2009年10月16日金曜日

難民キャンプの映像

 先日、難民キャンプ内でのご奉公の模様をまとめて、You Tubeにアップして観ていただこうと思った。編集が完了したので、ここに再アップしてみる。

 映像の最初の部分、約2分間。あえて、車窓からの映像を残してもらった。延々と続くテント。その規模の大きさを観ていただきたくて。難民キャンプ内でのご奉公を10分にまとめることはとても難しいし、頑張っても17分だった。それを10分にまとめた。最初の部分はカットする対象なのだが、それでも観ていただきたいと思った。

 現在、スリランカには3つの巨大な難民キャンプがある。今回私たちが訪れたのは「Settikulam」と呼ばれる難民キャンプ。ここに7万世帯が生活している。スリランカ全土で約28万人のタミル人が難民キャンプ内での生活を余儀なくされているという。

 難民キャンプには通常、外国人はおろかスリランカ人も入ることができないという。「支援者ならば入れるだろう」と考えるところだが、そうではない。度重なる検閲を受けなければ、UNICEFやWHOやUNHCRの車両とも行き違ったが、そうした団体のスタッフでも入ることが難しい。支援金はコロンボでのみ受け付けられ、支援物資もスリランカ政府によって管理・運用されているとのこと。

 今回、現地信徒の方々のご協力をいただいて、本門佛立宗のみなさま、宗門をはじめ、義援金を送ってくださった方々に代わってご奉公させていただくことができた。本門佛立宗による「スリランカ内戦難民義援金」を、スリランカ本門佛立宗のみんなが、最善の、顔の見える支援、継続的な支援、御題目の下種、ご弘通に繋がる支援を目指して検討し、実現までたどり着いた。

 お役中(スリランカ本門佛立宗の役員)の方々は、Naita(National Apprentice & Industrial Training Authority)と交渉し、視察を行って支援方法を決定してくれた。このNaitaの会長、アマル氏は御本尊を護持するご信者である。Naitaは難民キャンプの中で、青少年に職業訓練を行っている。その機関を通じてスリランカHBSとして、机付きの椅子を300脚、子どもたちには50個の玩具セット(ノートとペン等を含む)を寄贈。

 最初に子どもたちが集まる場所へ向かい、玩具セットを一つ一つ子どもたちに手渡しした。シンハラ人とタミル人は使用する言語が違う。つまり、彼らが話をするのにも通訳を介さなければならない。コロンボ市内ではそのようなことはないのだが、この地域、特にLTTEが支配していた地域となれば言語が異なっている。当然ながら、私も全くはじめて聞く言語で、案内された小屋の中に入って少し戸惑った。

 おもちゃを渡した後、ごく簡単に、御題目を唱えてくれるように呼びかけさせてもらった。あまりにも小さな子どもたち。歌を歌うように、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えてほしいとお願いした。

 次にNaitaで勉強している青年たちが集まる場所へ向かった。すでにHBSにより寄付された椅子に座っており、「昨日まで地べたに座って勉強していたのです」という言葉に、有難さがこみ上げてきた。

 難民キャンプで行ったスピーチ。今回、何点か写真を用意した。「富士山」「B29」「横浜大空襲直後の横浜の空撮」「スリランカ信徒が横浜に来た時のランドマークタワー前での記念写真」。話す内容を組み立てる前に、このタミルの人たちが25年以上受けてきた苦しみ、哀しみ、怒りなどを想像した。そして、いま置かれている困難な環境、状況について。彼らは、シンハラ人や政府を憎んでいるだろう。戦争によって愛する人を失った人もいるだろう。ヒンドゥーを信じ、仏教を憎んでいるのだろうか。仏教の僧侶が行って、何を語ればよいか。逡巡と考えながら、スピーチを考えていた。簡単に要約すると、下記のようなお話をさせていただいた。

 日本から来た仏教僧の長松清潤です。みなさんは、日本を知っていますか?(知らない人も多かった)。これは日本にある富士山の写真です。綺麗な山です。この山に象徴されるように、日本はとても美しい国です。

 しかし、約60年前、日本は大きな戦争をしていました。相手はなんと米国、アメリカです。信じられますか?その戦争、第二次世界大戦によって、私たちはすべてを失いました。これが、戦争直後の私の住んでいる街の写真です。ご覧のように、私たちは、この戦争によって、家も、家族も、水道も、学校も、何もかもを失いました。

 第二次世界大戦の戦勝国は、戦争に負けた日本に対してペナルティーを求めました。しかし、サンフランシスコで行われた講和会議の中で、スリランカを代表してジャヤワルダナ大統領(当時は違うが)が、『憎しみは憎しみによって休息を得ることはない。慈愛によって休息を得る』というブッダの言葉を用いてスピーチをしました。そして、彼らは日本からのペナルティーを取りやめたのです。

 私たちは、このブッダの言葉どおり「憎しみ」や「復讐」にフォーカスせず、「未来」と「自分自身の努力」に眼を向けました。そして、この写真(ランドマークタワー前での記念写真)のように、見事に復興と発展を手にしたのです。

 みなさんも同じです。いま、皆さんは苦しい状況にあられると思います。しかし、日本と同じように、あなた方も憎しみや復讐に眼を向けず、未来や自分自身の努力にフォーカスしていただきたい。必ず、あなた方のこの地域、この国も、復興し、発展していくことでしょう。そうすれば、あなたの抱いている夢は実現すると信じます。

 その、あなたの努力や夢をサポートするアイデアをお伝えしたいと思います。私は仏教の僧侶です。そのアイデアをお伝えしたいと思います。

 日本はアジアの東の果てにあります。その日本は、いわばアジアの「孫」のような存在です。なぜなら、私たちの国はインドや中国の文化の影響を色濃く受けていて、その文化の産物として独自に発展してきたからです。いわば、インドやスリランカはお祖父ちゃん、中国はお父さん、日本は孫なんですね(少々単純化し過ぎているが、導入する意味で用いた表現)。

 ブッダは、インドで生まれました。ブッダはヒンドゥーの文化から生まれたのです。ヒンドゥーがなければブッダは登場しなかったかもしれません。ヒンドゥーが母、ブッダが息子といえます。息子が困っている親をサポートする、助けるのは当然のことだと思います。しかも、ブッダは息子たちの中でも、最も優秀な息子です。本当に、素晴らしい息子なのです。親を助ける、素晴らしい息子です。

 難しいことは申しません。ブッダは、未来に向けて努力する私たちに、尊いマントラを残してくださいました。このマントラは、ヒンドゥーの神々も尊敬して止まない、尊い、最もパワフルな、幸せの種が詰まった不思議な呪文です。もし、あなたが努力をし、成功を願っているのなら、このマントラを唱えてください。必ず、このマントラは、あなたを幸せに導いてくれるでしょう。そのパワーが、あなたを支えてゆくでしょう。

 この白板に、そのマントラを書いてみます。これです。「Namu Myo ho Ren ge Kyo」。タミル語でも書いてください。さあ、練習しましょう。「ナムミョウホウレンゲキョウ」「ナムミョウホウレンゲキョウ」。さて、この御本尊、ダルマカヤに向かって、一緒に唱えましょう。私は、ここで皆さまの幸せと成功を祈ります。一緒に、唱えてください。

 私たちの父や母も、祖父や祖母も、同じように苦しい戦争を体験しました。愛する人も失いました。生活の苦しみを味わいました。心に怒りや憎しみが湧き起こって当然です。しかし、私たちの両親や両祖父母は、そこに止まらなかった。そうしなかった。未来と、自分たちの努力にフォーカスしてくれた。そして、いま、幸せを手にしています。

 どうか、このことを忘れないでいただきたい。そして、その努力が報われるように、今日お教えしたマントラは、必ずあなたを幸福に導きます。パワーを与えてくれるでしょう。どうか、このマントラを唱えて、日々に努力していただきたい。必ず幸せが訪れます。

 以上のようなお話をさせていただいた。御題目の唱え方を練習し、予測不能の海外弘通の現場を想定して特に御染筆いただいた大御本尊をお掛けさせていただき、お看経の一座を奉修した。

 このHBSの支援活動に対して、スリランカ警察の代表者も絶賛してくださった。また、Naitaの関係者、現場の教師たちも大変に喜んでくれた。また、必ず、この地を訪れ、支援活動を継続していきたい。彼らが、憎しみや怒りのままに生きてゆかないように。もちろん、シンハラ人に対しても、ご信心を伝えてゆくことが欠かせない。継続した支援活動、弘通活動を行ってゆきたい。

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今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...