そういう仕事はそういう人たちが働くのだから、あなたはダメだ」などと言われました。その当時の自分には分かりませんでしたが、差別というか、そういう仕事に従事することや、その人たちを差別する空気があったと思います。特に、生まれ故郷の京都には。
ただ、私の父と母、そして京都の偉大な小千代祖母は、若い時に僕が経験するあらゆることをむしろ喜び、歓迎していて、「勉強してきなさい」と言って送り出してくれた。加工され、食品パックでしか見ることのできない「生き物」たち。僕たちの口に入る「命」を、目の当たりにする貴重な機会なんだ、と。
しかも、その畜産会社で働いている人たちは、本当に気持ち良くて、格好よくて、腕が丸太のように太くて、男前でした。見た目は近寄り難い強面ばかりでしたが、何とも気さくで、僕たち不良の高校生でも子猫のようにかわいく言うことを聞くのでした。
世の中が何と言おうと、仕事の数だけヒーローがいる。自分たちが恩恵を受けているのに、何か汚い、怖い仕事だと言って差別するなんて、全くおかしい。お皿に綺麗に盛り付けられ、パックに入れられた食品が血の通った命たちであることを知らなければなりません。そうでなければ、本当に食することなんて出来ない。
社会が複雑に発展を遂げて、分業に分業を重ねて、いつしか僕たちは生産者や命たちと遠く離れて別世界に住んでしまってはいないかな。原発事故で畜産物や農産物、水産物、腐葉土まで汚染されたと言われて、その実感がどこまで出来るかな。
僕のアルバイトは数週間で終わりましたが、父や母、祖母が言っていたように、これも自分の人生でかけがえのない経験となり、勉強となりました。もし、こうした場所で仕事をしたことで嫌われたり、軽蔑されるとしても仕方ありません。でも、これが現代社会の真実であり、その恩恵を、みんなが、そして私も、受けているのだから、体験できて本当によかったと思っています。
今後、放射能汚染がどれだけのインパクトで私たちの生活に迫ってくるか、予想がつきません。ただ、はっきり言えるのは、もっと食べ物に対する意識を持って、消費者として生産者を眺めるのではなく、生産者と同じ視点に立たなければならないと思います。つまり、「共同体」「信」を取り戻さなければ、成り立たない世界がやってくると思うのです。
「佛立コープ」ということをはじめましたが、この本当の目的は、そこにありました。農園と朝市はほんの一部分。本当は、社会的な危機に瀕していると思われた、人間と食の関係を立て直すことにあります。もう、大震災が起きて、原発事故も起こり、遅いことがたくさんあるけれど、あきらめずに、全国の、佛立の中の生産者の皆さまと結びつければと思います。
一つ一つ、遅れていることがあります。ホームページもそうだし、アプリもそうだし、基幹ソフトも、そしてコープも。頑張らないと。間違った設問に対して、正しい答えを出そうと必死になってる場合じゃないか。
今日から、本山奉仕のご奉公。青年会の部。一生懸命お世話させていただきます。
2011年7月28日木曜日
ビザ
ビザの申請をしたが僕が作った書類に不備があり、大使館から蹴られた。昨日、それを聞いてすぐ大使館に電話し、本庁から書類をファックス。何とかビザをいただけそう。
大変。本当に。手落ちばかりになる。小野山さんも手一杯。サポートしてくれたからよかったものの。
在スリランカ日本大使館の門の前で良潤を待たせ、お通夜の会場から大使館に電話し、スリランカのセンターに電話し、良潤に中にもう一度入るように指示し。
これで弘通局はさらに業務が増えるらしい。国際局の設置は先送り。理由は局を増やすと経費がかかるから、らしい。そんなことはない。やり方次第で削減できる。むしろ、今のようなやり方では詳細な検討やチェックが出来ず、成果の薄い出費がある。要するにマネジメントが出来ず、ビジョンがないということだ。
広報が弘通局に編入されるとも聞く。個人的には改悪中の改悪だと思う。断固反対だが発言の機会もない。これは別の機会に書きたい。まだ暗い。
写真は2年前の良潤師、つまりディリーパくん。
94才のお誕生日
羽沢の家
今回は、人数の関係のため、建物の二階、三階にて、いつもより多い二度、合唱会を行わせていただいた。
「羽沢の家」の方々も、コーラス部の皆さんの事を覚えており、職員の方も、「夏の顔として、施設の皆さまも楽しみにしています」との言葉をいただいて、コーラス部の皆さんも、気合いを入れ直して、今回の合唱会に臨み、今までの練習の成果を遺憾なく。
合唱会では、途中の手遊びや、施設の皆さんにも一緒に参加していただいたり、合間に、三月の大震災から妙深寺が、同じ老人ホームの岩手県陸前高田市の高寿園というところに支援や炊き出しをさせて貰っている事や、簡単ながら仏教説話を紹介させていただき、聞いていた施設の方々もウンウンとうなずかれたり、合いの手を入れられたりと、楽しんでいただく事ができました。
上記、清翔師が報告してくれました。ありがとうございます。
幸の湯、常さん、北九州
帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...
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この地球が到達した、彼も助かり我も助かる、持続可能の再生可能クリーンエネルギーを確かめ合えた時間。 普遍真理、普遍思想を説く仏教が、人びとのライフスタイルに密着し、プラクティカルに実現していることに感激する一座が、本門佛立宗妙深寺の開導会でした。これほど嬉しいことはありません。...
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磁力で引き寄せられるように自然と一つになってゆく。人間たちの想像をはるかに超えて。僕たちは大きな宇宙の中の小さなピースに過ぎないから。本当に、不思議です。誰がシナリオを書いているんだろう。 今日、サンフランシスコの淳子さんが妙深寺にお参詣くださいました。まったく知らなかったです。...
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今週の横浜ラグーンは俳優の西村まさ彦さまをお迎えしました。 ご存知のとおり、「振り返れば奴がいる」「古畑任三郎」など、大河ドラマ、映画、舞台、声優、CM出演など挙げればキリがないほどひょうきんな役からシリアスな役までオールラウンドに演じられる名優・西村まさ彦さん。 ジブリ作品『...