疾風怒濤。
有難いこと、極まりなし。
教区御講が始まりましたー。
妙深寺でのご奉公、かみしめて、かみしめて、ご奉公させていただきます。
それにしても、どっち向いて、どう生きているかが、大切ですね。
つくづく、突き詰めれば、ご信心しかないと思います。
三ツ沢上町、ほんとうに、すぐこそ、次男坊の通学路から数十メートルのところで、殺人事件がありました。
「探し求めたが、どこにも安住の地はなかった」と仏陀は仰せだから。
この世を何とかしないと、何ともならない。
ここに住む人びとを何とかしないと、何ともならない。
心を治する薬を、届けないと。
何とかしないと、何ともならない。
火事は、欲望と怒りと愚かさから起こってる。
大事件になっていなくても、近所でも、自分の家の中でも、自分自身の心の内側も、ボーボーに火が燃えて、大変なことになってるんじゃないかな。
ご信心。
この、温かい真実、まごころの輪。
この輪を、広げる以外に、希望はないと思います。
そこに希望を見つけられたら、人生で最も大切なことに気づいたことになる。
そして、そのために生きられるようになったら、生まれ変わり死に変わりしてきた永遠の命の中で、今回は、またとない生き方が出来ているということです。
これが、御利益の中でも、最大の、現証の御利益に違いない。
しかし、そんな気持ちや行動を、蔑ろにする人、削ぐ人、折ろうとする人、笑う人ばかりという末法。
そう、だから末法です。
これを「多怨難信」と言います。
怨嫉が多く、まっすぐにご信心することが難しい。
そうなってしまう。
そういうエネルギーが働く。
それはダメ。
誰かの言葉に一喜一憂していたら、ダッチロールが続くだけ。
がんばりましょー。
「世間の諸人、世に在るときは舌上に自然に斤斧(きんぷ:まさかり)生ず。これは言を以て人を切り、人の善根を切り、人の信心をそこなふ。此の舌おのの如し。又口より毒を吐く。これは人の信心を云ひさまし、人の仏道修行のさまたげに酒をすすめ、又経をよむときに傍らより物を云ひかけ、又は学問のさまたげをなし、又は人を迷はさん事を云ひて遊びたはむるる事をすすめ信行を怠らしむる等、是は口より毒を吐きて還つて自らの果報のよきを損じへらし、自身に毒を受くる也。又信行にはげむをほめず、遊興懈怠をほむるなど皆、人に悪をすすめ悪き道にいざなふ等の言は口中より出る毒火にして、此人常に楽をうくる事なし。」
「よき事としりつつせぬは、しらずしてせぬ者にすぐれたる愚者也。
この理をしらずしてよき道にすすむ人は、しりてすすむ人よりも智者とも云ふべきか。」
「善と悪とは人間其分々の力相応にしれり。しらぬはすべなし。さて其なす物事一つひとつにこれはよしと思はば、憚る事なく尽力して其事にかかるべし。今こそ其果を見ざれども、其果必然歴々たり。」
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