若者たちを想う時、彼らを取り囲んでいる世界、ヒト、モノ、エリア、フィールド、デバイスを思わずにはいられない。
彼らは大変だ。
人生も、その問題の本質も、何も変わらないけれど、複雑さは増しているから。
最近、ずっとヨーコさんのすごさについて考えている。
身長150センチ足らずの小柄なヨーコさんは、ある男性との恋愛と結婚によって、世界中から向けられた恐ろしいバッシングを受け止めた。
彼女に向けられた悪口雑言、批判や烙印は数え切れない。
「悪女」「傲慢な女」「魔女」「烈しい女」「ドラゴンレディー」、そして「ビートルズを解散させた女」等々。
普通ならば、立っていることすら出来なかったはずだ。
しかし、彼女は立っていた。
それは、彼女に対するジョンの強い愛もあったけれど、それ以上に、ヨーコさんは、そもそも、すごかったと想う。
いーなー、ジョン。
ヨーコさん、ほんとにすごいのです。
彼女については、また書きます。
彼女が、1974年、つまり昭和49年に書いた文章を載せますね。
インターネットや、デバイスが進化した今の若者にとって、とっても大切なメッセージだと思います。
全く色褪せない、大切なこと。
「現代の人は、ステレオやラジオ、テレビ、電話といったコミュニケーションメディアに取り囲まれている。これらの機械のスイッチをあやつっている間は、自分が何かとコミュニケートしているような錯覚にとらわれてしまう。しかし、もし誰かが急に部屋に侵入してきて私たちを殺したって、テレビは知らんぷりしてしゃべりつづけているだろう。
だから、実際は一人なのであって、誰かとコミュニケートしているわけじゃない。壁に向かっているのと同じなのだ。世界中の人が、みんな壁を眺めて、ただボンヤリしているだけのことなのである。
こういうメディアと関係を持つことは、非常に楽なわけだ。イヤになればスイッチを切ってしまえばいいのだから。こういう生活に馴れてしまうと、一対一のコミュニケーションが非常に面倒くさくなる。
母親と自分のつながりをじっくり見つめてみるとか、妻と自分の関係がどうあるべきかハッキリと立ち向かってゆくなんてことより、メディアの世界に逃げ込んでしまったほうが楽なのだ。
すると、メディアの力がどんどん強くなりすぎて、人間がメディアに振りまわされてしまうことになる。
そして多くの人間たちが自分たち人間が作った機械や組織に対して劣等感を持ったり、それに縛られたり、打ちひしがれたりしている。私たちの頭のなかには宇宙があるが、それをメディアが商品の広告、事件のゆがんだ報告などで限定している。
もう一度本来の自分の身体に意識をもどしてみないか。鏡の前で裸の自分を見てみるといい。なんて美しい動物だ、と思うだろう。身体の隅々まで神経が行きとどき、細胞の一つ一つが生きている。
そして電波なんぞよりよほど過敏なバイブレーションを、その身体から世界に対して絶えず発散してるし、また絶えず吸収している。組織(エスタブリッシュメント)なんかとは比べものにならない。テレビなんか人間に比べたら幼稚の極致だ。人間とは驚異である。」
どうだろう。
すごい。
ヨーコさん、すごいなー。
今でも十分に通じるし、感じるし、気づける、学べる。
進化し続けるメディア、デバイス。
でも、自分自身の美しさ、生命の可能性、人間という驚異、血の通ったコミュニケーション、実際にコミュニケートすることの大切さを、忘れてはならないということだ。
何十年経っても変わらない言葉を語りたいし、書きたいものだ。
ヨーコさん、すごい。
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