今日は龍馬の命日。
この春、昨年8月に出版いただいた『仏教徒・坂本龍馬』には入れられなかった新しい発見があった。
その新発見とは、海援隊が発行した『閑愁録』のオリジナルが、長松清風の蔵書として大本山宥清寺の宝蔵にあったということでした!
私が『仏教徒・坂本龍馬』を書いている間は、全く分からなかったことです。長松清風は『閑愁録』の増刷新装版『随喜閑愁録』を手に入れてそれを書写し、翌日には京都行政府の言論統制によって『随喜閑愁録』は版木ごと召し上げられたことだけ判明していました。
しかし、長松清風は、海援隊が出版した初版本の、オリジナルを手に入れていたのです。また詳しく研究しなければなりませんが、経緯からして『随喜閑愁録』を取り上げられてからオリジナルを探し求めたように思います。
いずれにしても、希代の宗教家が、明治2年の段階で、全く世間が忘れ去ろうとしている中、「海援隊」という名を指南書に書写し、後世に伝えた事実こそ、画期的な、圧倒的な事実であると確信します。
今でこそ、誰もが龍馬を知り、多くの人が龍馬を慕い、龍馬の死を悼み、龍馬の霊を慰めようと墓前に参りますが、少なくとも龍馬は明治5年、いや明治16年までは、永らく歴史の闇に葬り去られていたのです。そして、様々な意図によって、龍馬は復活させられて来たのです。
龍馬。
海援隊。
幕末で、真に独特の立場にあった彼らの思想を、知ってもらいたいです。
僕の文章力では、本当に拙くて、それは上手に、分かりやすく、伝えられなかった。本当に申し訳ない。でも、知ってもらいたい。
間違いなく、真っ正面から『閑愁録』を取り上げた最初の本が『仏教徒・坂本龍馬』です。まだまだ、坂本龍馬と長松清風の接点や『閑愁録』の研究は、始まったばかりです。
新発見された長松清風所蔵の海援隊初版本『閑愁録』のオリジナルを見ていただいたら、分かります。
龍馬の命日に、『仏教徒・坂本龍馬』のまえがきを読んでいただければと思います。
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『仏教徒・坂本龍馬』
まえがき
平成二十三年(二〇一一)三月十一日、千年に一度と言われる大震災が日本を襲い、わが国は国家の存亡をかけた復興の渦中にある。地震と津波だけでなく原発事故をも併発した未曾有の大災害は、被災地域を全世界、全人類にまで拡げている。あのチェルノブイリ原発事故当時とは異なり、東西の壁は無く、メディアも進化した。日本を襲ったこの大災害は、文字や映像となって地球上を駆け巡り、世界中の人々が同時に問題を共有している。この大震災は中国・四川やニュージーランドのクライストチャーチ、スマトラ沖地震とは明らかに異なる放射能汚染という災害を伴い、被災者を地球規模にまで広げている。
東日本大震災とは、人類史上特別の意味を持つことになった。
既に大震災の前から、私たちの国や社会は、瀕死の状態にあった。超少子高齢化、相次ぐ自殺や尊属殺人、年金制度の崩壊や生活保護受給者の急増、孤独死、いわゆる無縁社会と、大震災後辛くも聞こえてきた「絆」は社会から消えかけていたではないか。混迷を深める愛すべき祖国・日本。多くの問題を抱えながら、官僚機構の硬直化、行政や政治の機能不全によって解決策を見出せないまま国民全体が未来に不安を感じている。
東日本大震災からの復興は、日本の再生でなければならない。
現在、この国の状態は、対症療法で治癒できる病状ではない。時間は残されていない。
私は、仏教僧として、この世に生き、この国に生かされている。そして、僧侶には果たすべき役割があり、僧侶として世に問い、伝えるべきことがあると考えている。仏教を奉ずる僧侶の自分に何が出来るか、自問自答を重ねてきた。
そうした中で発生した東日本大震災。私はトラックに積めるだけの支援物資を載せて、福島や宮城、岩手などの被災地に向かった。私が住職を務める寺院も総力を挙げて支援活動を続けてきた。何度も被災地と横浜を行き来しながら一年あまりが経過したが、この大災害が人類や日本の分岐点になり得るという希望は、失望に変わりつつある。残念ながら日本人はまだ新しい幸せの価値観に気づくことが出来ず、問題は未来に先送りされている。私は失望を抱き、同時に決意した。
「私たちは変わらなければならない。」
その思いの結晶としてこの本が生まれた。
キーワードは、「仏教徒・坂本龍馬」である。
私は、彼らの思想を絶賛した一人の僧侶がいた史実を辿り、今までになかった視点から坂本龍馬や海援隊の思想の核心を紹介したい。そして、私たちの想像を遙かに超えて彼らが偉大だったことを伝えたい。これを知ることによって彼らが命を懸け、まさにそれを捨ててまで実現したかった国の在り方、人の生き方が見えてくるはずだ。
海援隊の『閑愁録』に曰く。
「仏法ハ天竺ノ佛法トノミ言ベカラズ、乃(すなわち)皇國ノ佛法ナリ」
「仏日ノ滅没ハ皇道ノ衰運ニ係(かか)ル」
海援隊が目指した明治維新は、単なる「王政復古」ではなく「仏教ルネサンス」であった。坂本龍馬らは、神道でもキリスト教でもなく、仏法による国家の繁栄や人々の幸福を目指していた。仏法や仏教の退廃は国家の退廃に直結すると警鐘を鳴らしていた。
しかし、この思想は幕末の志士の中では特異なものであり孤高のものであった。西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通という「幕末の三傑」とは大きく異なっていた。
龍馬らは日本の再生に向けて着実な歩みを進めたが、遂に京都・近江屋の階上に於いてその思想の最大の理解者であった龍馬自身が命を終えて彼岸に帰ってしまった。そして、彼らの思想も幕末の喧噪に打ち消されてしまった。当時、多くの者は彼らのメッセージを受け取れなかった。新しい日本国を作ることになった者たちも受け取らなかった。むしろ積極的に否定し、拒絶した。そして、明治新政府は暴走し苦悩することとなる。神仏分離、廃仏毀釈、神道国教化、国家神道への道がそれである。
さらに、近代化によって急速に発展した日本は、危険な思想の種子が発芽したかのように列強諸国と戦うことになったが、第二次世界大戦に至るまで明治維新の初頭で起こった誤謬は改まることなく、歯車は狂い続けて歴史に類を見ない無残な敗戦を迎えることとなった。
戦後、日本は見事な復興を遂げた。しかし、同時に日本人は信じるものを見失った。人々の心は、漂流し、流浪している。今、日本は大きな岐路に立っているが、その立っている場所すら分からないのが実態ではないか。
その問題の起点は明治維新にある。現代日本人のアイデンティティは、近代日本の幕開けといわれる明治維新によって大きく規定された。現在散在している問題は、そこに遡らなければ解明も解決することも出来ない。明治維新で起きた誤謬を改めなければ、答えは見出せないはずだ。
今こそ、多くの日本人が愛する坂本龍馬を通して、日本人は近代日本が幕を開けた明治維新のあの場所に立ち戻り、命懸けで日本の未来を考えた坂本龍馬に代表される海援隊のメッセージを知り、その本当の意味を受け止めてもらいたい。その上で、この国の在り方や人々の生き方を見つめ直して欲しい。
龍馬らの思想が時代の濁流の中に消えつつある時、それを見出した一人の僧侶、長松清風。
彼は、龍馬らが目指した「仏教ルネサンス」、「幕末・維新の仏教改革者」として歴史に刻まれている。現在では一宗派の開祖と位置づけられているが、その枠に留まるだけの人物ではない。少なくとも長松清風は、あの時代に坂本龍馬のメッセージを確実に受け止め具現化した非常に稀有な存在であった。この本を通じて長松清風が残した「仏教ルネサンス」の潮流が現代に受け継がれていることも紹介したい。
この本の刊行が、坂本龍馬らの生涯を再評価するものとなり、鬱屈する日本社会の次の扉を開く鍵となり、日本人である誇りや喜びを取り戻す端緒となればと期待している。
「海援隊」は、「海から日本を援ける」だけではなく、「海外の諸国、世界まで援ける」という意を含んでいるに違いない。多くの人に愛され続けている坂本龍馬と海援隊の隊士たちが見た夢。一四〇年の時を超えて、その真意を知ることによって、彼らがいたならば実現していたであろうその理想や思想、日本人としての壮大な誇りを共に抱き、日本人が持つ本当の使命に気づいていただけたら幸いである。
私は、この国の在り方が、世界を破滅から救うと信じて止まない。
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2013年11月15日金曜日
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