午後、法要の前に外に出ました。
丘の上。
その場所からは陸前高田全体が見渡せます。
冷たい風の中に体を晒しておけば、ご回向の足しになると考えたりして。
陸前高田の街を見下ろしていると、そこに自衛隊の皆さまが来られました。
30人から、40人くらい、おられたでしょうか。
自衛隊の方々は、静かに、でもずっと、同じように陸前高田の街を見下ろしていました。
彼らこそ、この3月11日という日を、どのように受け止めておられるか。
彼らは、なぜここに立ち、静かに街を見下ろしているのか。
思いを馳せただけで、涙が出ました。
自衛隊の皆さま、あの惨状の中で、どこに道があるのかすら分からなくなった瓦礫の山の中で、救援活動を続けられた自衛隊の皆さま。
今の陸前高田を見下ろし、あの日のこと、あの日からの活動を思い返しておられたのでしょうか。
隊員の方々が、何とも静かに立っておられたので、なおさら胸が締めつけられました。
年長の方がわざわざご挨拶に来られて、大塔婆にお参りしてくださいました。有難いことです。本当に、光栄なことです。
東日本大震災の発生から、ちょうど3年目となる今日の14時46分。あれから3回目となるその瞬間を、これまでと同じように御題目をお唱えしながら迎えました。
またまた、不思議なご縁をいただき、出会いや再会がありました。
指の感覚が無くなるくらい、凍てつくような風が吹いていましたが、太陽が暖かかった。
まるで、今の、すべてを、表しているかのようでした。
あの日から、僕たちの人生も変わりました。
この世の終わりを感じた日々。
着る物も食べ物もなく、避難されている方々がいる。
テレビで流された家族を探し求める姿、その声。
電気もガスも、ガソリンすら無くなり、原発事故が子どもたちの未来まで奪おうとしていた日々。
あの時、寿命が半分になっても構わない、いま何かしなければ生きている甲斐がない、と思ったのです。
あれから3年。
思いは同じです。
忌まわしい東日本大震災でしたが、その後に生まれたご縁は何ものにも代え難い宝物です。
宝物を忘れる者はいません。宝物を捨てるなんて、そんな愚か者はいません。
これからも、福田さんとのご縁、佐々木さんとのご縁、たくさんの方々と出会ったこと、教えてもらったこと、与えていただいたことを大切にしてゆきたいと思います。
これからが、また始まりだと思い、自分に与えられた、貴重な、貴重な命を、使わせていただきたいと思います。
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