2018年7月1日日曜日

公式晩餐会

































昨夜は公式晩餐会。


これに先立ち、外務大臣、文化大臣、サンマリノ共和国らしく平和大臣、カデロ大使、お世話になっているリッカルド・リッチョーニ参事官が来館くださり、親しくご挨拶させていただくことが出来ました。


自由広場に作られた晩餐会の会場は、息を呑むほど美しい天空に浮かぶレストランでした。


サンマリノ人、日本人、イタリア人、ロシアやウクライナやポーランドの方々が約200名ほど参加なさっていました。


自由と平和を愛する、これほど素晴らしい、歴史ある国、意義ある場所で、この写真展が開催できたことを、心から嬉しく思います。


第二次世界大戦から70年目に、私たちは京都佛立ミュージアムで同じ展示会を開催いたしました。


その際、サンマリノ共和国ニッポンまつりの実行委員会の裕子さんや名美さん、緑さんにお力添えをいただき、在日本サンマリノ共和国大使館にもご協力をいただきました。


京都佛立ミュージアムにはカデロ大使のメッセージを展示し、記念講演では京都までお越しいただき、前夜は長松寺にお泊りいただき、大原哲夫先生と貴重なトークセッションをしていただきました。


これらの模様はすべて図録に収録させていただいております。


恐れながら、晩餐会では文化大臣、カデロ大使のご挨拶に引き続き、今回の展示にまつわるご挨拶をさせていただきました。


キチンとご挨拶できたか分かりませんが、ダリオさんに支えていただきました。


3年前、私たちのような小さな小さなミュージアムがローマ法王に「焼き場に立つ少年」の写真を送らせていただいたこと。


今年の元旦、ローマ法王・フランチェスコが、その写真を配布するよう全世界に指示を出したこと。


今年の元旦、このニュースを私に教えてくださったのは蓑田代表でした。


背中を押されるかのように、何かに突き動かされるかのように、不思議な不思議な巡り合わせをいただき、サンマリノ共和国での展示となりました。


オダネル氏は1945年に日本に来ました。


彼はアメリカの海兵隊であり、日本人は鬼や悪魔だと思って日本へ乗り込んできたと語っています。


しかし、この写真展でご紹介させていただいているように、彼は日本人と触れ合い、原子力爆弾が落とされた広島や長崎を巡り、その気持ちが変わっていったのです。


そして、長崎に来た時、この少年と出会いました。


くちびるを噛み締め、目をそらさず、直立不動で立っている少年。


背中で眠っているように見えた弟はすでに亡くなっていました。


火葬場の少年は一滴の涙を見せることもなく、弟が骨になるのを待ち、後ろを振り返ることなく去っていきました。


オダネル氏は彼に声をかけようか迷ったそうですが、もし声をかけたら、彼を支えている何かが崩れてしまいそうで、何も言えなかった。


帰国命令が出る時、彼は日本に来る前とは全く違う考え方になっていました。


アメリカに戻ってから、彼は日本で撮影した全てのネガをトランクの中にしまいました。


43年間、彼は悪夢のような光景が映るこれらの写真を封印したのでした。


しかし、43年後、絶え間なく続く戦争や紛争を見て、何より彼自身が心に背負った苦しみから逃れるために、彼はトランクを開けたのです。


私たちは、彼の心の変化こそ尊い教えを含んでいるものと思い、展示会を開催させていただいてきました。


世界最古の共和国、軍隊を持たず、自由と平和を心から愛するサンマリノ共和国の、その国会議事堂という貴重な場所で、この展示会を開催できた、あらゆる方々のご協力に心から感謝いたします。


サンマリノ大学が制作したビデオ・マッピングが国会議事堂の塔に映し出されました。


今回の展示会を広く知らしめること、それぞれの文化が交流し、お互いに理解を深めて平和を築くことを、短い時間の中で表現していました。


幼い兄弟の写真が映し出された時、涙がこみ上げ、震えました。


この塔よりも大きな塔は世界のどこかにあるかも知れません。


これより大規模なビデオ・マッピングもあると思います。


でも、どこよりも大きく、素晴らしく感じました。


ネパールの平和題目塔のように、この小さな塔が新しい時代の平和を世界中に発信する地球のアンテナになったと感じました。


ビデオ・マッピングを制作してくださった教授が重ねてご説明くださいました。


長崎で撮影された少年の写真が映し出された後に、柿の木が成長してゆくシーンがあったのです。


これは日本からイタリアに送られた柿の木で、しかも長崎で被爆し、奇跡的に生き残った柿の木だというのです。


長崎の爆心地から約900メートル、長崎市の若草町というところにあった樹齢150年の木を元にしているとお聞きしました。


その柿の木を再生のシンボルとして、この平和を祈る機会に映し出そうと考えてくださったそうです。


今一度、このビデオ・マッピングについて私から感想を話すように言われ、またマイクを持ちました。


感じたままをお話ししましたが、最後に今日、まさに夕方、Facebookで見たメッセージをご紹介しました。


これはJAGDA広島の川上さまがアップされていたもので、JAGDA長崎地区が発表されたものだそうです。


なぜ、今日だったのか、今日目に出来たのか、分かりませんが、特別な意味があると確信いたしました。


NAGASAKI BEYOND

国を越えて、民族を越えて、

宗教を越えて、憎しみを超えて、

悲しみを超えて、ただひたすらに平和を願う。

今、長崎から世界へ。」


BEYOND」とは「越えて」「向こうに」という意味です。


ここ、サンマリノでも、ジョー・オダネル氏が長崎で撮影した写真を中心に、あらゆる壁を超えて、平和を祈る展示会が開催されています。


「いま、サンマリノから世界へ。」


晩餐会から戻ったのは深夜1時を過ぎていました。


意義深い夜となりました。


ありがとうございます。

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