2017年7月29日土曜日

お祖師さまのお言葉

長野へのご奉公を終えて、いま新幹線で横浜に向かっております。


今日は長野本晨寺で石田家のご回向がありました。


本晨寺の大功労者である石田保さまの第23回忌をはじめ、奥さま、みち子さんのご回向を、本晨寺のご宝前でさせていただけたことは、本当に万感の思いがあり、ありがたいことでした。


人生には様々なことがあり、簡単にゆくことなんて何一つありません。


ましてや末法悪世のご奉公であればなおさらのこと。


健康第一、アンチエイジングと、いろいろなことが語られていますが、命にカンナをかけなければならないこともあります。


この20年間、バラバラになったものを再び一つにする再興のご奉公とは、まさにそのようなものであったと思います。


本当に、いろいろな日がありました。


今日はご挨拶の中で、日蓮聖人が池上兄弟に宛てて書かれた『兄弟抄』の一節を拝読させていただきました。


ご信心、ご奉公、家族、夫婦、親子、兄弟。


怨嫉、障碍。


決して、負けない、曲げない、ブレない者だけが、お祖師さまの御弟子旦那というものです。


今だけ見ても分からない。


今回だけではない。


生き恥かいても死に恥かくな。


生まれ変わり死に変わり。


一喜一憂のかわいらしさも人間らしさも、ずっとそのままでは哀れでしかない。


ブレない、迷わない、本当の幸せを見つけるために、私たちは教えていただいてきたのだから。


以下、お祖師さま・日蓮聖人の『兄弟抄』です。


お祖師さまの文章は、木版に彫り、削り込むように、一節一節が精緻に組み立てられています。


とてもサラッとなんて読めない。


心の奥深くで、一言一句を噛みしめさせていただきたい御文です。


「「若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」云云。本心と申すは法華経を信ずる心なり。失と申は法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり。


(乃至)


されば法華経を信ずる人のをそるべきものは、賊人、強盗、夜打ち、虎、狼、師子等よりも、当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり。


此世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼魔王の眷属なり。六道の中に二十五有と申ろう(篭)をかまへて一切衆生を入るのみならず。妻子と申すほだしをうち、父母、主君と申あみ(網)をそら(空)にはり、頓、瞋、痴の酒をのませて佛性の本心をたぼらかす。但あく(悪)のさかな(肴)のみをすゝめて三悪道の大地に伏臥(ふくが)せしむ。たまたま善の心あれば障碍をなす。


(乃至)


第五の巻に云く「行解既に勤ぬれば三障四魔紛然として競ひ起る。乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば人をして悪道に向はしむ。之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡也。謹て習伝て未来の資糧とせよ。


此釈に三障と申は煩悩障、業障、報障也。煩悩障と申は貪瞋痴等によりて障礙出来すべし。業障と申は妻子等によりて障礙出来すべし。報障と申は国王父母等によりて障礙出来すべし。又四魔の中に天子魔と申も如是。今日本国に我も止観を得たり我も止観を得たりと云人人、誰か三障四魔競へる人あるや。之に随へば将に人をして悪道に向はしむと申は、只三悪道のみならず人天九界を皆悪道とかけり。


(乃至)


夫たのしく(楽)ば妻もさかふ(栄)べし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。是偏に今生計の事にはあらず。世世生生に影と身と、華と果と、果と根と葉との如くにておわするぞかし。木にすむ虫は木をはむ(食)、水にある魚は水をくらう(啖)。芝かる(枯)れば蘭なく(泣)、松さかう(栄)れば柏よろこぶ(悦)。草木すら如是。比翼と申鳥は身は一にて頭二あり、二の口より入る物一身を養ふ。ひほく(比目)と申す魚は一目づつある故に一生が間はなる(離)事なし。夫と妻とは如是。


(乃至)


心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅密経の文也。設ひいかなるわづらはし(煩)き事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはく(思索)らせ給べし。


(乃至)


南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。」

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