2019年12月1日日曜日

『一生分の一日を生きる』








『一生分の一日を生きる』

妙深寺報令和元年121日号巻頭言


始まりがあれば、終わりもある。今は出来ていることでも、いつか出来なくなる。行けている場所にも行けなくなる。そんな日が来る。無常の身の上、いつかそんな日が来ると覚悟しつつ、少しでも長く充実した人生を送りたい。


出来なくならないように、行けなくならないように、本当に価値ある人生を歩むためにはどうしたらいいか。ダメなところをダメにならないように、スルスルと切りぬけ、乗り越えさせていただく。そんな定業能転、災難除滅、当病平癒の御利益をいただく道、心得。


御教歌

「ゆけるだけゆけとてすゝむ信行にゆかれぬ様にならぬ御利益」


出来るかぎりさせてもらおう。させてもらえるだけやってみよう。そういう前向きな、ポジティブな気持ちでご信心、ご奉公するから、御利益がある。お守りをいただき、限界を超えて、ダメにならずに、出来なくならずに、またご信心、ご奉公させていただける。


逆に、儚いものを追いかけて、欲得の優先順位を上げて、お寺のことやご先祖のこと、功徳を積むことの順位を下げ、「暇になったら行ってもいい」「お付き合い程度にやっておく」などと言っていると、運命どおり、定めのまま、終わりが来る。その時にアタフタするな。人間に生まれてきて、せっかくの甲斐や価値、機会を失ってしまうのは誰のせいでもないのです。


開導聖人は最晩年にこの御教歌をお示しになりました。ここには、

「凡夫の自力考へは、烏の雲あて、もずの草ぐき」

という書き添えがあります。


カラスは昔から人の顔を覚えるなど頭の賢い鳥として知られます。食べ物が余ると隠して蓄えておく。しかし、目印を空の雲にするので取りに来ても見つかりません。


百舌にも獲物を小枝や草の茎に刺しておく「速贄(はやにえ)」という習性があります。しかし、多くの場合、これを見つけるのは他の生き物で百舌のものにはならないそうです。


時間や労力を費やしても、結局手に入らない。「烏の雲あて、百舌の草ぐき」とは、「労して功なし」、ということを教える諺です。


一度きりの人生。限られた人生の時間を何に使っているか。自分の優先順位を振り返ってみてください。本当の仏教は最も充実した生き方を示すものです。世の中のためにもなり、人のためにもなり、だからこそ自分も満たされる道が、真の仏道修行、菩薩道。鳥は後悔しなくても人間は後悔するのです。


ライフプランや終活まで、誰もが頭をひねりますが、多くの場合、予想を超える事態が起こります。人生の終わりに、努力が報われず、かけた時間の多くがムダだったと感じることの無いように生きましょう。


何もかも無常です。自分も年を取り、父も母も、家族も、子どもたちも、みんな無常の世にいます。


振り返れば、現在の自分は絶妙のバランスの上にいます。自分の健康、家族の無事、全てがあって、今の自分がいます。一つでも欠ければ出来なくなる、行けなくなる。現在も御利益、これからも御利益がいただけるように、お寺参詣や信行ご奉公の優先順位を上げて、功徳を積んでおきましょう。


中途半端では何も生まれません。精一杯生きることを考えましょう。精一杯ご信心、ご奉公させていただくようにしましょう。なぜなら、それこそが運命を変える、ダメがダメにならない方法なのです。


開導聖人が最晩年にお示しくだされた人生観、死生観があります。


「細う長うは御書にそむく我見なり。ある時にせねば、死んだ時の後悔益なしとて供養有志をする人あり。これは御意に叶う。太う、短うとの指南の如し。善はいそげ。」扇全十四巻二二一頁


「細く、長く」という人生観は、お祖師さまの御意や法華経本門の流儀に背く勝手な考え方なのです。出来る時にさせていただかなければ結局は出来ない。功徳の積み方、ご奉公の仕方を習い損じ、勘違いして生きていてはいけません。


ですから、佛立教講の人生観は、「太く、短く」です。世間の常識とは違うでしょう。それは末法であり、無常であり、私たちが謗法と罪障の深い凡夫だからです。


同時に、「不養生は謗法」と教えられています。不摂生をして早死ではいけません。三千大千世界の宝物は命そのもの。一日でも長生きをして功徳を積むべきです。


しかしながら、「アホの長生き、娑婆ふさげ」ともお示しなのです。自己中心の人生を送って、殺生をして功徳も積まず、愚かな考えを広めるだけの長生きは、世の中の役に立たないどころか、かえって他人の邪魔となるとまで、厳しく言明されています。


これらを総合的に考えてみれば、佛立教講は、「太く、短く」を積み重ねて、現証の御利益をいただき、ダメなところをダメにならずに、年と共に功徳を重ねて生きてゆくことが大切であると分かります。


ブラジルの首都・ブラジリアでお会いした佐藤栄一さん。101才の佛立信徒です。5才の時にブラジルに渡った日系一世の方です。

10月初頭、私がお会いした時も御講の最後まで着座して、颯爽と歩き出す。動きは七十才でした。何度も私のところに来ては百年分の面白い話を聞かせてくれました。圧巻の明るさ、元気さでした。


その佐藤さんは101才になっても近所にお寺のチラシを配って将引と結縁のご奉公をされています。「太く短く」は長くなる御利益をいただける。その証明です。


「即位礼正殿の儀」に出席されていたサンパウロ日教寺の菊地義治氏。氏はサンパウロ日伯援護協会の会長として活躍し、陛下ご夫妻から招かれて皇居でお食事されたこともあられます。今回もブラジル日系人社会を代表して参列されました。


庫裡でお話をお聞きし、さらに感激しました。

「私はたいしたことは何もしていません。岩手からブラジルに渡り、お寺のお手伝いをしていたらこうなりました。ただ、私はいい日も悪い日も朝参詣を欠かしません。朝参詣はいいことしかありません。第一に身体にいい。第二に物事を深く考えられる。第三には勇気をもらえる。御法門を聴聞して人のために生きる大事を学んでいたら、こんな風になりました。私がこうなれたのだから、誰でもなれます。」


清々しいお話でした。選び方を間違えて、ダメになることのないように。今日も一生分の一日です。太く、短く、貴重な一日、貴重な毎日を功徳に変えて生きましょう。

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