2014年1月3日金曜日

『約束を果たす』 妙深寺報 平成26年1月号 巻頭言

約束を守ってくださる。だから、約束を守る。この揺るぎない思いと行動が、善の力となって自分を守り、家族を守り、大きな御利益となります。

法華経は約束のお経です。約束のとおりに上行菩薩は末法悪世に出現くださり、法華経に記されたとおりのご法難に遭い、それらを乗り越えて、御題目さまをお届けくださいました。

「不思議なる未来記の経文也」

自身こそ上行菩薩という約束の人であると自覚されたお祖師さまでさえ、法華経の不思議さを感慨深く述べられています。

私たちは、み仏やお祖師さまがお約束を守ってくださった、その恩恵をいただいて、現証の御利益をいただいています。まず、この有難さを自覚することが大切です。

約束を守ることを相手に強いていて、自分の約束を忘れていてはいないでしょうか。

法華経にはみ仏や菩薩方の誓いやお約束と共に、法華経を信じる私たちのお約束を明らかにされています。

最初は何も分からないはずです。約束なんて、知らなくて当然です。

「南無妙法蓮華経」と御本尊さまに向かって唱え重ねてゆくだけで、妙不可思議な現証の御利益をいただくことができます。これがみ仏やお祖師さまの大きなお慈悲です。

末法に生まれてくる私たちは、欲望も強ければ疑いの心も強く、謗法や罪障の重荷に足を取られて、尊い御法と言われても信じることは出来ませんし、正しい生き方を歩むことは出来ません。

しかし、現証の御利益を実体験すれば、猜疑心の塊であっても、御法さまを信じることが出来ます。

苦しいから唱えてみた、辛いからやってみた。それでもいいのです。

そこに現れる御利益は、お約束が守られている証拠です。

御利益でご信心が起こります。

お約束は守られました。今度は、私たちが約束を果たす順番です。

お約束を守ってくださったことに感謝し、今度は約束を果たそうと努力する。これほど尊い、幸せのサイクルはありません。

ご信心のお手本は、お祖師さまです。法華経の信者のお約束は、お祖師さまのお名前のとおりです。

「日蓮」

太陽が暗闇を取り除くように、その人は世の中に往来して人々の心の闇を照らそうと生きる。

蓮の花が汚泥に染まることなく白く咲くように、その人は世間にある欲望や怒りや愚かさに染まらずにみ仏の説いた道を歩んでゆく。

御法さまへの強烈な感謝と随喜を力に変えて、このご信心を一人でも多くの人に届けようとする人。

世間に溢れるドロドロの愛憎、欲望や嫉妬から生じるゴタゴタと、一線を画して真っ直ぐ生きる人。

約束を果たそうと生きる人とは、お祖師さまの名前のように生きようと努める人でした。

周囲の人を幸せにし、自分も幸せになれる、永遠の幸せの循環、永遠に御利益の中に生きる人生です。

一人ひとり、人生の状況、夢も課題も問題も、趣味や嗜好や能力も違います。しかし、この約束を知り、忘れずに努力すれば、自分も、家族も、お見守りとお導きをいただき、成功は持続し、逆境も必ず乗り越えられます。

船の難破や沈没、電車や飛行機事故など、多くの人を巻き込んだ災難があります。果たして、どのような運命によって、果報も罪障も違うはずの人たちが、恐ろしい災害に遭ってしまうのでしょうか。

開導聖人はお示しです。

「船のくつがえるも乗合たる人、皆水難定まれるに非ず。中に一人、また二人、水難の定業あるに彼が罪に勝るる程の善人乗合たらんには善の方に引れて其難免るべし。

善悪の強弱、相たたこうてつよき方に引るべし。家宅の火難、盗難等も主の心によると思え」

全員が事故に遭う運命を持っているのではありません。恐ろしい業を背負っている人は、それほど多くないのです。悪い運命の人を恨んでも仕方ありません。むしろ、善を修する人が少なくなり、善の力が弱くなっていることに気づき、そういう時に災難が起こるということを知らなければなりません。

末法の様相が深まっています。

善を修する人は少なく、その力は弱くなる一方です。

乗り合わせるバスや電車や飛行機や船に、どれだけ功徳を積もうと努力している人がいるでしょう。交通機関だけではなく、会社も地域も家庭でも、国も世界も、そういう状態です。

思いがけないことばかり起こる、不慮の災難や事故が続くと嘆いていても仕方ありません。あなたが、その災いを止める存在になれると知ってください。運命を嘆くのではなく、周囲の運命すら変えられる自分になるのです。

もし、あなたが法華経の約束を果たそうと努める、菩薩行を実践する人であれば、たとえ恐ろしい定業を持つ人が大勢乗り合わせたとしても、それを退ける力を持つことが出来ます。何か悪いことに巻き込まれて、アクセクと、追われ追われる人生から、逃れることが出来るのです。

大切なことは、邪念も、我欲も、偏りも執着もなく、約束を忘れず、約束を果たそうと、太陽のように、白い蓮の花のように生きてゆく、決意と行動でしょう。

お祖師さまの御妙判。
「釈尊出世の本懐は人の振舞にて候ひけるぞ」

開導聖人の御指南。
「信とは行なり」

み仏のスッタニパータの言葉。
「生まれによって賤しい人になるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」

とにもかくにも、「行為」「行動」「アクション」で、その人の価値が決まります。「行動」できていない人はだめです。行動しない人を、仏教は、特に法華経は認めません。

御宝前に逃げている、御題目に逃げている。御題目を唱えているけれど、人間としての行動は全く凡夫そのもので、我が強く、わがままで、自分勝手で、独りよがり、人の話も聞かない。そういう人に、法華経は語れません。きっと約束は守れません。

御法さまに約束の履行を強いるだけではダメ。ハッピーエンドは御利益をいただいた日に訪れるのではなく、御利益をいただいた日からハッピースタートなのです。

一年間、素敵なサイクルの中で、幸せに、充実して過ごすためにも、約束を果たそうと努め励むことを忘れないでください。

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