2013年8月31日土曜日

「僕たちしっかりやろうねぇ。」

頭の中は、賢治でいっぱいになってます。明日の準備中。

資料を見直して、あらためて『春と修羅』の中の、『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』、そして『青森挽歌』を読み、涙。

賢治の詩を、あるいは文章を読んだり、その人生を見てゆくと、涙が出ます。どうしても、涙が溢れます。

見えすぎるくらい世の中を見て、人を見て、痛いほど、責任を感じて、何とか人のために行動しようと思って、生きた賢治。そういう風に、生きようとした賢治。そういう風に、生きれるようになった賢治。

さみしかったろーなー。つらかったろーなー。ふんばったなー。がんばったなー。

涙が出ます。

賢治は、永遠になりましたね。

本当に、よかった。トシと、賢治と、二人で、二人だから、永遠になったんです。

教科書に載って、子どもたちに豊かな文学性を教えるとともに、崇高な、この上なく尊い、人間の心を伝えています。

悲しい別れが、賢治を奮い立たせました。

その悲しい別れが、賢治を、永遠の人にしました。

トシは賢治の二歳年下の妹で、篤い浄土宗の信仰をしていた宮沢家にあって、この二人だけが法華経の信者となっていました。ですから、賢治とトシは、本当に仲の良い兄妹というだけではなく、信仰上の同士でした。

その妹のトシが、二十四歳という若さで死んでしまうのです。死因は結核でした。

「衆生病む故に菩薩亦病む」

トシの病気と死は、賢治の魂を高みへと導くことになりました。

賢治にとって、トシは菩薩となりました。

彼女の病気は菩薩の病気であり、彼女の死は菩薩の死であったといえます。

賢治が、そうしたのです。

トシが、そうだったのです。

賢治は、そうしたのです。

「衆生病む故に菩薩亦病む」

賢治にとって、トシとの別離は、耐え難い、あり得ない、苦しみ、悲しみでした。

しかし、だからこそ、ここから、賢治は飛躍します。

永遠の賢治になります。

永遠の賢治になりました。

『銀河鉄道の夜』を読んで、また、いつものところで、涙。

二人きりになったジョバンニは、カムパネルラにこう呼びかけます。

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」

「ほんたうのさいはい(本当の幸い)」

賢治は言っています。本当の幸いについて。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する。
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか。
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。
われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である。」(『農民芸術概論綱要』)

いま、そうなっていないから、大自然がその巨体を震わせて暴れさせて、私たちを苦しめているのでしょうか。

毎日どこかの町が冠水し、毎日どこかの家が浸水し、ゲリラ豪雨がゲリラでなくなっています。

でも、あきらめずに、「ほんたうのさいはい」のために、デクノボーと罵られても、やるしかないですね。

永遠の賢治。

僕は、やっぱり、この会話が好きです。

ジョバンニと、カムパネルラの会話。

賢治と、トシと会話。

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「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニは云いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。-----。
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このカムパネルラの、「きれいな涙」で、涙が出てしまう。

『無声慟哭』を思い浮かべながら、カムパネルラの、きれいな涙を重ねると、涙が出てしまう。

そして、思う。

「僕たちしっかりやろうねぇ。」

そうだ、しっかりやろうねぇ。

明日から9月。

8時から月始総講です。

正々堂々とうんちの話をする!

ご信者さんの数だけヒーローがいる!先生がいるー!

神奈川布教区の楽しさは、ご信者さんが先生になっていろいろな講義をしてくれることです。教務さんも生徒になってお勉強します。

その中心はオレンジ会。開講150年のグランデ・ファミリアで誕生したインターテンプル(お寺の枠を越えた)のご信者さんのプロデュース集団。すごいです。

これまでもお寺を会場として、講義や講習会を開催してきてくれました。

今日の第10回ロータスセミナーでは『うんち力を高めて腸から若返ろう!』をテーマに、さっきから正々堂々とうんちの話をしています(笑)。杉崎さんから「ご住職、最近うんちどうですか?」と聞かれたり。

大事なことですよねー。いいうんちを出すこと。便秘で悩んでおられる方は多いし、楽しい旅行も便秘で困ったという方もいると思います。

腸内環境を整えると、体はもちろん、心も健康になります。今日の講義を聞くと、簡単に5才は若返るって。大切だなー。

腸には約100兆個の細菌がいて、その細菌の重さは1キロ!はじめて知った。

司会の方から「さぁ、今日はうんちのことを勉強しましょうー。では、布教区長、無始已来をお願いします」って、思わず笑ってしまいました。楽しくて、真面目な講義です。

うんちのこと、勉強しよー。

2013年8月30日金曜日

「悪い結婚より良い婚約」

1948年、つまり昭和23年に角川書店から出版された古書が届いた。

古書には慣れているものの、封を開けると上手く言い表せない感動が。情報に溢れた現代ではないからかも知れないが、すでに古書には独特の説得力がある。

この一冊を抱いて書斎に隠れたいところだけど、すぐにどうにかなる内容でもないので、じっくり、ゆっくり、読んでみようと思います。

本を開いてみたら、冒頭のエピグラフ、1ページに1行の題辞。

「悪い結婚よりいい婚約
シェイクスピア」

ものすごく真面目な本なのに、これかー。まったく、シェイクスピアったら。

発行者は角川源義氏。著者が置いたのか、日本語版の編者が置いたのか分かりませんが、あまりにこの本に相応しい一文で、思わず唸りました。ますます読むのが楽しみになりました。

今日は日晨上人の祥月ご命日法要に参列させていただくために乗泉寺世田谷別院さまにお参詣させていただきました。午後からは信廣会の臨時総会。

無事に清康と清朋も戻ってまいりました。ご祈願いただいた皆さま、ありがとうございました。

2013年8月29日木曜日

インドから届くご信心の情熱、ご弘通の息吹

8月24日から30日まで、妙深寺の清水清康師と有馬清朋師がインドに出張に行ってくれています。

Facebookでは、清康師がご奉公ぶりを順次アップしてくれているので分かります。

ゼロからの出発。インドでのご弘通ご奉公。清康師も清朋師も、頑張ってくれています。

2030年には世界の成長エンジンはインドと中国になると言われていて、その人口からしても、豊富な資源からしても、大きな発展は間違いありません。

ニューデリー、ブッダガヤ、ラージギルと、今回の、彼らのご奉公が、何かを突き破ってくれたように思います。

清朋師から、毎日報告メールが届きます。そのメールがとっても詳しく状況を言い得ているので、ご有志をお預かりしたり、この妙深寺のご奉公を応援してくださっている方々にもお読みいただきたいと思い、紹介させていただきます。

清朋師は、時々フリーズするのですが、これほど細かくご奉公してくださるから、有難いのです。妙深寺の浄財での出張は一般社会の出張よりも厳しい報告義務が課せられているので(笑)。彼は師匠仕えもしっかりしてくれます。時々フリーズしますが(二度目)。

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清康師がフェイスブックにアップされていますが、本日は、シェーカー実家での結縁行事(セッション)をさせていただきました。

Jharkhand(ジャルカンド)州Lohardaga(ロハルダガ)という、ガヤまで車で5〜6時間かかるというところから、シェーカーのお父さん(Shankarさん)の兄弟(シェーカーの叔父さん)であるManojさん、Pankajさんがご家族とともに来てくださりました。

Manoj家は奥さん、Sonaliちゃん(12)、Pankaj家は奥さん、Akshayくん(14)来年受験、Akashくん(12)、Akanshaちゃん(12)、それにシェーカーのお兄さんのRaviさん、奥さん、ローシニーちゃん(愛称・トゥインクル)(1)。

また、シェーカーのお祖父さんのお姉さんという90歳近い方もお見えになりました(家族も自慢するほど、頭も髪も歯もしっかりされていました)。

さらに、お父さんの知り合いで、どうやら梗塞ほか、様々な病気を患っているShambhu Pradserd Agrawalさんとその奥さん、また、知的障害のあるShambhuさんとその男兄弟2人が見えました。

セッションはブッダのご生涯、ヒンドゥー教は仏教の母親、法華経と方便のこと、御題目はブッダから人類への最大の贈り物であること、菩薩行の修行は自分のための修行ではなく他の人を対象とした人助けであること、などをお話しし、みんなで御題目をお唱えしました。

その後一呼吸おいて、病気の方二人のために、1時間のお助行をさせていただきました。事前に少し長めにお看経を頂くという話になっていましたので、ご供養作りの人を除く、大半の人が、最後まで参加してくれました。

まず、シェーカーの親戚ですが、マノージュ(Manoj)さんが昨日に引き続き、お看経のときにみんなを盛り上げたり、病気の方にしっかり御題目を唱えよう、と励ましてくださったり、とてもいいご奉公をしてくださいました。

そして、今回の結縁を通してご信心を大好きになってくださり、御本尊拝受をお勧めしたら、ぜひ、とのご返事で、次回はジャルカンド州ロハルダガの自宅まで来てください、とのことでした。

また、もう一人のシェーカーの叔父さんであるパンカジュ(Pankaj)さんも、御本尊を頂きたいと言っていたとのことでした。

子供たちも、お助行にも懸命に参加し、男の子二人は1時間最後までお看経をいただいていたと、清康師より伺いました。

英語もできましたのでいろいろと話もし、プレゼントも喜んでくれ、交流することができました。

シャンブー・プラドサードさんとシャンブー・シャランさんのお助行では、清康師がそばについてくださり、マノージュさんもご奉公くださいましたが、中々御題目を唱えられなかったとのことでしたが、みんなで大きな声で御題目をお唱えしました。

梗塞などを煩われているシャンブー・プラドサードさんは、どうしても良くなりたいんだ、とのことで終わってから一生懸命御題目の発音を確認したり、何度も私たちに訴えかけてこられました。

子どもにあげたおみやげをいつの間にか貰ってしまったり、ちょっと困ったおじさんでもありましたが、御本尊にも、教務にも、懸命にあいさつをされて、帰って行かれました。

このシャンブー・プラドサードさん、そしてシャンブー・シャランさんともに、その後家族にも、速やかに御利益をいただくために、まずとにかく出来るだけたくさん、御題目をお唱えすること、お供水もたくさんいただくこと、一生を通して唱え続けるという誓いの思いをもつこと、家族でお唱えすること、などをお話しして、最後二つ残っていたペンダント御本尊を拝受いただきました。

またシャンブー・プラドサードさんは本当に何度も良くなりたいと仰っていたので、御本尊に御題目をお唱えするところには、すべての仏様、神様がお集まりになるからと謗法払いのことをシェーカーに話、様子を見ながら話して貰うようにいたしました。

とても嬉しいとともに、病気の二人のことを思うと身の引き締まるセッションでした。

その後パトナに移動し、飛行機でデリーに到着。脱臼の治療を受けるための、シェーカーのお兄さんのラヴィさんを合わせて4人での移動でした。

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素晴らしい、充実したご奉公。何もなかったところから、一人のお教化があり、そこから次へ、次へと広がる、真の海外弘通。草の根のご奉公。

インド弘通のダイナミズム、伝わってきました。

いい経験をして、清康師も清朋師も、また一回り大きくなって帰ってくるはずです。それは、妙深寺の教務部に循環し、妙深寺のお役中方にも循環し、妙深寺全体に、新たな、生き生きとした、ご信心の情熱、ご弘通の息吹を吹き込むのです。

この相乗効果こそが、私の目指すところです。

テロのあったブッダガヤ。無事にデリーまで移動できたようで、よかった。何とか無事に帰国してもらいたい。ただ、願うのみ。

ありがとうございます。

カウントダウン

「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ。」

戦争は無くならない。戦争が拡大する。戦争を利用する。戦争が始まる。

ダマスカスは、また血で染まるか。これまでもそうであったように。

欧米の真実と、ロシアやイラン、さらにその影にいる中国が掲げる真実に、大きな隔たりのあるまま、ついに戦火が開かれるのだろうか。

私たち日本人が考える以上に複雑な「パワーバランス」によって成り立っているのが中東諸国であり、そこに生きる人々であることを忘れてはならないと思う。宗教や宗派、王権や様々な階層が、長い時を経て、今を作り、今の状況を作り、今の安穏を作り、今の紛争を作ってきた。

そこに、世界の大きな二極の勢力が集約して介入し続け、ここに臨界点、沸点を迎えようとしている。

王政。圧政。これらはシリアに限ったことではない。なぜ、ここまで、シリア内戦が深刻化しているのか。

この国を囲む様々なパワーが、そうさせてきたのだと思う。

米国、英国、仏国。この勢力に日本もあり、安倍氏は早々にシリア政権を批判し、攻撃を容認する構えを示した。

シリア。その背後にはロシアがあり、最大の支援国はイラン。つまり、中国もこの勢力にいる。

世界を二分する勢力の、シリアに於ける対決。

「攻撃は限定的なものになる。」

信じがたいコメントで、プロパガンダ的な側面が強いと思われる。攻撃の端緒を開くに当たり、世論を肯定に導き、駆け引きに利用するために出したコメントのように思われる。

ひと度、攻撃が始まれば、それは長い戦争へと発展しはしないのか。

なぜ、国連が、化学兵器の使用疑惑に対して調査団を派遣し、まさに調査している最中に、化学兵器の使用を断定し、欧米各国は歩調を合わせ、世論を醸成させていくのだろう。

イラク戦争の苦い経験が、それらの情報の信憑性を疑わせる。

あの時も、ずっと戦争を始める口実作りに付き合わされていたのだから。

ハリウッド映画ですら、次々とあの茶番劇を暴いてきたではないか。

イラク戦争に火をつけた「大量破壊兵器」スクープは「御用記者」の誤報だった。マット・デイモン主演の映画『グリーン・ゾーン』は米国政府の情報操作をテーマにしていた。CIA工作員名漏洩事件で有罪となり、服役もしていた元ニューヨークタイムズ紙のジュディス・ミラー記者をモデルにした映画。

また、イラクに大量破壊兵器が存在しないことを公表したために、アメリカ政府の厳しい報復に遭った元CIAの女性エージェントの実話「プレイム事件」を映画化したのが『フェア・ゲーム』だ。ナオミ・ワッツとショーン・ペンが好演している。攻撃と戦争が「目的」となった時、「真実」はその政策の主観に基づくものに限られる。真実は、どうでもいいのだ。政府の真実に従わない者は、裏切り者として破滅ささえられる。現実世界のスパイの実話は、スパイ映画よりも理不尽で恐ろしいと突きつける。

イラク戦争の直前、2003年2月5日、国連の安全保障理事会で行われたパウエル報告は、イラクが化学兵器や生物兵器を密かに開発し、所持していることを、衛星写真や航空写真、地図を用いて説明した。後に、これらの全てが、事実誤認や捏造された情報だったと判明している。

国連が、茶番劇の舞台にされたことは、国連決議の前にアフガニスタンに侵攻したことよりも、歴史的な出来事だったと思う。

僕は、ほとほと呆れかえった。だから、2003年11月、一人でイスラエルに行った。目の前で繰り広げられる戦争のライブ映像の中で、バタバタと子どもたちが傷ついていくのを見ていられなかった。この根底に、何があるんだ、と憤慨していた。

ジョージ・クルーニーとマット・デイモン、ジェフリー・ライトが共演して、また虚しく、非情な、国際政治と利権争いを描いたのが映画『シリアナ』。体重を大きく増やして名演したジョージ・クルーニーは製作総指揮も務めた。

こうした映画、冗談で、フィクションであって欲しいと願うが、実話に基づいていたり、実話とすれば製作すら出来なくなるから仮名や偽名にしているだけ。つまり、こうしたことが、現実に起きているのが、国際政治であり、巨大なエネルギー産業や軍需産業、銀行や国際シンジケートなのだということが分かる。

もう、これしか方法はないということで、踏み込んだのだろうか。

このタイミングしかないということなのだろうか。

唯一の超大国の座が揺らぐ米国は、この機を逃せばさらに二極化が進み、もっと危険な状態になると判断したのだろうか。

確かに、新たな二極化は着実に進んでいる。

すでに、シリア攻撃は第三次世界大戦につながるというコメントもある。本当に、人類は、またそんな愚かな方向に歩みを進めてしまうのだろうか。

各国の政策や思惑による「真実」ではなく、共通の(愚かという人もいるだろうが)真実に依れないか。

いま、また攻撃しないにしろ、攻撃が始まってしまうにしろ、看過する過ちを繰り返さないために、耳目を見開いておきたいと思う。

沈黙するイスラエル。米国政府に大きな力を持つユダヤロビー。シリアをどうするかということについて、彼らが暗躍していないはずはない。

とすれば、やはり、私は、あのイラク戦争の時と同様に、この人類が繰り返す過ちの根底に、宗教や思想の問題が横たわっていると考える。

だからこそ、人類の思想的次元上昇を、真実の仏教によって実現しなければならないと、切に思うのだ。

カウントダウンは、もう始まっているかも知れないが。

2013年8月28日水曜日

明け方の夢

明け方、珍しく夢の中に父が出てきました。

なぜか、父が病院に診断結果を聞きに行く直前という状況でした。それが明後日の8月29日で、29日の自分のスケジュールをずらしてでも付いて行く、と父に言っていました。

もう、だいぶ前のことなのに、そんな状況設定の夢。とっくに父はいないのに、何の疑問もなく直近のスケジュールを調整してました。そんなものですね、夢は。

反省だらけだから、平身低頭なのですね。とにもかくにも、病院にしっかり行って、先生に診断していただこう、治療に専念しよう、と必死に話している自分。

なぜか知らないけれど、そういう僕を笑顔であしらいながら、父は「今月から毎月3万円を家に入れなさい」と言っていました。なんで?お金?3万円?

おもしろい夢。

で、起きました。

きっと、清優師が一生懸命に病院に通い、昨日も先生の診断を聞いたり、御導師のお給仕をされているのと重ねて、自分と父のことを思い出していたのだと思います。

で、3万円?どういう設定?

想像がつきます。

父が癌と診断された時、僕は側にいなかったから。社会勉強、武者修行と言い張り、飛び出していた時期だったから。病院にも付き添わず、すべて母と姉、瓜生さん任せだったから。余命1年と診断された時も、サンフランシスコに出張中。アホの極み。後悔の塊。

だから、夢の中で、甲斐甲斐しく「病院に付き添う」と言ったりするのだろうと思います。そして、父は、笑いながら、「家にお金を入れなさい」などと言ったのです。仕事をしてるなどと偉そうにしていながら、親孝行の一つもしていなかったから。

とにかく、昨日の手術は大成功で感激です。発見されたのも一大ご利益でしたが、他の部位への転移もなく、本当に、また現証の御利益を見せてくださいました。

「衆生病む故に菩薩亦病む」

「菩薩の病は大悲より起る」

まさに、そのとおりです。ありがたいです。

2013年8月27日火曜日

名古屋へ

名古屋の建国寺さまにお参詣させていただき、9時半から13時半まで、手術のお助行に参加させていただきました。

妙深寺の本堂でもお助行の一座を勤めてくれていました。たくさんのご恩があるので、私は手術室の近く、ご自坊のご宝前でお助行させていただくべきと思い、お参詣させていただきました。

大勢の方々がお助行されていました。

無事に終了とのこと。本当に、ありがたいです。

ありがとうございます。

2013年8月25日日曜日

河口湖と小笠原

8月23日は、大切な方の7回忌の祥月命日でした。数日遅くなりましたが、御題目碑の前で、ご回向させていただくことができました。

こうして、この地で、手を合わせることが出来て、幸せです。

この地に、御題目碑が建立できたことも、奇跡のようなことですが、何よりも、あなたに出会えたことが、僕の人生に起こったたくさんの奇跡の中でも特別不思議な奇跡でした。

もちろん、僕たちはそれを必然と言うのだけれど、本当に、何度考えても、不思議で、不思議としか言えない。おやっさんには、たくさん、たくさん、教えてもらいました。

この時に合わせて、高校時代の友人も、大学時代、ジェットスキー時代の友人たちも、集まってくれていました。全部が奇跡だ。みんなの顔を見ていて、思ったよ。

フロイラインエアロ・ジェットスキーチームで作ったビデオを放映しました。懐かしい映像ばかり。江戸川、伊豆の海、横浜博覧会の海のパビリオン、レース。あの時も、インチキキャプテンをみんなが支えてくれていました。今と構図は変わらないみたい(笑)。

大切な仲間。こうして、笑いあって、抱き合って、再会できることも、今までの歴史、過ごしてきた時間、そこにいてくれたみんな、全部が奇跡だったんだね。そう思えました。ありがとう、みんな。本当に、かけがえのない、大切な友人たちです。

今回の呼びかけ人で、この場所を守り、築き上げてきた、一番いて欲しかった正ちゃんは、小笠原に行ってしまいました。お兄の24時間テレビのサポート。大切なことだし、残念だったけど、みんなで中継を観ていました。無事に、事故もなく、感動いっぱいの放送になって、よかったねー。

パワフルで、力強い友人たち。厳しい目が光っているから、何をやっていても、中途半端は出来ないよ。これからも、みんなに恥じないように、ナガマツ、頑張りますー。

2013年8月24日土曜日

師に仕ふるには過ぎず

2日間にわたり、鈴江御導師にお出ましいただき、無事に、盛大に、特別御講を奉修していただきました。

この夏、富士子奥さまの第十三回忌をお迎えしました。12年前のあの日も、特別御講だったのです。最愛の、長年連れ添った奥さまが帰寂され、私たちは当然特別御講は中止と思っていました。

しかし、御導師は言われました。「妙深寺に行くよ。富士子に怒られちゃう」そして、御導師は本当に特別御講を奉修くださいました。

御法門の途中、少し涙ぐまれ、嗚咽を抑えておられたのを思い出します。

佛立魂でした。佛立の御導師方は、本当に、ずっと、佛立魂でした。鈴江御導師。本当に、いつもお手本を見せてくださってきました。

ご信心をさせていただいていても、泣きたくなることあります。ご宝前に突っ伏して、イヤイヤをする子どものように、泣きながら御題目をお唱えすることもあるんです。

病もそう。老いもそう。愛する人との別離も、様々な問題も。

それを、どう越えるかを、菩薩は見せてくださいます。結局、どうのこうのという話ではなくて、姿なのだと思います。乗り越える、姿。

御導師は、いつも見せてくださいました。その跡を、追っています。

それでも、お年を召されました。今回、それを痛感しました。お疲れであり、お年を召された。

今朝、朝のお看経の途中、隣りにいた正教師が導師座の私に声を掛けてくださいました。

「御導師のホテルに早く行かれて、ご一緒に朝食を召し上がった方がいいのではないでしょうか。」

そう。そのとおりでした。いつもであれば、10時にお迎えに行っておりましたが、その前からお給仕させていただくべきです。

ホテルに着き、一階からお部屋にお電話しました。お召し替えのお給仕をさせていただき、一緒に朝食会場に行き、一緒にお食事をいただきました。

ボタンをとめる所作など、すべてが勉強になりました。教えていただきました。インスタントな、年に一度のお給仕で申し訳ない限りなのですが、お師匠さまに、伏して御礼申し上げるばかりです。

「実(まこと)に仏になる道は師に仕ふるには過ぎず」

お祖師さまはお示しです。

仏道修行の中で、師匠仕え以上のご奉公はない。

しかし、末法では、難しいです。

師匠のいない人が、たっくさんいます。心から、敬えない癖。「善師をば遠離し、悪師には親近す」という癖があります。

しかも、末法には正法にも値いがたく、正師にも値いがたいという環境的な絶対マイナス要件があります。

ですから、先住のお怪我、佛立魂以来、鈴江御導師にご教導いただいてきた自分が、どれほど有難い身の上か、つくづく痛感いたしました。

2日間、本当に、鈴江御導師のそばでお給仕、お師匠仕えさせていただいて、自分の慢心にも気づき、懈怠にも気づき、弱さにも、不学にも、気づきました。

御導師は何も仰せになりませんが、いてくださるだけで、気づかせていただくことができます。本当に、ありがたいです。

改良いたします。ありがとうございます。

2013年8月23日金曜日

秋を探す

実は昨日の朝、ふとした風に秋を感じました。そう、夏も終わりに近づくと、何とも言えない情緒を味わえますね。

子どもの頃は夏休みが終わってしまうのが嫌で、秋なんか来ないでいいよーと思っていました。でも最近は季節が巡ってゆくことが、とても美しく、すてきに感じられて、楽しみになっています。

「秋が流れた。」

そんな歌詞が、サザンオールスターズの曲にありましたね。『素敵な夢を叶えましょう』だったかな。他にも、『メロディ』や『いつか何処かで』なんて、本当にいい曲で、何とも言えない気持ちになります。

「いつかどこかで、夏はまたくる」

うっとりするんですよね。

僕は『海』という曲が大好きです。曲の始まり。あのオルゴールのようなキーボードが流れると、胸がジワーッとします。夏になると、毎日聴いていました。

まだまだ暑い日が続きますが、秋を探してみると少し涼しく感じられるかもしれません。

さて、今日は13時から特別御講です。恩師・鈴江日原上人をお迎えいたします。

2013年8月22日木曜日

心の寄港地

明日と明後日は、年に一度の特別御講。鈴江御導師をお迎えします。今日は13時から前助行を行い、準備ご奉公をしてくださいました。明日の朝、御導師をお迎えに参ります。

夕方、用事があったので港まで来ました。赤煉瓦倉庫の駐車場に車を停めて、少し歩きました。気持ちいい。

飛鳥 �が碇泊していたました。セレブな人たちの船だなー。マリンルージュ、シーバスも行き来していました。

しばし夏の横浜を堪能しました。

港は、いいですね。ある人にとっては旅立ちの場所であり、ある人にとっては故郷、ある人にとっては長旅を癒す寄港地でもある。

20年以上前、妙深寺の掲示板で始めた最初の掲示物のタイトルは「心の寄港地」だったんですよね。

港は、いいです。

針は常に天極を指す。

憤懣やるかたない

史上最大の放射能汚染水の流出。もう、こんなことは、誰もがうっすらと分かっていて、それでも「まぁ、大丈夫のようだから、大丈夫だろう」という曖昧で甘い考えのまま、こうしたタイミングで話が出る。

「トムとジェリー」の漫画のようなドタバタ劇の末に突きつけられる現実。

爆弾の導火線に火が付いていて、それを必死で消す。でも、また火が付く。また慌てて火を消して、また付いてしまう。どんどん導火線が短くなっていく。

イタチごっこのように、出続ける「汚染水」を地上のタンクに移してきたという。そして、今回、そのタンクから300トンの汚染水が排水溝を通って大量に港内に流れ出ていた。そして、これら恐ろしく高い濃度の放射能汚染水が外洋に流れ出ていたことも認めた。

レベル3だって。この意味は、分かるだろう。

また、この国で、原発事故が起きた。レベル4から「事故」ということになるらしいが、もはや、ずっと「事故」だったのだ。

子どもたちの甲状腺癌が増えたと言っても、「福島第一原子力発電所の事故との、直接の因果関係は考えにくい」とか「これからしっかりと調査しなければならない」とか。

愚かすぎる。

想像力がないのか。

権力者にとって、「調査する」は最も簡単な言い逃れだ。

「あまちゃん」が人気だという。

しかし、その海が、こんな風に汚されている。経済界の近視眼的な理屈、政治家の愚鈍さと愚昧さ、国民の無関心とエゴや欲の深さが、日本の海を蝕んでいる。

サバが大漁とか、秋刀魚の美味しい季節とか、あまちゃんが大人気とか、そんな言葉が空々しいよ。

世界は日本を笑ってる。

子どもたちの命が削られている。

福島県の漁業関係の方々の問題だけではなく、三陸や、その他すべての地域、豊かな海洋資源を食する日本人全員、目を覚ませ、行動を起こせ、と思う。

チェルノブイリ原発事故後の欧州のように、食品に放射能数値を書いて、提示してもらいたい。数値の高い食品は大人が買えばいい。子どもたちには、安全な食品を与えたい。しかし、そうした情報もない。どこにも、そうした、確かな対策は、為されていない。

もう、どうしようもないのかな。なんで、こんなに曖昧で、不透明なのか。

憤懣やるかたない。

21日、東電は平成23年5月から流出していたと仮定した場合、港湾内へ流れ出た汚染水に含まれるストロンチウム90は、推計で最大約10兆ベクレル、セシウム137は20兆ベクレルに上るとの試算を公表した。

ここに、何度も何度も書いてきたけれど、生物濃縮がずっと続いている。申し訳ないが、見えない悪魔・放射性物質が、魚たちを蝕み、僕たちの身体ですら濃縮されてゆく。

放射能除去装置はどこにあるんだ?イスカンダル?宇宙戦艦ヤマトの話をしても仕方ない。現在の科学では追いつかない。

国家を上げて、国民が福島や被災地の全ての痛みをシェアする覚悟をもって、この問題に臨まなければ打開策はない。

政治家も、いない。一体どこを向いているのか分からない。こんな問題を東電に押しつけて、経済界の御用聞きをして、米国の顔色をうかがいながら、結局は亡国の入り口に呆然としている人ばかりだ。

木を見て森を見ず。

森を見て木を見ず。

東電は解体して、国会事故調の黒川清氏などに、原発事故をはじめ日本国のエネルギー政策、電力供給体制そのものの変革についてリーダーシップを発揮していただけないものか。

東日本大震災があって、こんな恐ろしい原発事故を、未だに抱えているのに、今までと同じ社会保障制度なんて成立するはずがありません。根本的に、国民全体が一つになれるような変革が求められています。

そのためには、この原発事故の事実をすべて明らかにして、この理不尽な事故のために苦しんでおられるすべての方々のことを全て明らかにして、この「痛み」を基本にして、私たちの暮らしを立て直さなければ、間違いなく、この国は倒れると思います。

本当に、真実の通らない、権実雑乱で、真綿で首を絞められているような、蛇が尻尾を食べているような現状について、少し言いたくなり、書きました。


何をしたらいいのか。考えマス。



昨夜は試験

この数ヶ月間、子どもと家族のための専門家となるための講座に通ってきました。昨夜は最終の講義と、90分間の試験でした。

この年になって「テスト」というと結構ドキドキします。落第したらショック。でも、時間のやりくりをして何とか勉強してきたので諦めずに頑張りました。

子どもたちを向上させるためには、まず大人たちが向上しようと努力しなければならない。先生が言っておられました。本当に、そのとおりですね。

なぜ発達心理学を学んだか、徳育とは何か、3つのチカラ、7つの心、子どもと大人の徳性、7つのパイプ理論、ファミリービルディング、家族のファシリテーション。

同じ家族はいないから、一人ひとりの家族に、中立的な立場から支援するファシリテーション。決めつけず、課題や解決リソースを発見し、リソースを伸ばすことにみんなが注力できるように寄り添う。地道に、コツコツやり続けられるように。

本当に、勉強になりました。ご信心やご奉公でさせていただいてきたことを、社会科学的に、論理的に再構成できたような感覚でした。

活かすも、活かさないも、自分次第。頑張りますー。まずは昨日の試験に合格しておかないとね。

2013年8月21日水曜日

ほんもんさんアート市

ついに新たなプロジェクトがヴェールを脱ぎました。

「ほんもんさんアート市」!!

外に向かって、どんどん道が伸びてゆきます−。

町衆のチカラ、職人の町、アートの町・京都。いま注目の手作り市です。

「ほんもんさんアート市」の初回開催日は10月19日(土)です。毎月第三土曜日に開催される予定です。

どうぞ、よろしくお願いいたします−。

http://goo.gl/KlGLHd

2013年8月20日火曜日

今日の空

なぜ、不安定な天候と言われる空ほど、美しいのだろう。

日峰上人

8月17日、伊勢佛立寺の野崎清流ご住職がご遷化になられました。小僧の弟子となっている清翔師のお祖父さまであり、淳慧師の厳父でもあります。このようなご縁から私も機会のあるごとにご教導いただきました。

法寿90才。昨夜はお通夜、本日13時から告別式を奉修いただき、参列させていただきます。最晩年は孫の清翔師の成長を最も楽しみにされていたとのこと。そして、私のような者の健康についても、一日に何度も聞いて心配くださっていたとのことでした。

ご心配いただいていたことを心に刻んで、改良しようと思います。これからは、もっともっと、一歩一歩、本当に踏みしめて、噛みしめて、ご奉公させていただくようにいたします。無常を噛みしめて。身体の健康のことだけではなく、心も、ご信心も、いつも健康であるために。

先日のテラコヤスコラの日、ボランティアでご奉公いただいた瀬尾さんから、私の祖父・大僧正日峰上人の写真をいただきました。スライドのネガとプリント。50才くらいでしょうか。お若い頃のお写真でした。

父は、日峰上人が40才の時に生まれ、私は父が30の時の子。物心がついた頃、お祖父さまはすでにすっかりお祖父さまでした。それでも、たくさんの重要な思い出、お言葉があります。

断固たる強さを感じました。それは、攻める人の強さではなく、守る人の強さでした。それこそ、本当の強さです。長らく、私はそれに気づけませんでしたが、今、ようやく分かります。

マトリックス。その双方に真があり、学びがあります。随縁真如。

お袈裟に、仏丸と共に日聞上人の御家紋が見えます。日峰上人のご生涯、その強さを継承して、大切なことを、守ってゆきたいと思います。

それにしてもハンサム。さすが。

テラコヤスコラVol.9 『デザイン×仏教』講師:浅葉克己 氏

テラコヤスコラVol.9 『デザイン×仏教』講師:浅葉克己 氏

YouTubeにアップしてくださいました。是非、ご視聴いただければと思います。

ドキドキ、ワクワク、時にハラハラ。楽しい講演をいただきました。



2013年8月19日月曜日

伊勢へ

昨日は最高のテラコヤスコラ、浅葉先生、坪内学長、佐々木先生と、素晴らしい時間でした。まさにインスパイア。貴重な時間となりました。

さて、昨日に引き続き今日の午前中も京都佛立ミュージアムの会議でした。次の企画展の内容について最終の詰めです。

下記、次期企画展「宮沢賢治と法華経展〜雨ニモマケズとデクノボー〜」のご案内です。

2013.10.11〜2014/02/28
「宮沢賢治と法華経展〜雨ニモマケズとデクノボー〜」

東北・日本復興のシンボルとして見直されつつある国民的作家・宮沢賢治。

しかし彼は、近代文学の系譜の外に、ただひとりポツンと存在し、いわゆる文壇ともまったく疎遠です。

それは、生前、賢治作品がごくわずかな人にしか評価されず、無名であったことによります。

あの有名な『雨ニモ負ケズ』の収録された黒皮の手帳が、賢治が亡くなって五か月後に発見されたのと同じように、宮沢賢治という人間は、没後に多くの人によって発見されたのです。

没後発見された宮沢賢治という人間は、様々な人によって解釈されます。誰もが「自分のモノにしておきたい」と思うほど、発見された宮沢賢治は魅力的な人間でした。

しかし、賢治の思想の基礎には何があったのか。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と述べた賢治にとって、「ほんとうの幸福」とはどのようなものだったのか。

賢治の法華信仰という視点から、その思想、詩と文学を解き明かしていきます。

期間 : 平成25年10月11日(金) 〜 平成26年2月28日(金)
会場 : 京都佛立ミュージアム
京都市上京区御前通一条上ル東堅町110

開館時間 平日  10時〜16時
土日祝 10時〜17時

休館日 月曜日
※12月26日〜1月6日は年末年始のお休みをいただきます。

入場料 無料

主催 京都佛立ミュージアム
講演 本門佛立宗
協力 林風舎/宮沢賢治記念館

さて、エキサイティングな会議を途中で失礼して、いま伊勢へ向かっています。

2013年8月18日日曜日

浅葉先生と坪内学長のラリー

浅葉克己先生によるテラコヤスコラ、無事に終了いたしましたー。

大笑いしたり、ワクワクしたり、ハラハラしたり(笑)。まさに浅葉克己ワールドでした。

また、長松清風、私たちにとっての開導聖人に、新しい角度から光りを当てることが出来ました。まだまだ、近すぎて見えていない、尊さ、素晴らしさ、ご苦労、ご努力があります。ご生誕200年に向けてやらなければならないことは、開導聖人の真価を通して、みんなで佛立のアイデンティティを再発見、再確認することだと思います。

さーて、この写真はー、浅葉先生と京都精華大学の坪内学長との一騎打ちで御座います(笑)。卓球をこよなく愛される浅葉先生のご講演ということで、伏見妙福寺さまから卓球台をお借りしました。講演終了後、卓球大会となりましたー。

浅葉先生は卓球六段。私もさせていただきましたが相手になりませんでした。坪内学長もお上手でした。

京都佛立ミュージアムで、浅葉克己先生と坪内学長の卓球ラリー。不思議で、有難い光景でしたー。

ありがとうございますー。

【ライブ中継】 浅葉先生のテラコヤスコラ

浅葉克己先生のテラコヤスコラが始まりました。下記、ライブ中継のリンクです。

佛立ミュージアムサイトより
http://www.hbsmuseum.jp/ustream/index.php?c=ustream_view&pk=1376713480

USTREAMから直接観るには、
http://www.ustream.tv/channel/HBSjapan

本日14時、京都佛立ミュージアムにお越しくださいー

ついに本日、京都佛立ミュージアムで浅葉克己先生のテラコヤスコラ・講演会を開催いたします。

入場無料!贅沢な講演会です。

浅葉先生との対談も予定しています。「生きるを学ぶ」というテラコヤスコラのコンセプト。浅葉先生にたくさん教えていただきます。

本日14時、京都佛立ミュージアムまでお越しくださいー!

2013年8月17日土曜日

少しの変化のお手伝い

今日は一人で名古屋の建国寺さまにお参詣させていただきました。じっくり、ゆっくり、お看経させていただきました。

思いがけず病院にも連れて行ってくださり、お話できて有難かったです。

「衆生病む故に菩薩亦病む」

「菩薩の病は大悲より起る」

菩薩行を第一とされてきた方がご病気になる時、まずこのお経文を思います。

軽々にはいただけませんが、本当に本化の菩薩行に励まれてきたお方を思えば、維摩経のこのお言葉が浮かびます。そこからは、現証の感得と、私たちに改良を促す御法さまのお慈悲を感じることが出来ます。

だからこそ、
「衆生病む故に菩薩亦病む」

「菩薩の病は大悲より起る」
のです。

名古屋まで越させていただき、建国寺さまの素晴らしいご宝前でお看経をさせていただき、ご面会まで出来て、本当に有難かったですー。

夕方から妙深寺の教幹会で、建国寺の会議室をお借りしてウェブで参加しました。有難かったー。それにしてもすごい時代。

また、今朝とっても嬉しいメールをいただきました。

昨日お助行にお伺いしたご家族が、今朝、ご家族みんなで大阪のお寺にお参詣してくださったと、奥さまが教えてくださいました。本当に、ありがたい。そのご家族の少しの変化が、とっても嬉しいです。

約15年間、お部屋に引きこもったままのご長男。最近、同じように約10年間自宅に引きこもっておられた青年のご奉公が大きく動きました。

数年間、いろいろなことがあり、御本尊をご奉安させていただいても、暴れて毀損してしまったり、一進一退を繰り返す中、深恭師が長くお助行に通ってくださっていました。

そして、年末に事態は急転し、7月2日に妙深寺まで母子でお参詣してくれました。その時、彼は自分の口から、深恭師にお助行の際の非礼を詫び、私にも、「今まで時間を無駄にしてしまったと思い、考えるととても悔しい」と言いました。僕は、「そんなことはない。気づけてよかったじゃないか。このご信心は種まきのご信心。過ぎてしまったことを思うのではなく、いま、どんな種まきが出来るか、出来ているか、それだけ考えて、やっていこう。すぐに芽が出る種もあるが、時間がかかる種もある。でも、大切なのは、種を蒔くことだ。」と話しました。

私は、彼の言葉から、やはり自室に引きこもっている青年も、きっかけを待っているのだと考えることにしました。そのきっかけを、ご信心が、教務が作ってあげられたらと思います。

他人よりも、家族だからこそ、切っても切れない因縁があって、近過ぎて見えないこともあって、家族だからこそ甘え、家族だからこそイライラもし、些細な出来事から大きな誤解や行き違いになることもあります。

そんなものが人間というものだし、家族というものだから、それを前提に、ご信心が大事というのです。

いつも言っていますが、我欲を満たすための信心でも、現実逃避のための信心でもない。

自分の、生活や、性格を、見据えて、直す、直せる、改善し、向上させるためのご信心です。みんなで、互いに高め合い、きっかけを見つけ出し、気づき、改め、成長できればと思います。

お孫さんにも、ご信心の有難さが伝わればいいな。早くご長女のお家に御本尊をご奉安できたらいいな。

今朝の朝参詣、嬉しいな。とにかく、少しの変化が嬉しいです。

お手伝いです。ずっと。昨日のお助行、本当に有難かったです。

2013年8月16日金曜日

奈良へ

京都から奈良までの道のりは自然がきれい。

今日はお助行に伺いました。ご住職や奥さまにお聞きしていました。何としても幸せになってもらわなあかん方なんです、と。でも、なかなか次のステップに踏み出せずにいて。何か出来ることがあればと思って、今日は奈良に行きました。

ありがとうございました。

2013年8月15日木曜日

京都の中心でテラコヤスコラと叫ぶ

京都の中心に長松寺はあります。麩屋町通りの綾小路通の下、仏光寺通を上がったところ。今日は長松寺の夜のお総講です。

先ほど、近所のお店に18日のテラコヤスコラのポストカードを持っていきました。このポストカードを置いていただいて、少しでも多くの方に来ていただきたいと思って。

すると、レジの前にズラーッとテラコヤスコラのカードや京都佛立ミュージアムの名刺が並んでいました(笑)。すっごい人気店なのに、レジの前が佛立ミュージアムで埋め尽くされているなんて。すてきです。現薫師が届けてくれていたようです。さすがっ。ありがとうございます。

浅葉克己先生の写真に、反応してくれたらいいなー。たくさん来てくださったら、ありがたいなー。

実は、浅葉先生は大変な卓球愛好家であり、卓球の振興にご尽力されています。一緒にお食事をしていても、必ず卓球の話題で盛り上がります。なんと、この18日、特別に卓球台をご用意いたしましたー(伏見の妙福寺さまからお借りします)!浅葉先生の講演だけではなく、卓球をなさっている雄姿が見られるかも知れません。乞うご期待!

では、18時からお総講。しっかりご奉公させていただきます。

戦争と平和

昭和20年(1945)年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人。68年前のその日、戦争が終わった。

拙著『仏教徒 坂本龍馬』という本は、文字が多く面倒な本になっている。もっと簡単に書けなかったのかと叱られる。まさに才能の無さだと思う。楽しく、易しく伝えられないと、いけない。次に出す本は、徹底的に簡単に、分かりやすく書きたい。

『仏教徒 坂本龍馬』は、全く新しい視点から龍馬を捉えたものだった。だからこそ、分かりやすさを求め過ぎるとキワモノや眉唾ものになってしまい、開導聖人のお徳を汚すことになりかねない。龍馬や幕末研究者に読まれても、ある程度納得いただけるものでなければならなかった。一章から二章、三章までは、本当に面倒だと思う。

とにかく、事実を丁寧に書いたつもりだった。佐々木との「仏教を以てしやう」という読み方について異論もあるようだが、今一度、2箇所に掲出されている佐々木高行の日記の原本、『保古飛呂比』、口語体で残る『勤王志士佐々木老候昔日談』を読んでみて欲しい。仏教徒を扇動して幕府に圧力をかけるという話と、「国体として神道がいいのか、儒教でいくのか」という話の2つをしていたのだ。

龍馬は、明らかに平田派復古神道とは異なる思想を有していたし、明治新国家を仏教によって世界に冠たる唯一無二のリーダーシップを発揮する国にすべきと考えていた。それは、龍馬暗殺後、明治新政府を牽引していく人々とは異なる思想だった。彼らは、極端な国学思想を有しており、神仏分離や廃仏毀釈を進めた。そして、その仏教とは異なる極端な思想が、日本人の心の奥底で蠢き、疼き続けて、昭和20年8月15日の敗戦に至った。

このことを6章に書き、7章を「仏教ルネサンス」と題して「戦争と平和」という文章を書いた。この第7章のために、文章を書き連ねてきたと言っても過言ではない。

=====

第七章 仏教ルネサンス
< 戦争と平和 >

ここまで海援隊が出版した『閑愁録』を軸に、坂本龍馬が仏教徒であったことを語り、仏教による国家の安寧を求めた彼らの主意を絶賛した長松清風の仏教改革やその実践を述べてきた。この最終章では坂本龍馬や長岡謙吉、海援隊が呼びかけた「仏教ルネサンス」について述べたい。

仏教は、その長い歴史の中で唯一宗教戦争をしたことがないといわれている。

ヒトは、他の生物に秀でて「万物の霊長」と呼ばれるまで進化したが、同時に他に類を見ないほど残虐になった。ブッダは、それを可能性と見、同時に愚かさと見た。

本能に従って生きる動物。本能以上に生きるようになった人間。自然界で生まれた「本能」という枠の外に飛び出した人間の可能性と凶暴性や凶悪性。本能を超える知能を持つようになった「ヒト」は、放っておけば残虐極まりないこともするし、地球の全生命、草木に至るまでを、自分たちの「欲求」「快楽」「享楽」のために壊滅させることも厭わなくなった。すでに人類の存在は、巨大隕石の衝突が地球に与える災禍と同じように語られるようになっている。

ヒトは、同種間でも殺戮を行う。これは多くの動物と異なる行動だ。知能を結集して大量破壊兵器を創作し、数十万の仲間を組織的に殺戮するのもヒトに限られる。百獣の王・ライオンは、空腹時以外は狩ることをせず自然の摂理の中で生きるが、ヒトは空腹に限らず大量に狩る、大量に殺す。

五欲とは、食欲、睡眠欲、性欲、金銭欲、名誉欲と言われるが、そもそも、この機能と上手に向き合えなくなっている。摂食障害、睡眠障害、性欲の暴走や減退など、一人ひとりがこうした問題について頭を抱えており、ごく身近な問題として挙げられている。他の動物ならば自然の摂理の中に身を任せておけばいい。しかし、ヒトは短い一生の中で悩みに悩みながら、食べ、働き、眠り、セックスにも向き合っていかなければならない。「本能」というものが長い年月をかけて作り上げられた自然界の黄金律の一部だとしたら、ヒトという個々の存在と行動は、そこから逸脱し、暴走してしまう存在らしい。

ブッダは、こうしたヒトの可能性と愚かさを見据えて、「天地自然の理」と離れて生きることの無いように、最後に残された心の砦、魂の手綱として教えを説いた。ブッダは神ではなくヒトであった。ブッダは、自らヒトの愚かさを極限まで掘り下げ、一方でヒトこそ宇宙の神秘に近づくことのできる唯一の存在だと発見し、証明した。仏教だけが、自分の中に敵や悪魔を発見し、自分の中にこそ仏や神を見出した。だからこそ、仏教を究極の人間学と呼ぶのである。

ヒトは、同種間の殺戮を繰り返してきた。時には宗教や思想がそれを助長した。二度の世界大戦は地球を地獄に変えた。それでも戦争や紛争は消えてなくならない。チャーチルは言った。

「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ。」

大日本帝国は、列強諸国と戦い、最終的には敗北を喫した。日本が果敢に列強諸国に挑んだことは誇りとすべきかもしれない。しかし、その戦争に至った背景に、どのような思想や宗教があったかを考えるべきだろう。明治政府は神道を選んだのである。戦後、日本は国家神道の弊害を痛感したが、それに代わる思想を醸成する術もなく、未だに国家観に迷い、戦争と平和についての答えも見つけられずにいる。

坂本龍馬たちは仏教によって国を安んじ、帝国主義によってアジア諸国を植民地としてきた列強国に挑もうとしていた。他国の侵略を目前にして多くの若者たちが国を憂えていた幕末という時代に、仏教こそ、民衆に、国に必要だと信じていた若者たちがいたことを忘れてはならない。

龍馬は、「船中八策」の中で、

「一、海軍宜シク拡張スベキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。」

とし、その後に考案した「新政府綱領八策」の中では、

「第六義 海陸軍局
第七義 親兵」

と述べた。幕末の緊迫した国際情勢やヒトの愚かさを思えば「軍」の設置は当然の条項であった。しかし、龍馬たちは軍隊の大切さを理解していたからこそ、『閑愁録』に、

「仏法ハ国家ヲ保護スル大威力ヲ具足セル大活法ナル」

と主張して、仏教の平和や慈悲や自由の教えを用いて国家や国民を治めてゆこうと呼びかけたのではないか。

人類が、「戦争と平和」という巨大なテーマに挑む時、国家が「軍」を持つことの可否は普遍的なテーマであり、具体的な、現実的な、政治的な課題となる。現在、これを話題にすると果てしない論争が起こる。靖国に参拝したから愛国者で、憲法九条を擁護すれば平和主義者であるというのは、双方共に問題の矮小化である。そうしたことはこの国のために命を擲った人々の霊魂に対する侮蔑であり、人間の本性に対する無知であり、平和や繁栄の軽視であると考える。

龍馬らは、仏教による宗教国家を作ろうと思ったのではない。人間はそれほど優秀ではないことも知っていたはずだ。ただ、ヒトの愚かさと可能性を追求した仏教によって国民の心を満たし、政治はあらゆる階層の人に開かれ、諸外国との厳しい交際や交渉にも正々堂々と立ち向かう国を求めた。

まず、明治初期の誤謬を知り、不幸な歴史を見た上でなければ、憲法改正議論も「無窮ノ大典」を制定することも出来ないのではないか。貴賎貧富もなく、真に自由で、民主的で、天皇を敬い、因果の道理を弁え、徳を以て治める。少なくとも龍馬たちはそうした国づくりを目指していた。

戦争と平和について語る時、仏教に貫かれる平和の教えを知らなければ次の世界は語れない。その手本は、まさに文武両道の志士、海軍創建に尽力した勝海舟や、海軍を志した坂本龍馬による、不戦の思想や、不戦を求めた生き方から学び取ることが出来る。彼らの生き方こそが、「仏教的な生き方」を追求した政治家の象徴であると言えるのではないだろうか。

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まだまだ、たくさん、たくさん、言葉に出来ないほど、大切で、重たいものを、必死に文字にしました。

終戦記念日、つまり、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、「戦争と平和」、仏教徒として、こうしたことを思います。

http://www.amazon.co.jp/dp/4062178516

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...