2013年8月24日土曜日

師に仕ふるには過ぎず

2日間にわたり、鈴江御導師にお出ましいただき、無事に、盛大に、特別御講を奉修していただきました。

この夏、富士子奥さまの第十三回忌をお迎えしました。12年前のあの日も、特別御講だったのです。最愛の、長年連れ添った奥さまが帰寂され、私たちは当然特別御講は中止と思っていました。

しかし、御導師は言われました。「妙深寺に行くよ。富士子に怒られちゃう」そして、御導師は本当に特別御講を奉修くださいました。

御法門の途中、少し涙ぐまれ、嗚咽を抑えておられたのを思い出します。

佛立魂でした。佛立の御導師方は、本当に、ずっと、佛立魂でした。鈴江御導師。本当に、いつもお手本を見せてくださってきました。

ご信心をさせていただいていても、泣きたくなることあります。ご宝前に突っ伏して、イヤイヤをする子どものように、泣きながら御題目をお唱えすることもあるんです。

病もそう。老いもそう。愛する人との別離も、様々な問題も。

それを、どう越えるかを、菩薩は見せてくださいます。結局、どうのこうのという話ではなくて、姿なのだと思います。乗り越える、姿。

御導師は、いつも見せてくださいました。その跡を、追っています。

それでも、お年を召されました。今回、それを痛感しました。お疲れであり、お年を召された。

今朝、朝のお看経の途中、隣りにいた正教師が導師座の私に声を掛けてくださいました。

「御導師のホテルに早く行かれて、ご一緒に朝食を召し上がった方がいいのではないでしょうか。」

そう。そのとおりでした。いつもであれば、10時にお迎えに行っておりましたが、その前からお給仕させていただくべきです。

ホテルに着き、一階からお部屋にお電話しました。お召し替えのお給仕をさせていただき、一緒に朝食会場に行き、一緒にお食事をいただきました。

ボタンをとめる所作など、すべてが勉強になりました。教えていただきました。インスタントな、年に一度のお給仕で申し訳ない限りなのですが、お師匠さまに、伏して御礼申し上げるばかりです。

「実(まこと)に仏になる道は師に仕ふるには過ぎず」

お祖師さまはお示しです。

仏道修行の中で、師匠仕え以上のご奉公はない。

しかし、末法では、難しいです。

師匠のいない人が、たっくさんいます。心から、敬えない癖。「善師をば遠離し、悪師には親近す」という癖があります。

しかも、末法には正法にも値いがたく、正師にも値いがたいという環境的な絶対マイナス要件があります。

ですから、先住のお怪我、佛立魂以来、鈴江御導師にご教導いただいてきた自分が、どれほど有難い身の上か、つくづく痛感いたしました。

2日間、本当に、鈴江御導師のそばでお給仕、お師匠仕えさせていただいて、自分の慢心にも気づき、懈怠にも気づき、弱さにも、不学にも、気づきました。

御導師は何も仰せになりませんが、いてくださるだけで、気づかせていただくことができます。本当に、ありがたいです。

改良いたします。ありがとうございます。

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