2013年11月12日火曜日

人を見つめて

ハードスケジュールの中、深夜のフライトまで市内を観光しています。15回以上シンガポールに来ていますが、初めてシンガポールのシンボル、マーライオンを見ました。貴重な経験です。

今回、スリランカとシンガポールで、わずかこの数年間で、圧倒的な勢いで貧富の差が広がっていることを感じました。

貧しい人はずっと貧しく、富める者たちはさらに豊かになっていくという構図。社会の底辺にいる人が、そこから抜け出そうとすれば、本当に寝食を惜しんで、何倍も努力しなければなりません。逆に、スーパーリッチな人たちはわずかな力でその地位や生活を享受している。

本当に、また、厳しい階級社会が到来してしまっていると思います。どうなってしまうんでしょう。

自然災害は、国を滅ぼすくらいの勢いで巨大化し、頻発しています。

人類全体の次元上昇を実現するためには、一人ひとりの心を何とかしなければ、何ともなりません。

昨夜の交流会で、ジェッドがスピーチをしてくれました。思わず泣いてしまいました。厳しいシンガポール社会、険しい人生の中で、もがきながらも必死に頑張っているジェッドの、正直な、素直な言葉に、心から感動しました。

やはり、ご弘通しかない。ご信心が、一人の人の心を、普遍的に救ってゆくのです。思想を、変えてゆく。その心の住む次元を、上昇させる。

数え切れないほど多くの人が、今この世界を生きています。

それぞれの国で、バスの窓からたくさんの人の生きる姿を見ました。それはほんのわずかな時間で、あっという間にその人は風景の中に消えてしまうのだけど、一人ひとりに、絶対の人生があるはずです。

どしゃ降りの雨の中、スリランカの農道を歩く学生。オーチャードの横断歩道を渡るビジネスマン。チャイナタウンの道ばたに座る老人たち。

愛に満たされている人。愛に飢えている人。向上心に燃えている人。悔やんでいる人。雨が止むのを待つように、逆境に耐えている人。人生を楽しんでいる人。

たくさん、たくさん、いろいろな、一人ひとりの人生があるということを、窓の外を眺めながら、街中ですれ違う人を見ながら、思います。

誰かにとっての幸せが、誰かにとっての不幸であってはならないけれど、現実にはそうしたことが溢れています。欲望や嫉妬、怒りやエゴイズムは、他人よりも自分を肯定するから激しくなる。

それぞれの人生と価値観が様々であるように、命は俯瞰して見なければ幸せを共有できない。みんなの利害が一致するほんたうの道。仏教には可能性と使命があるはず。

微力だけど、無力じゃない。

頑張れという言葉は苦しんでいる人に向けて使う言葉じゃない。僕たちが、迷わぬように、呆けないように、諦めないように、投げ出さないように、自分に向けて使う言葉なんだ。

世に棲む日々。あとどのくらい残されているか知らない。知らないけれど、僕たちは微力だけど無力ではない。この世のためにすることがある。

最高にエキサイティングで、最高に心が満たされて、それは自分だけがハッピーになるのではなく、周りの人もハッピーになる道で、人類誕生以来、いや地球誕生、宇宙誕生以来の壮大なミッションへの挑戦であり、夢であり、希望でもある最高の生き方、命の使い方。

心の棲む場所が変わる。心の棲む場所を変えることが出来る。それこそ仏陀が説いた道です。

次元上昇。昇れる。今は、まだそこ。まだまだ上があるということ。

そこに行くと、喜びは消え、新しい喜びが生まれて、嫌いだったことが好きになり、好きだったことが嫌いになり、虚しくなり、別のことで満たされるようになる。

生き方を変えること。それが仏教です。

理想論でもない。理屈や理論でもない。みんなが共存し、大自然も、他の生物も含めて、人類ぜんたい、幸せになる道。

向上心に燃える青年にとっても、病に苦しむ人にとっても、貧しい人にとっても、恵まれた人にとっても、共存、そして、本当の共栄できる道が、仏教にはあると、私は確信しています。その確信は、全く揺るがない。

思いが強ければ、必ず実現する。夢は、夢で終わらせるものかと覚悟すれば実現する。一人で見る夢を、みんなで見れるようになれば、現実となる。

そのために、今日も、人混みの中で、人を見つめて、過ごしています。

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