今日は家庭菜園用の腐葉土からも放射性物質が検出されましたが、内部被爆の可能性が少ないので回収までは至らない数値とのこと。どこまで信じていいやら分かりません。いずれにしても、煮ても焼いても無くならない放射性物質が全国に拡散したのです。この事実。こうした事態を招いた全ての現代人が、未来の人々から裁かれることになるでしょう。
食肉に放射能汚染が広がっていることで何度か報道に出ていた東京中央食肉市場。高校生の頃、アルバイトをしていた場所です。
とにかくお金が無かったのでいろいろなアルバイトをしましたが、これほど反対されたバイトはありませんでした。
時給がいいからと友だちに誘われて始めたバイトでしたが、東京中央食肉市場ととは、いわば屠殺場であり、畜産物の解体、加工を行う場所で、僕たちはその解体・加工・卸の「◯△畜産」という会社で働くことになったのでした。
朝、5時過ぎに家を出て、品川駅に集合。みんなで駅近くの市場まで歩いていきました。門を入ると敷地から動物たちの声が響いています。見ると、数え切れないほどの牛や豚が囲いの中にいました。
私たちは市場の一角にある工場に入り、解体されたお肉を真空パックにしたり、軍手などをお洗濯したりするのが仕事でした。朝、あれほどいた牛や豚が、昼休みになると鳴き声一つしなくなり、ガラガラ、ガタガタとレールに吊るされて流れてきます。
時々、「ナガマツ、内臓屋に行ってこい!」と言われて小さなメモを持って違う建物に行きます。その建物に入ると、一般の人が焼肉屋さんで食べるようなホルモンなどがバケツに入れられています。大きな牛の頭蓋骨なども積み重ねられていました。おぞましい光景でした。
ここで働くことを「信じられない」「なんて場所で働くんだ」「そういう仕事はそういう人たちが働くのだから、あなたはダメだ」などと言われました。その当時の自分には分かりませんでしたが、差別というか、そういう仕事に従事することや、その人たちを差別する空気があったと思います。特に、生まれ故郷の京都には。
ただ、私の父と母、そして京都の偉大な小千代祖母は、若い時に僕が経験するあらゆることをむしろ喜び、歓迎していて、「勉強してきなさい」と言って送り出してくれた。加工され、食品パックでしか見ることのできない「生き物」たち。僕たちの口に入る「命」を、目の当たりにする貴重な機会なんだ、と。
しかも、その畜産会社で働いている人たちは、本当に気持ち良くて、格好よくて、腕が丸太のように太くて、男前でした。見た目は近寄り難い強面ばかりでしたが、何とも気さくで、僕たち不良の高校生でも子猫のようにかわいく言うことを聞くのでした。
世の中が何と言おうと、仕事の数だけヒーローがいる。自分たちが恩恵を受けているのに、何か汚い、怖い仕事だと言って差別するなんて、全くおかしい。お皿に綺麗に盛り付けられ、パックに入れられた食品が血の通った命たちであることを知らなければなりません。そうでなければ、本当に食することなんて出来ない。
社会が複雑に発展を遂げて、分業に分業を重ねて、いつしか僕たちは生産者や命たちと遠く離れて別世界に住んでしまってはいないかな。原発事故で畜産物や農産物、水産物、腐葉土まで汚染されたと言われて、その実感がどこまで出来るかな。
僕のアルバイトは数週間で終わりましたが、父や母、祖母が言っていたように、これも自分の人生でかけがえのない経験となり、勉強となりました。もし、こうした場所で仕事をしたことで嫌われたり、軽蔑されるとしても仕方ありません。でも、これが現代社会の真実であり、その恩恵を、みんなが、そして私も、受けているのだから、体験できて本当によかったと思っています。
今後、放射能汚染がどれだけのインパクトで私たちの生活に迫ってくるか、予想がつきません。ただ、はっきり言えるのは、もっと食べ物に対する意識を持って、消費者として生産者を眺めるのではなく、生産者と同じ視点に立たなければならないと思います。つまり、「共同体」「信」を取り戻さなければ、成り立たない世界がやってくると思うのです。
「佛立コープ」ということをはじめましたが、この本当の目的は、そこにありました。農園と朝市はほんの一部分。本当は、社会的な危機に瀕していると思われた、人間と食の関係を立て直すことにあります。もう、大震災が起きて、原発事故も起こり、遅いことがたくさんあるけれど、あきらめずに、全国の、佛立の中の生産者の皆さまと結びつければと思います。
一つ一つ、遅れていることがあります。ホームページもそうだし、アプリもそうだし、基幹ソフトも、そしてコープも。頑張らないと。間違った設問に対して、正しい答えを出そうと必死になってる場合じゃないか。
今日から、本山奉仕のご奉公。青年会の部。一生懸命お世話させていただきます。
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