2021年5月2日日曜日

長文ですが












長文ですが、喜多一郎監督から転送していただきました。


喜多監督はこのたび城西国際大学のメディア学部の特別客員教授に就任され、世界に羽ばたくアーティストやクリエイターを育てていただきたい、文化力が日本の希望とお祝いのメッセージを送らせていただきました。


すると、下記のメッセージを転送していただきました。


『るろうに剣心』の大友啓史監督が書かれた文章です。長文ですが、読んでいただければと思います。


本堂から戻ると、NHKスペシャル「看護師たちの限界線」が再放送されています。


本当に、看護師の方々、医療関係者の方々に、言葉が見つからないほどです。感謝しかありません。


下記、ご許可をいただきましたので、添付させていただきます。


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文化力に関する大友啓史監督の投稿です。是非、住職に読んで欲しい!


【大友啓史Facebookより】


お友達の皆さんに、思いの丈をぶちまけちゃおうかな。溜まりに溜まっているので、スッゲー長いです()


この一年以上にも及ぶ政治の、ほんとーーーにどうしようもない無為無策ぶりに心底あきれ返る日々。失望と絶望と、そして怒りで考えがまとまらない(だから長いのです)。国民の生命生命と繰り返すが、本当の意味で一番大切なその印籠を、もはやオリンピック優先の旗印とアリバイづくりに使っているとしか思えない。尾見会長が度々提唱してきた機先を制すべき緊急事態宣言のタイミングも、それを理由に逸してきたことは去年来明々白々だ。


古巣の看板番組NHKスペシャルは、時としてその一本だけで受信料を払う価値のある番組を放送することがある。先日放送された「看護師たちの限界線」という番組がそうだ。コロナ禍の中で、今一番手を差し伸べるべきところに手が届いていない、その窮状があからさまに映し出される。


理想を胸に、懸命にコロナの治療現場を支えてきた若い優秀な看護師たちが、迷いながら、無力感に打たれながら現場を離れていく。本来なら、青春を謳歌しているその時間の全てを、生命の現場を支えることに捧げているのに、その対価が見つからない、与えられない。


若い看護師が狭いホテルとコンビニと、野戦病棟のようなコロナ患者の病室を行ったり来たり。政府からの充分な支援が届かない中で病院の経営は圧迫され、ボーナスや給与は軒並み数十%下げられる。9ヶ月?持つわけがない。となると「辞めること」が声を上げる手段、「反抗」を示す唯一の方法となってしまう。一方で、みんなに迷惑をかけて申し訳ないと、泣きながら現場を離れ、3ヶ月の休職を経て戻ってくる看護師もいる。


後者を褒め称える人が多いかもしれない。だけど、それは違う。

誰しも何か心の支えや自らの頑張りを認めてくれるもの、後押ししてくれるものが必要なのだ。それぞれが、壊れそうな自分を守るために。覆い被さってくるストレスから自分を守るために。


日々生存を脅かされる、そしてそんな中でも人としての感情を持つ患者にしっかり向き合おうとする若者たちに、自分では解決できないような、絶対追い込んではいけないような状態が続き、それに社会が、政治が何も手を貸せないでいる。

若者たちはそこからどんどん離れていくでしょう。志ある若者たちが立ち尽くし、言葉を無くし、社会を支える大切な場所から離れていくでしょう。


医療の現場だけではない。多かれ少なかれ私たちを巡る環境は、社会性を見失った「自分の狭い範囲の身の回り主義」に圧倒的に傾斜しつつある。だがそれは、必ずしも個々の趣味や責にのみ起因するものではない。


我々の税金で成り立っているはずの、政治という営みはいったいなんなのか?人の善意に、もはや奉仕と呼んでもいいような行為に直ぐに応えられない政治ってなんなんだ。

国民に甘え過ぎなのではないだろうか、自分で選んだ仕事だから、とか。1人の人間が背負いきれないモノを個人に背負わせるとしたら、特にそれが若者であるとしたら、大人として、余りに放り出しすぎなんじゃないだろうか。


社会の最低限を成り立たせるための「公的な仕事」をどんどん民間に放り出して来た結果、「公」という概念や「公」を支えるものの価値やその基準を、公に準ずる立場の人間たちが、すっかり見失ってしまっている。こんなに危急の現場で生命を必死で支えている人たちがボーナスカットや給与の数十%カット。かたや国会議員は何一つ傷付かず、ましてや河合夫妻は議員特権で、ボーナスも含め満額を貰い続けていた。その不条理を、若者たちはどう理解し、納得すればいいのだろう。やっていられない、そう思うのは当然のことだ。


夢と理想を抱き続けることができない、諦念が社会を満たしていく。それは確実に、前政権からの政治体質が残した負の置き土産だ。「やりがい詐欺」という言葉がある。やりがいのある仕事をしているんだからギャラは安くていいだろ、とか我慢しろよとか、今の時代そもそも許されない言葉だが、そんな言葉がとりわけ絶対に許されてはいけない「生命」の現場というものがあるはずだ。経済的裏打ちがあってこそ生命の現場も支えられる。そして命を支える現場があるからこそ経済も安心して機能する。それは番組中の彼女たちの葛藤によって剥き出しにされた、社会を生きていく上での当然の前提であるはずだ。


コロナ以来ずっと続く、日本の政治の無様さが産んだ閉塞感が続く日常は、一部の人たちの測量できない犠牲の上に辛うじて、現状ギリギリで成り立っているに過ぎない。そして、その現場を支えるために国民の生活を犠牲にし続けるしかない悪循環。愚鈍な発想によるどん詰まり感の繰り返しと再生産。それしか能がないのか。そんなにも政治には知恵がないのか。政治は結果だ、そう言ったのは誰だ。データもエビデンスも示されることもなく、それまでの感染対策への努力も無視して一律の私権制限。もはや行政のトップがリーダーとして正気であるとは思えない。予想だにしないコロナの状況と、それでもオリンピックを開催しなければいけないという謎の強迫観念に、皆パニックに陥り平衡感覚を失っているのではないか。もはや国民からはもちろんのこと、世界中からも決して諸手を挙げて歓迎されないであろうオリンピックに4年間の努力をかけた選手たちの宙ぶらりんな状態と、それでも準備を続けているその気持ちは察してあまりある。気の毒に思えてしょうがない。番組で見たように、一部の人たちが諦め、壊れかけ、静かな抗議の声を一斉に挙げ始め手を止めた瞬間に、全てが瓦解する可能性がある。コロナだけではない、間違いなく"ストレス"が人を殺すのだから。


国のネジの巻き方、お金の使い方、そもそも発想の根本が絶対的に間違っている、そう思わされる番組だった。大切なことに取り組む覚悟を決めた若い人たちの背中を押すような、そういう施策をこそ、大人は真っ先に考えるべきだ。それは一時的な、お上が与えるご褒美的性格を宿した場当たり的な給付ではない。


我が業界に身を引き寄せていうと、アップリンク渋谷の閉館が決まった。ずっと続くコロナの期間、知恵を絞り、クラスターを出すこともなく、この期間エンタメの牙城として懸命の努力を続けてきた映画館にも休業要請が出た。オリンピック選手だけではない、3年以上身を削って作った私の映画も、10年かけて作り上げてきたシリーズの結晶である大切なその作品も、その大波を容赦なく被っている。


努力しているものもしていないものも一括りにされる。そもそも永田町や都庁という象牙の塔に引きこもっている行政のリーダーたちは、生活のディテールやグラデーションを見ていないのではないか。甘々の水際対策に時期を誤ったGoto政策。そして、今度は灯火管制?ワクチンはどうなった??口先だけではなく、もっと具体を説明しろ。政治は結果、であるならばさっさと実現しろ。将来に備えた研究開発への予算の削減を緩やかに続けてきた末路が、ワクチンすら自国で開発できる力を失わせてしまったのか。もはや日本からノーベル賞受賞者が出ることは当面ないのではないか。


この一年間、日本はアメリカやヨーロッパ諸国等に比べ被害は少なかったのだから、準備する時間は充分にあった筈だ。日本は先進国ではなかったのか。

こういう状況を見ると大胆な規制を可能にする法律も必要だ、そんな議論がやがて再び始まるだろう。だがそんな機能を、今のこの国の政治、このレベルの思考停止を繰り返す連中に与えてはいけない。こんな発想で堂々と私権制限を濫用されたらたまったもんじゃない。世界に冠たるストレスフル国家日本を、さらにぐいぐいと推進していくことになるだろう。


1000万歩譲って、最低限必要なのは、当たり前に、国民にちゃんと声が届くリーダーの存在だ。理念が見えない、そこに至る経緯も説明できない、しかも自らの声すら発せない棒読みリーダーは不要だ。こんな曖昧な雰囲気に任せて私権制限を決定するのなら、ジョンソンやメルケルのような、彼(彼女)の声なら耳を傾けて我慢をする、せめてそういう情の伝わる言葉を発することが最低のマナーだ。それが望めないなら、国民と会話することのできる資質、スピード感と危機感を国民と共有できる感性を持った、せめて次世代の若いリーダーにさっさと交代し、オンザジョブトレーニングを重ねながら育て、その可能性に未来を託してみるべきだろう。いい加減政治は自分たちの現状を正確に把握し、自分たちの姿を鏡に映し、その行く末を真面目に考えるべきだ。


我慢を強いる、それに報いるのは飴でもムチでもない。辞めていく看護師たちの姿を見れば、ストレスを逃す場所も必要なことは明確だ。我々の仕事は、まさに今だからこそ力を発揮できるはずなのに。頭にねじり鉢巻を巻いて映画をわざわざ難しく解釈するような閉じこもった連中にではなく、僕はあの若い看護師さんたちのような人たちにこそ、一瞬でもいいからスカッとして欲しい、ほんのちょっとだけでも、ストレスを発散するお手伝いをしたい、真面目にそう思って映画を作っているのだ。今こそ貢献できる、せめてもの機会すら奪うつもりか。

この一年間、思考錯誤を続けながら、必死で安全な空間を作り上げてきた劇場と観客の努力を無にするつもりか。いい加減舐めんじゃねえぞ、エンタメを。


ライフラインの範疇から、心の分野を真っ先に取り除いてしまうところに、政治の限界と、この国の極め付きの貧しさがある。人はパンのみで生きるにあらず。エンタメはストレスを抑えるワクチンとして機能する、それを有効に使わずしてどうするのだ!

このタイミングでオリンピックに看護師を500人要請?病院を30箇所?現場で生命を削って戦っている医療関係者たちの心を、医療体制の崩壊を防ぐために我慢を強いられている人々の気持ちを逆撫でするにも程がある。


いよいよクライマックス、なのかもしれない。国と都の責任のなすり付け合いが始まった。崩壊の序章。オリンピックありきのコロナ対策は既に破綻している。もはやこの国におけるコロナ禍の最大のリスクは、オリンピック至上主義とリーダーたちの判断停止に変容しつつあるのではないか。


見えにくい日常の中に沈潜している葛藤を拾い上げる覚悟を、メディアはさらに自覚的に進めるべきだ。そこにこそ、ネットに押されるテレビメディアの復活と揺るぎない価値がある。それこそオワコンで終わるのか終わらないのか、メディアも今こそ試されているはずだ。

政治の致命的な欠落が、そのまま個人とその権利の制限にすべて覆いかぶせられていく。コロナの蔓延と同様に、そのコンディションを見過ごしていいはずがない。


https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021113093SA000/index.html

1 件のコメント:

唐澤平吉 さんのコメント...

 ー見えにくい日常の中に沈潜している葛藤を拾い上げる覚悟を、メディアはさらに自覚的に進めるべきだ。そこにこそ、ネットに押されるテレビメディアの復活と揺るぎない価値がある。それこそオワコンで終わるのか終わらないのか、メディアも今こそ試されているはずだ。ー

 もっともな指摘です。小生はマスコミを批判するとき、まずNHKニュースを遡上にのせ、その政権寄りの偏向を批判し続けています。しかし、いまではそれも虚しくなるばかりです。権力の強さ、カネの魔力、その狡猾さ、それに簡単になびく人間の弱さを、ただただ感じるばかりです。創価学会を支持母体とする公明党はいま、憲法改正にむけて、党員と学会員を結集し、総力をあげて、菅独裁政権へ協調する姿勢を明瞭にしています。長いものには巻かれたほうが身のため、というその堕落ぶりは、あたかも日本の宗教界全体のありようを示してるようにおもわれす。ここに小生が始めに引用させてもらった文章の「メディア」を「宗門」に置き換えて読んだとき、やはり宗門と実社会との懸隔ぶりがおもわれ、日本の佛教は、もはや死に体に堕していると思わざるをえません。幸か不幸か、コロナ禍は、平時では見えなかったものを、見えるようにしたとおもいます。口先ばかりとは何か、コロナ禍において、ますます歴然となるでしょう。そんなことを考えながら、毎日『如説修行抄』を拝見読誦させていただいています。ありがとうございます。合掌

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