2013年11月16日土曜日

イスラエルから10年目

10年前の今日。

つまり、2003年11月16日、僕はエルサレム、パレスチナ、イスラエルに向けて出発しました。

あれから10年。

長かったような、短かったような。

その年の春、イラク戦争が始まりました。テレビでは毎日その様子が流されていました。

戦場で、弱い、女性や子どもたちが犠牲になっているとか、劣化ウラン弾が使われているとか、クラスター爆弾がばら撒かれ、それが地雷のようになって毎日子どもたちの誰かが手足を吹っ飛ばされているとか、そんなことを聞いていました。

そんな時、テレビから、呑気で、能天気な坊主のニュースを見ました。少なくとも、当時の僕は、それが、あまりに仏教の使命を見失った、呑気で、能天気なパフォーマンスに見えて仕方なかった。

イタリアのアッシジの寺に集まった世界中の聖職者が、平和の植樹なるものをしていた映像です。

元々、根性の曲がった私は、それを見て「ふざけるな」と思ったのでした。

日本仏教会だか何だか知りませんが、たった一つのバイブルから生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教が争い続けている現状を見て、バカなことは止めろ、と言える唯一の教えが仏教であるのに、それを言わずに何が世界宗教者会議だ、平和だ、融和だ、利用されているだけじゃないか、と、青い私は思ったのです。

国内を見ても、仏教界を見ても、内側を見ても、全くそんな緊張感や使命感、空気もなく、辟易、幻滅、憤懣やる方ない気持ちになりました。

そして、いつもながら、自分の死に場所を探すような気持ちで、飽和したバブルのおままごとから訣別する気持ちで、イスラエルに向かったのでした。

俗な、阿呆な自分の言葉にすると。

「なめるな」

「佛立魂を見せてやる」

そんな気持ちだったかな。

あれから10年。

やっぱり世界は変わったと思います。

まだまだ足りないし、まだまだ遅いし、悪い方向に向かう力に全くかなわないけど、確実に世界は変わってる。まだまだ、まだまだ、変えてゆけると、阿呆かもしれないけれど、僕は確信しています。

あの場所で感じたこと、言い表せないくらいありました。

動きに動き、必死に生きて、挑戦し、経験し、立ち向かって、ご奉公させていただきたい。そこで体験した全てから、気づき、学び、吸収し、自分の血肉にしたい。

どうせなら最高の生き方をしよう。

どうせなら価値ある生き方をしよう。

どうせなら苦労したっていいんじゃない?

どうせなら思い切ってやってみようよ。

最後の最後、開導聖人のように、洒落を効かせながら、差がついたと悔やむ人に「骨の折ようが少し違ったんだよー」と戯けたい。そこ大事ー。

とにかく、幸せで、幸せで、幸せで、幸せで、仕方ない。佛立教務として生きれるなんて、何億回分の幸せを全部使ってしまったようなものだと思います。幸せ過ぎる。

万が一、億が一、京が一、もしそれを知らず、果たせず、甘んじ、使うのみならば、世間の如何なる罪より重いと思います。そのくらいの話。

僕たちの売り物は「仏教」だからね。それで食べてる。それで生きているんだから。世間の人と隔絶した責任はここにある。思い知らなければならない。

だから、10年前、飛び出したのだと思います。「いつも飛び出してるじゃないか!」とお叱りを受けるかもしれませんが、まだ生きてます。その経験も生かして、ご弘通を進めたいと思っています。世界に訴えたいと思っています。

下記。最初に書いた『イスラエル渡航記』です。自分の原点の一つなので、10年目の今日、載せたいと思います。

よろしくお願いします。

ありがとうございますー。

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 宗教乱立の時代、真に世界を、人々を幸福に導く信仰は何か。世界に広まりながらも各地で紛争を繰り返すキリスト教・イスラム教、そしてその母胎であるユダヤ教。

 その対立の原点を探り、仏教徒としての可能性を模索するため、長松清潤師が単身イスラエルへ飛んだ。
(渡航期間:2003/11/16〜22)
http://www.butsuryushu.or.jp/jp/quest/israel/israel01.html

 紛争やテロの相次ぐ世界。

 いわるゆ、21世紀はアメリカ同時多発テロで始まりました。それは、私にとって住職就任式の直前に起きた大事件であり、その後の世界は混迷を深めているように見えます。一連の報復の連鎖に心を痛めると同時に、「仏教」が世界平和のためにできることは何かを、口先の言上ではなく、実践として、行動として考えるようになりました。

 私は世界を席巻しているその対立や不安の一端を自分の肌で感じたいと思っていました。問題の核心に迫ろうと聖書を読み耽り、世界史の中で繰り返された旧約聖書に依拠するユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三大宗教同士の血塗られた対立の原点を探りたいと切望してきました。真実の仏教を信じる一人の宗教者として、「人類の心の闇」を抱える中東パレスチナ、イスラエルに行きたい、と。

 出発の前日まで妻にイスラエルに行くことは伝えられませんでした。一年越しで渡航するチャンスを探し、前の週にはトルコでの最初のテロがあり、断食月のラマダンが終わりに近づいていることもあり、非常に緊張が高まっていましたが、ご奉公の間隙を縫って家族を説得し、皆さまにもご披露せず、わがままを通して単身でイスラエルに向かいました。

 分離フェンスを見なければならない、嘆きの壁に肉薄し、ムスリムやユダヤ教徒、キリスト教徒と話をし、実際に彼等が「聖地」と呼ぶ場所を歩きたい。その念願は全てが叶い、カナンの地、エルサレム、嘆きの壁やアル・アクサー寺院、ゲッセマネ、ゴルゴダ、カナ、ベツレヘム(パレスチナ自治区)、ガリラヤ湖など、駆け足で廻り、多くの友人を作ることもできました。タクシーを3回乗り継ぎ、今のイスラエル政府が急ピッチで建設している分離フェンスを越えてパレスチナ自治区へと入り、そこに隔絶された方々と話をすることも出来ました。

 多くの人が、日本の仏教界、僧侶、坊主というものは堕落していると考えています。事実、形骸化し、使命感も責任感も無く、勿論信仰心も無く、食べる為に稼業としてやっている厚顔無恥の者が多い時世です。その中で私自身も「佛立教務」の存在意義を見つめ直したいと思っていました。紛争の中で、真実の仏教である佛立の使命を考えたいと思いました。 

 私は「信仰する人」を尊敬しています。「信仰」の大切さを知り、恐ろしさを知りながら、どのような宗教であれ、敬虔な「信仰者」は、傲慢で強欲で気まぐれな「ヒト」よりも尊敬に値すると思ってきたからです。

 しかし、オウム事件以来、深くこの点を考えさせられました。あの恐ろしい事件を見聞きしながら、「オウム信者」に対して言い知れぬ悲しさと哀れさを抱きました。彼らは自分の抱える人生の疑問や不安から逃れるために、或いは生きる意味を見出すために、藁をも掴む気持ちでオウム真理教に飛び込んだはずです。しかし、その飛び込んだ先は恐ろしい教義を控えた「宗教」とは似つかぬ狂人の妄想に追従するだけの集団だったのです。

 「宗教」とは、「何を信じるか」ということに尽きます。何を「本尊」とし、どのような「目的」と「目標」を教え、そこに到達するための方法として、どのような「修行」を提示するか。その全てが、いや根本が誤っているとすると、如何に尊敬に値する敬虔な「信仰者」がいるとしても、逆に「殺人犯」「テロ犯」にしてしまうこともあり、あるいは貴重な「身・命・財」失うことにもなりかねないのです。

 その設問はあらゆる宗教が抱えています。勿論、私たち仏教徒、私たち佛立信徒にも向けられています。そして、特に佛立宗の教務員である私には、明確に答えるべき義務があるのです。

 キリスト教国やイスラム教国に限らず、あらゆる人間に向けた設問、生き方、基本的な考え方には必ず宗教があると言えます。無神論など、今までの宗教を根底にした新しい宗教の枠内です。何を信じ、何を学び、何を守り、何を許されているか。国家の枠を超えて人々を結ぶこの「宗教」が21世紀を理解する上で最も重要な要因だと考えます。

 私は、オウム信者に抱く感慨と同様の設問をあらゆる世界の宗教についても考えます。世界の人々の「心」を結んでいる巨大な「宗教」にも、美辞麗句の裏側に危険なDNAが最も多く含まれていると考えています。だからこそ、私は単一的なストーリーの中から生まれた三大宗教について、大いなる疑義を持つのです。

 世界を覆い尽くすユダヤ教、キリスト教、イスラム教。私が疑義を抱いている三大宗教について、自分の眼で確かめたいことがある、そう考えて一人でイスラエルに向かい、エルサレムの旧市街を、パレスチナの街々を廻りました。

 ある高名な学者は「安政年間こそ、人類史上はじめて世界が一つに結ばれた時である」と述べています。開講の意義は甚深ですが、世界史の中に於ける「仏教再興」の一点も重要な意義を持っていると感じます。

 仏教は、インドで退廃し、中国で隠没し、日本で形骸化して来ました。江戸末期、連綿と受け継がれてきた正法の灯火を、佛立開導日扇聖人は確かに受け取られ、大衆の中にあって真実の仏教として再興されました。その意義は、佛立信徒の中だけに止まるのではなく、日本国内に止まるのでもなく、世界史の、人類史の中で、新時代を切り拓く画期的な出来事だったと考えるのです。

 そこまで大上段に構えずとも、一社会人として世界の平和を考えたり、世界の民族との協調を考えるのであれば、私たちの宗教、彼らの宗教を知るべきだとも考えます。そうした理由が相まって、イスタンブールの最初のテロの後でしたが、意を決して渡航してしまうことにしました。
(妙深寺報 平成16年1月号より)

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