慰霊法要の後、青年会のみんなと一緒に「花っこ畑」さんにお伺いして、お手伝いをさせていただきました。
主に男子は肥料を運び、女子は雑草を抜くお手伝い。野崎さんたちは凍結した井戸を修理するお手伝い。
その後、みんなで「みんなの家」に伺って、横浜へ。
ほんとうに、短い時間でしたが、神奈川布教区青年会の透きとおった心を感じて、彼らが築き上げるであろう素敵な未来を信じて、胸がいっぱいになりました。
夕方、紙芝居師なっちゃんと福田さんがわざわざ時間を取って来てくださり、ゆっくりお話しが出来ました。よかったー。
なっちゃん、是非とも京都佛立ミュージアムに来ていただきたい。陸前高田で生まれたご縁は絶対に特別だから。
何人かの方に、「宮沢賢治と法華経展」の図録をお渡しすることが出来ました。
やはり、この時期に、賢治展の図録が出来ているのも、意味があると思うのです。
賢治さんの実弟、宮澤清六さんの書かれた『兄のトランク』には、次のような一文があります。
「このように賢治の生まれた年と死亡した年に大津波があったということにも、天候や気温や災害を憂慮しつづけた彼の生涯と、何等かの暗号を感ずるのである。」
3年前の大津波で流されてしまいましたが、陸前高田の高田高校には「農民藝術概論要綱」の一節を刻んだ碑がありました。
「まづもろともに
かがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう」
賢治さんが、三陸海岸の、釜石から大槌港、山田町、そして宮古の浄土ヶ浜、その海岸で詠んだ歌。
「うるはしの
海のビロード 昆布らは
寂光のはまに 敷かれひかりぬ」
美しい三陸の海岸、豊かな海。
ご縁があるのです。
やはり、賢治さんの伝えたかった心のこと、法華経のこと、雨ニモマケズのこと、デクノボーのこと、そういうものになりたいという目標や志のことを、もっと広く伝えてゆければと思います。
そう、賢治さんの作品には、「ハチドリ」も登場します。「蜂すずめ」というのは『よだかの星」に出てきます。よだかは「鳥の中の宝石のような蜂すずめ」の兄さん。
「ハチドリのひとしずく展」とも、つながってゆくように思います。「雉」だって、小岩井農場にも出てくるのですから。
明日は、3年目です。
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