一昨日のお昼、鈴木久子さんが寂光に帰られました。
思えば、2009年の夏、末期の癌と宣告されてから4年間、お参詣やご奉公に励まれ、見事な臨終をお迎えになりました。僕は、キャンプの前日に病室に伺い、最後のお別れをすることが出来ました。眠っていたのに、目を開けて、喜んでくださり、僕がダイエットしているんだよというと「ダメ」というサイン。ほっぺとほっぺをくっつけて、手を握って、腕をさすって。お天目さまをガーゼに含ませて、お口に含んでもらうと、いただいてくださいました。
キャンプに行ってくると言うと、指で「OK」のサイン。手を上げて、僕の頬を「ポンポン、ポンポン」と何度かさすり、言葉はなかったけれど、きっと、いつも言ってくれていたように、「身体にだけは気をつけて。頑張ってくださいね」と言っていたのだと思います(涙)。
これが、今回の一生では、最後になる。そう感じていました。それが、京都から戻り、病院に駆けつけた、8月5日のことでした。
最後まで苦しみもなく、ご家族みんなに囲まれて、大奥さまも駆けつけて、ちょうど清顕師も横浜にいる時に、穏やかな臨終を迎えられたのです。さすがです、久子さん。
4年前の2009年の12月11日のブログに、私は次のように書きました。
「いま、臨港教区の栗田さんの御講席が終わり、横浜市内を移動しています。
うれしいことがありました。栗田さんのお宅に入ったら、お参詣の方の受付で鈴木久子さんがご奉公されているではありませんか。え、うそ、本当に?大丈夫なの?
鈴木久子さんは、もう15年ほど前ですが、『佛立魂』という本を執筆するきっかけを私に作ってくださった方です。今年の秋、進行性の癌であることが分かり、治療が始まりました。病院に入院していても、妙深寺まで病院を抜け出してお参詣してくださったり。境内で会った時には抱き合って。抗がん剤の治療もしていただいていますが、副作用もないようで、本当にありがたいことです。お助行もたくさんいただいて、大変な現証の御利益をいただかれています。まだまだ、これからです。
ただ、恐ろしい病に変わりはありませんから、心配していました。そしたら、今日、今の御講で受付のご奉公って。すっごーい!大丈夫?大丈夫なの?って、本当に有難かった。
また、一緒に写真しました。これからもご奉公させていただいて、ヤル気満々で元気になっていただきたいです。
久子さん、本当にありがとうございます。」
ここにも書いてありますが、久子さんがいなければ『佛立魂』という本は生まれていませんでした。この本の「序にかえて」という書き出しに、久子さんのことが書いてあります。
=ある春の日のこと。
妙深寺本堂の階段で、臨港教区の鈴木久子さんい声を掛けられました。久子さんは、私が教務として初めて受持を頂いた旧鶴見教区の役中さんの一人で、いたらない若輩教務を支え、ご奉公を教えて下さった方であります。その鈴木さんが兼ねてから私に仰有っていたことがありました。
「清潤師。御住職のあの御怪我を文章にして残してください。私たちは凡夫でしょ。すぐ忘れちゃいますから。清潤師の眼で、御住職の側で見たあの事故、そして現証の御利益の素晴らしさを文章にして下さい。」
その日、本堂階段で丁寧に半紙に包んだ大金を手渡されたのです。
「これ、へそくりですから誰にも言わないで下さい。本当に清潤師。頑張って本を書いて出して下さいね。これはその本を出す時のお金に使って下さい。わたしそれだけでいいですから」と。=
元不良の、その後はスポーツばかりしていた自分。文才も何もない26才。その背中を押してくれたのが、久子さんでした。
この『佛立魂』は、佛立信者、佛立教務としての私のご奉公の原点です。嘘偽りのない、現実に起きた出来事、現証の御利益を通じて感得したすべて。ここが原点で、ここから全てが始まってゆきました。
あの時、背中を押してくださったからこそ、『仏教徒 坂本龍馬』を書くことが出来たのです。久子さんのおかげです。今回の、長松清潤としてのご奉公やミッションに、気づかせてくださり、実際に前に進めてくれたのです。
ご主人の光(あきら)さんと久子さんは、決して大きなお家に住んでおられるわけではないのです。とっても質素な生活をなさっています。あの時に預かった「志」の重み。今でも忘れません。
生まれ変わり、死に変わり、生々世々、ずっと一緒にご奉公させていただいてきたのかもしれません。
まさに、生々世々、行菩薩道の誓願に任せて、師壇世世生を共に相まみえ浄佛国土の大願成就、共に菩薩行に精進せんことを請い願うのみ。
開導聖人の、忘れられない御指南の一つ。
「清風滅後を思へとも。既に祖師御在世の御時ですらあまり御あらぎなりと。をこつくものあり。われらはやはらかに弘めんとて螢火が日月をわらふが如きもあり。朝夕をしへ給へども臆病にして肝を消して退轉せしも多くしてかくしつゝ終に廣宣流布すべき上行菩薩所傳の題目宗也。上行大士仏勅を蒙らせ給ひ末法を御受取になりたる已上はおとろへる時分々々には地涌の大士立かはり。入かはりに出世ありて御弘通絶ることなし。弟子となり師匠となり。旦那となり無令断絶。疑ひなきこと也。」
我らが本門佛立宗も衰える時が来る。開導聖人はそう思っておられた。しかし、そんな時々に、地涌の大士が、立ち代わり、入れ代わり、この娑婆にお出ましになり、ご弘通が絶えることはない。時には弟子となり、時には師匠となり、時にはご信者さまの中に現れて、ご弘通は決して絶えることはないのだ、とお示しになられています。あぁ、有難いことだなぁ、と思います。
久子さんがいなければ、今の僕はないと思います。『佛立魂』もないし、『仏教徒 坂本龍馬』もなかった。たくさんの方が、『佛立魂』を読んでくださいました。そして、ご信心を励まして、現証の御利益をいただかれました。それは妙深寺の規範となり、ご奉公の心得となりました。
何度も記念写真を撮りましたが、いつも照れて、なかなか上手に撮れなかった。髪の毛が抜けたのを気にしたり。
でも、いいのかありました。探したんですよ、久子さん。2年くらい前かな、お父さんと一緒に撮ったもの。そして、御講の時に撮った写メ。
『佛立魂』を読んでくださった皆さま、ぜひ久子さんのご回向をしていただければ有難いです。日号は、私と同じにしていただきました。
授与法号。
通称、鈴木ひさ子。
平成25年8月10日。
行年84才を以て帰寂の霊魂。
「久遠院法勲清光日桜大姉」
今夜お通夜を勤めさせていただき、明日、10時半より葬儀告別式を奉修させていただきます。妙深寺の夏期参詣の最終日、たくさんお参りいただけると思います。久子さん、よろこぶだろうなー。ありがたい。
まだ『佛立魂』を読んでおられない方は、妙深寺に少しだけ在庫がありますので、お申し込みください。お名前やご住所、電話番号をそえて、下記の電話、FAX、もしくはメールにてお問い合わせください。
TEL:045 (321) 7690
FAX:045 (322) 3419
メールアドレス:info@myoshinji.jp
http://www.butsuryushu.or.jp/jp/voice/tamashii/bd.html
http://www.butsuryushu.or.jp/jp/voice/tamashii/tamashii.html
思えば、2009年の夏、末期の癌と宣告されてから4年間、お参詣やご奉公に励まれ、見事な臨終をお迎えになりました。僕は、キャンプの前日に病室に伺い、最後のお別れをすることが出来ました。眠っていたのに、目を開けて、喜んでくださり、僕がダイエットしているんだよというと「ダメ」というサイン。ほっぺとほっぺをくっつけて、手を握って、腕をさすって。お天目さまをガーゼに含ませて、お口に含んでもらうと、いただいてくださいました。
キャンプに行ってくると言うと、指で「OK」のサイン。手を上げて、僕の頬を「ポンポン、ポンポン」と何度かさすり、言葉はなかったけれど、きっと、いつも言ってくれていたように、「身体にだけは気をつけて。頑張ってくださいね」と言っていたのだと思います(涙)。
これが、今回の一生では、最後になる。そう感じていました。それが、京都から戻り、病院に駆けつけた、8月5日のことでした。
最後まで苦しみもなく、ご家族みんなに囲まれて、大奥さまも駆けつけて、ちょうど清顕師も横浜にいる時に、穏やかな臨終を迎えられたのです。さすがです、久子さん。
4年前の2009年の12月11日のブログに、私は次のように書きました。
「いま、臨港教区の栗田さんの御講席が終わり、横浜市内を移動しています。
うれしいことがありました。栗田さんのお宅に入ったら、お参詣の方の受付で鈴木久子さんがご奉公されているではありませんか。え、うそ、本当に?大丈夫なの?
鈴木久子さんは、もう15年ほど前ですが、『佛立魂』という本を執筆するきっかけを私に作ってくださった方です。今年の秋、進行性の癌であることが分かり、治療が始まりました。病院に入院していても、妙深寺まで病院を抜け出してお参詣してくださったり。境内で会った時には抱き合って。抗がん剤の治療もしていただいていますが、副作用もないようで、本当にありがたいことです。お助行もたくさんいただいて、大変な現証の御利益をいただかれています。まだまだ、これからです。
ただ、恐ろしい病に変わりはありませんから、心配していました。そしたら、今日、今の御講で受付のご奉公って。すっごーい!大丈夫?大丈夫なの?って、本当に有難かった。
また、一緒に写真しました。これからもご奉公させていただいて、ヤル気満々で元気になっていただきたいです。
久子さん、本当にありがとうございます。」
ここにも書いてありますが、久子さんがいなければ『佛立魂』という本は生まれていませんでした。この本の「序にかえて」という書き出しに、久子さんのことが書いてあります。
=ある春の日のこと。
妙深寺本堂の階段で、臨港教区の鈴木久子さんい声を掛けられました。久子さんは、私が教務として初めて受持を頂いた旧鶴見教区の役中さんの一人で、いたらない若輩教務を支え、ご奉公を教えて下さった方であります。その鈴木さんが兼ねてから私に仰有っていたことがありました。
「清潤師。御住職のあの御怪我を文章にして残してください。私たちは凡夫でしょ。すぐ忘れちゃいますから。清潤師の眼で、御住職の側で見たあの事故、そして現証の御利益の素晴らしさを文章にして下さい。」
その日、本堂階段で丁寧に半紙に包んだ大金を手渡されたのです。
「これ、へそくりですから誰にも言わないで下さい。本当に清潤師。頑張って本を書いて出して下さいね。これはその本を出す時のお金に使って下さい。わたしそれだけでいいですから」と。=
元不良の、その後はスポーツばかりしていた自分。文才も何もない26才。その背中を押してくれたのが、久子さんでした。
この『佛立魂』は、佛立信者、佛立教務としての私のご奉公の原点です。嘘偽りのない、現実に起きた出来事、現証の御利益を通じて感得したすべて。ここが原点で、ここから全てが始まってゆきました。
あの時、背中を押してくださったからこそ、『仏教徒 坂本龍馬』を書くことが出来たのです。久子さんのおかげです。今回の、長松清潤としてのご奉公やミッションに、気づかせてくださり、実際に前に進めてくれたのです。
ご主人の光(あきら)さんと久子さんは、決して大きなお家に住んでおられるわけではないのです。とっても質素な生活をなさっています。あの時に預かった「志」の重み。今でも忘れません。
生まれ変わり、死に変わり、生々世々、ずっと一緒にご奉公させていただいてきたのかもしれません。
まさに、生々世々、行菩薩道の誓願に任せて、師壇世世生を共に相まみえ浄佛国土の大願成就、共に菩薩行に精進せんことを請い願うのみ。
開導聖人の、忘れられない御指南の一つ。
「清風滅後を思へとも。既に祖師御在世の御時ですらあまり御あらぎなりと。をこつくものあり。われらはやはらかに弘めんとて螢火が日月をわらふが如きもあり。朝夕をしへ給へども臆病にして肝を消して退轉せしも多くしてかくしつゝ終に廣宣流布すべき上行菩薩所傳の題目宗也。上行大士仏勅を蒙らせ給ひ末法を御受取になりたる已上はおとろへる時分々々には地涌の大士立かはり。入かはりに出世ありて御弘通絶ることなし。弟子となり師匠となり。旦那となり無令断絶。疑ひなきこと也。」
我らが本門佛立宗も衰える時が来る。開導聖人はそう思っておられた。しかし、そんな時々に、地涌の大士が、立ち代わり、入れ代わり、この娑婆にお出ましになり、ご弘通が絶えることはない。時には弟子となり、時には師匠となり、時にはご信者さまの中に現れて、ご弘通は決して絶えることはないのだ、とお示しになられています。あぁ、有難いことだなぁ、と思います。
久子さんがいなければ、今の僕はないと思います。『佛立魂』もないし、『仏教徒 坂本龍馬』もなかった。たくさんの方が、『佛立魂』を読んでくださいました。そして、ご信心を励まして、現証の御利益をいただかれました。それは妙深寺の規範となり、ご奉公の心得となりました。
何度も記念写真を撮りましたが、いつも照れて、なかなか上手に撮れなかった。髪の毛が抜けたのを気にしたり。
でも、いいのかありました。探したんですよ、久子さん。2年くらい前かな、お父さんと一緒に撮ったもの。そして、御講の時に撮った写メ。
『佛立魂』を読んでくださった皆さま、ぜひ久子さんのご回向をしていただければ有難いです。日号は、私と同じにしていただきました。
授与法号。
通称、鈴木ひさ子。
平成25年8月10日。
行年84才を以て帰寂の霊魂。
「久遠院法勲清光日桜大姉」
今夜お通夜を勤めさせていただき、明日、10時半より葬儀告別式を奉修させていただきます。妙深寺の夏期参詣の最終日、たくさんお参りいただけると思います。久子さん、よろこぶだろうなー。ありがたい。
まだ『佛立魂』を読んでおられない方は、妙深寺に少しだけ在庫がありますので、お申し込みください。お名前やご住所、電話番号をそえて、下記の電話、FAX、もしくはメールにてお問い合わせください。
TEL:045 (321) 7690
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