2007年10月12日金曜日

大津・佛立寺へ

 地域代表者会議、8日は朝から由緒寺院を巡るツアーを行った。出発時は予報通りの雨。傘の手配をしなければならないかと朝から慌てたが、松本海外部長の冷静な判断でOK。8時45分にホテルを出発して、大津佛立寺へと向かった。

 大津佛立寺。本門佛立宗の最初道場と言われる。そこには、つまり本門佛立宗のご弘通の原点があり、海外の方にとって資するところが多いはずとの理由で由緒寺院を巡ることとなったのだ。

 スリランカからの代表者にとって、特に最初道場である大津・佛立寺は興味深い訪問となると期待した。なぜなら、安政4年1月12日に開講された本門佛立講は、「お寺」を持っていなかった。集会所も持っていなかった。ただただ、ご信者方のお宅を「御講席」として解放・設置し、そのご信者宅を「ご弘通の道場」として全国へと広宣流布のご奉公を展開していった。それは、来日してからスリランカの方々が再三言っておられたように、「お寺の無いスリランカ」にとって、開導聖人時代のご弘通を再現・再確認し、どのように本門佛立宗の教講が寺院を建立したか、寺院を持つに至ったかを知る素晴らしい機会となるのであった。

 安政4年(1858)、ほんの数人でご弘通を開始した開導聖人。その時から3年後(1861)、大津中大谷俵屋・小野山勘兵衛宅に於いて、大々的に御門流繁栄の道場、法華堂を建立することになった。発願から一年足らずの文久2年(1862)4月、法華堂は落成し開導聖人の御宝前を御遷座するに至った。

 ここに、本門佛立宗は最初の道場、後の「お寺」を持つに至ったのであった。

 昨今、日本では自殺が増加の一途を辿っている。一年で30000人が自殺によって命を絶っている。実に一日に100名にも上ろうという人々が、静かに自ら命を絶っている恐ろしい状況である。ごく最近には、このインターネットを介して自殺者希望者を募り、お金を支払わせて女性を窒息死させたというおぞましい事件も起こった。本当に世も末、まさに末法だと思う。

 しかし、実はこの大津・佛立寺は「自殺」という恐ろしい人間感情をきかっけにして発足した。

 大津で商人として大成していた小野山勘兵衛氏は、難治の病に伏していたという。生きる希望を失い、病苦から逃れたい一心で自ら命を絶とうと思い至った。その様子を小野山邸に植木職人として入っていた高橋儀三郎氏が発見する。義三郎氏は勘兵衛氏を懇々と諭し、自殺を思い止まらせると共に京都の開導聖人らに連絡をし、お助行を開始していただいた。

 すると、あれほど何をしても治らなかった勘兵衛氏の病が快方に向かい、何も受け付けなかったのにも関わらず、御題目をお唱えした後には「お腹が空いた」と言えるほどになった。これほどの現証の御利益を目の当たりにして、心の底から小野山勘兵衛氏は随喜し、その有難さの余り、「人助けのために、ここに佛立講を立てていただきたい」と申し出られた。

 小野山氏の親戚でもあった御牧卯兵衛氏は、佛立信心に随喜し、所有していた茶園を御有志。ここに法華堂の建立を発願し、寺院建立の第一歩を踏み出した。明治12年(1879)10月28日、大津・法華堂は「佛立寺」と寺号公称したのであった。これが、「最初道場」といわれる由縁。

 お寺のないスリランカの方々にとって、これは大変重要なストーリーであった。資金的なことや政治的なことで「お寺」が建つのではないということ。苦しみ、悩み、生きる希望を失った人を、上行所伝の御題目をお伝えすることによって、苦悩する人の為のお助行と現証の御利益によって、本門佛立宗のお寺は建つのだ、ということを分かって下さったに違いない。

 また、スリランカの方々のみならず、全佛立信徒がこのことに改めて思いを馳せなければならない。「最初道場」の原点は「自殺」だったのだ。今の日本には「自殺」の問題が大きな影を落としている。そこに光明を与える使命を、私たちが負っているのではないか。自殺希望者を募ってお金を取り、殺人を犯すような者がいる現代に於いて、私たちこそ自殺を思い止まらせ、その人の心の闇に光を当てなければならない使命を担わなければならないのではないか。

 自殺は、「自分」に対する「殺人」に他ならない。変な言い方だが、自殺を希望する本人は「死」という選択をして「生きよう」と思っているのかもしれない。生きていることは死ぬことよりも苦しく辛いから、死んで生きようと思っている。しかし、それは「殺人」なのである。一人で乗り越えられないことも人生には多々あるが、上行所伝の御題目と同信の支えをいただいて生きなければならない。生きれるのだ。

 また、スリランカの方が感激した話がある。私が同時通訳をしていたので、御導師からのお話をどれだけ正確に伝えられたかは疑問だが、御導師からのお話があった後、彼らは「私たちスリランカの者にとって、このお話は大変に有難い。学ばせていただいた」という言葉があった。

 大津・佛立寺には、開導聖人が自らデザインされた「大燈籠」がある。この大燈籠は、京と地方を結ぶ重要な道路、東海道沿いにあったため、この大燈籠を灯すことによって道中の方々の光明となることと下種結縁を目指されたのだろう。

 御牧邸の裏に林甚太郎というご夫婦が住んでおられた。ご信者となったが家は極めて貧しく、身体も大変に弱く、5人の子どもを抱えて困窮しておられた。社会的な大変革の当時、大津も世情の混乱に巻き込まれていたのであろう、東海道を行き交う者にも変化があり、大燈籠は久しく明かりを灯されずにいた。本来、「常夜灯」というように、油を差し差しして、一晩灯し続けるのが通例であった。それが出来ずにいたのだった。

 それを知った林甚太郎氏は、家が貧しく、身体が弱いにも関わらず、毎晩の御有志を申し出て、毎夜毎夜この大燈籠に明かりを灯すようになった。
 あるご信者が彼に尋ね、提案した。

 「あなたばかり御有志しなくても、毎月交代で御有志やご奉公させてもらいたい」

 それを聞いた林甚太郎氏は、

 「あなたは貧乏でもなく、また身体も丈夫ですね。私は貧しい上に身体も弱いのです。きっと、それは過去の果報がないからでしょう。だから、今生で是非功徳を積ませていただきたいのです」

 と応えたという。そして、林氏は、また独りでそのご奉公をさせていただいた。この経緯を開導聖人にご報告してされたのは佛立第五世日風上人であるが、続けて、

 「此人、大いに達者に相成、又今日を送るに不思議に安楽に暮らせり。今迄は食わずにありし日も折々は有りし由、今はなし」

 と御利益をいただかれたことをご報告されている。開導聖人のこのことへの御指南に、

 「されば、我身を大事と思ひ給はん人は、御奉公を大事にし下ふべし。信行の功徳、御守りと申すものは、凡夫の欲深き了見とは裏上なる事、此の如きもの也」

 スリランカは貧しい国。しかし、だからこそ、さらに努力をし、功徳を積み、ご奉公をさせていただいて、罪障消滅・御利益感得してゆくことの大切さを、その励まし方、指導の仕方について、彼らは感激したに違いない。

雪菜ちゃんへ

 ブログを通じて雪菜ちゃんに呼びかけてみよう。ブラジルの今の時間は夕方の3時過ぎ。彼女はきっと一生懸命仕事をしているに違いない。

 海外に派遣される前、少しの期間だったが横浜に住んでおられ、毎日のようにお参詣してくださっていた。ブラジルに派遣されると聞いて驚いたが、彼女の志は非常に強く、単身ブラジルへと旅立ってしまった。

 時折、このブログにもコメントをくださっているのだが、そんな彼女の話題が思いも寄らないところで出た。

 9日の朝10時から、京都に於いてブラジルとのウェブ会議を行った。今回も議事内容は盛りだくさんで、スリランカや他国からのオブザーバーもいて非常に有意義なものとなった。宗務総長と海外部長が10月下旬から11月初旬にかけてブラジルに行かれ、ブラジル開教の祖、日水上人の御37回忌をお勤めになる。また、来年の3月30日には講有巡教。私も2月19日から3月10日まで(長ーい)ブラジル出張となるのだが、そうした内容の濃い打ち合わせを行っていた。

 白熱したやりとりの最後に、「何か、他のことであれば、仰って下さい」という「その他」の項目に入った。私の呼びかけに斉藤御導師が応えられた。

「はい。では、雪菜さんのことについて。雪菜さん、パラナ州(ごめん、合っているかな?)で、お教化をされて、一人でご弘通に励んで下さっています。本当に私たちは有難いと思っています」

と私に言って下さったのだ。もう、「どんだけー!」って言うくらい嬉しかった。まさか、この会議で雪菜ちゃんの名前を聞くなんて。それも、こんなに素晴らしい内容の。

「あぁ、頑張っているんだ。大丈夫なんだ」

と胸を撫で下ろした。うれしい、もーれつに嬉しかった。「もう、拝むー!」

 遠いブラジルに渡り、現地の子どもたちを励まし、サポートしている雪菜ちゃん。そんな中で、人との絆を作りつつ、同時に御題目をお伝えしている。本当に有難いです。ブラジルの教区長である斉藤御導師がそれ認め、この会議で仰って下さったことも有難い。何重もの喜びだ。

 ありがとう。
 健康に気をつけて、頑張るんだぞ、雪菜ちゃん。

「仏教です」

 多くの示唆を与えてくれていると書いた「先生のブログ」だが、その中に大好きな記事がある。
 それは、政治的行動の正しさと宗教的選択の正しさは一致させるべきだと思う、ということなどが書かれている部分なのだが、そこに「佛立宗のご信心をしている」ということに関しての面白い記述がある。
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 無宗教もよくない。本門佛立宗は、いわゆる何とか派というようなセクトではないようで、おそらく日蓮宗とも言わないんじゃないでしょうか(市販の仏教解説書には、日蓮宗の一派と分類されている)。
 お寺の中で、「うちは日蓮宗の1つです」という説明を一度も聞いたことがない。日蓮大聖人をお祖師様と仰ぎますが、日蓮聖人の本意は仏様をたてまつるということですから、われわれはそのお考えに従って、仏を立てる宗という名前になっておるそうです。
 これって、ようするに、「お宅の宗派の名前は何ですか」と聞かれて、「仏教です」と答えているのと、ほとんど同じように思います。本門佛立宗とは、何とか宗の何とか派ではなくて、ようするに「仏教」なんでしょうね。スタンダードな仏教を目指しているので、海外の大きな仏教者国際会議でも、大受けのようです。本門佛立宗にはいるということは、別にあるセクトにはいるということではなくて、正しい仏教の道にはいるということなんでしょうね。
 政治的に正しい選択をされている方は(どの政党が正しいか、というような狭い意味ではなく)、宗教の選択もあやまらないことを、祈っております。
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 こうした記述を、ぜひ多くの方々に読んでいただきたい。きっと、寂光から開導聖人が「そう、そのとおりだ!」と仰っておられるような気がする。私にも、一般的な意味での「宗派感覚」は無い。「仏教そのもの」という意識でご奉公させていただいている。それは同時に開導聖人の御意であり、教えだと思う。
 名は体を表す。「本門佛立」という信仰は、数千、数万に分かれた仏教の中の一派、セクトではない。開導聖人が「久遠に佛立講あり」と御聖教に御書添されたことからも感得できるが、「仏教そのもの」の普遍的な教えをいただくのが私たち。だからこそ、ブラジルでは看板の横にはいつも「Buddhismo Primordial(Primordial Buddism=「本源の仏教」「原初の仏教」)」と書いてある。
 ありがたい。

2007年10月11日木曜日

ご弘通に奇策はない

 スリランカからのお客さま、アベイ氏とガマゲ氏は本日無事に帰国の途についた。わずか10日間だったが、内容の濃い旅になったと思う。彼らにとっても、そして私たちにとっても。
 今日も10時30分から御講が奉修されたのだが、ご供養の席での話題はスリランカから来てくださった二人のことに終始した。それほど何らかの強烈なインパクトを与えてくれたということである。またご弘通のエネルギーをいただいた。有難いことだ。
 先生のブログにもスリランカのお客さまから感じたことについて書かれていた。まさに「傑作」の記事で感心して読ませていただいた。さすが先生、要所要所を捉えてくださっている。是非、先生のスリランカ信徒の来日記事、「普通さに感動/ODAよりもお題目」を読んでいただきたいと思う。下記に、一応ここでも紹介させていただこう。
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『普通さに感動/ODAよりもお題目』
 ガマゲさんとアベイさんから得た刺激については、またあとで時間があれば、ブログに書きたいと思ってますが、とにかく、正攻法というか、王道というか、奇妙な手一切なしですよねえ。本当に、普通に、お題目をすすめるというまっすぐな方法で、しかも途上国の悪条件と、上座部(テラワダ)仏教が 強いという悪条件の中で、地道に1000戸にのぼるお教化とその後のフォローをされているのだとわかりました。
 1000戸というから、なんかウルトラCでもあるんやろかと思ったところが、私の情けない凡愚のところ。ウルトラCはなかった。ひとりひとり、困っている人に親身に相談にのってあげて、お題目をすすめる。ひたすら、それをされているんですね。
 ふたりのうちのお一人は、スリランカ政府の要職、権力の中枢部におられるといってもよい。いわば高級官僚だ。個人情報だし詳細は控えるが。その方が、山をこえ、谷をこえ、寒村のお金のない人の家へいって、相談にのってあげて、御題目でエンパワーメントをされている。国際開発賞(そんなのないか)とか、ノーベル平和賞とかに値すると思う。日本の高級官僚は、むろん、なかには謙虚でまじめで他人思いの人もいるが、全体はどうか。ちょっと、彼のツメの垢を飲んだほうがいいかもしれないと思いつつ、まずは自分から、みならわないかんなあと思った。
 とにかく、パッションは強いが、とはいえ伝達してくれた秘訣は、ごくごく普通のことだった。「困っている人が、何に困っているのか、よく理解してあげること。親身になってあげること。そして御題目口唱をすすめること」。
 日本は、「巨額のお布施をせよ」「この不思議パワーの○○を買いましょう」とか、奇妙な宗団によるやばい勧誘が多い。なにも下劣なグループと比較することはないか。とにかく、スリランカ佛立宗の信徒さんのご弘通の秘訣の、その普通さに、感動した。
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 先生は、この他にも本当に素晴らしい記事を書いてくださっている。私は、「仏教ルネサンス」という発想や「社会行動仏教」について先生から学ばせていただいてきた。先生もブログで書いている本を求めて、読ませていただきながら、それらについて深く知るようになった。
 同時に、スリランカでご奉公させていただいて以来、上座部仏教と近代に於ける仏教の展開、そしてアヌラダープラ(英語:Anuradhapura)やアヤバギリ・ダゴバ(Abhayagiri Dagoba)について勉強する機会にも恵まれた。スリランカが大乗仏教の国であったことなど、誰が想像できようか。
 また、ミャンマーの不幸な政治情勢と、それに関する彼の地の上座部仏教界についても学ぶ機会に恵まれた。スリランカでも上座部の僧侶は政治的な役割を担っている。公務員と言っても過言ではない。宗教と政治が結合した国の在り方について考えねばならぬ。僧侶が社会で重用されるということは、どのような意味を持ち、どのようなプラスとマイナスをもたらすか。立正安国論の行き着く先が、政教一致か、そうではないのか。上座部仏教国から多くの示唆を得ることが出来る。
 何度か書いてきたが、私は、ブッダとお祖師さまがされていない以上、僧伽たる宗教団体が政治団体を持つことに否定的だ。僧侶等が公務員化して政治的な活動に終始するのは如何か。もちろん、一般的には高祖が為されたような御仏の教えに基づく「折伏(立正安国論上奏)」と僧侶の政治的な活動の線引きは難しいだろう。しかし、この点について深く洞察し、答えを求めていくことも必要だと思う。恐ろしい事態がもたらされる前に、今一度私たちからお祖師さまの見解を世に表したい。
 最近までミャンマーの仏教界が軍事政権と友好関係を持っていたことも書いておかなければならないだろう。政治と宗教、貧困とテロ、環境保護と経済援助など、課題は多いが先生の見解や指導は、私にとって欠かせない示唆であり、私たちのご信心を見事に映し出してくださっていると感じる。
 次の記事には、一つの「エンパワーメント」として私たちのご信心の在り方、常日頃から実践させていただいていることの「意義」を教えてくださっている。「福岡日雙御導師の本から」と題された記事を是非読んでいただきたい。また、ここにも載せさせていただく。
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「福岡日雙御導師の本から」
 福岡日雙御導師(神戸の香風寺の御住職、現在、佛立専門学校校長)のご本を拝見していて、うっとくる一節があった。あまりに感動したので、両親に送ってしまい、詳細を確認できなくなってしまった。うらおぼえの内容で恐縮ですが、書きます。
 むかし、むかし、東京のほうのあるえらい御住職=御教務(僧侶のこと)で、のちに佛立宗のご講有(佛立宗の宗門のトップ)になられた方のお弟子二人が、東京都内の貧民窟にご助行(困っている人を助けるためにお祈りつまりお題目の口唱をすること)におでかけになった。ある最貧の家で、ご供養(現物のお布施)を出されたが、蝿(はえ)がたかったまんじゅうかおにぎりのようなものだった。汚いので、辞退した。次の家では、ご供養はでなかった。結局何も食べず、空腹でお寺にもどると、下痢になった。ひどい下痢のようすに、おかしいと感じた御住職は子細を知られた。そして二人の弟子をおしかりになり(佛立宗とか日蓮宗一般では御折伏、おしゃくふく、という)、二人の弟子はご宝前(いわゆるお寺の本堂)で懺悔された。そしたら、下痢は治癒した。
 別の日に、御住職ご本人が貧民窟にでかけられた。ある家は、またまた貧しくて、お布施もご供養もなかった。そこで、何でもいいから、お布施しなさいと、御住職はおっしゃった。 家人は、しかしなにもないと、辞退した。それでも御住職は、なんでもいいから、お布施しなさいとおっしゃったので、家人は前の晩の食べ残しを出された。汚いものだったろう。御住職はそれを喜んで受け取り、食された。
 どういう気持ちで、残飯をお食べになったのだろうか?わたしのような凡人信徒と、同じ尺度ではかってはいけないだろうが、貧民窟で残飯食うなんて、よっぽど決定(けつじょう)してないとできないよなあ。腹がすわってないと。すごい深い愛情がないと。おそらく、この家の人は、自分のような貧しい人間でもお寺にお布施ができたことが、喜びとなり、勇気づけられたことと思う。これこそ、エンパワーメントだと思った。-------- 逆転の発想だ。否定の哲学ともいえるでしょうか。
 普通、最貧の人に対しては、お金でも、モノでも、「なにか差し上げよう」「支援しよう」「施そう」という発想になる。ODAだって、そうだ。基本的に、あげましょう、という発想だ。その最貧の人にたいして、「何でもいいから、出しなさい」とは、すごい発想!残飯でもいいから、出しなさいとは!しかもそれを、いやがらず、ありがたく食されるとは。エンパワーメントとはそういうことかと思った。
 開発経済学が最近ようやく気づきはじめたエンパワーメントを、ずっと昔に、佛立宗は実行しているのである。佛立宗の坊さんはえらい!やっぱ。負けるー。「人間学」をきわめつくしてるなあ。口唱行にしても、お布施にしても、ご供養にしても、二千数百年、考え抜いて開発されて歴史にためされて残った、究極のエンパワーメント手法だ。宗教という概念で、くくる必要すらない。人間開発の究極の手法が、佛立宗のご信心じゃないでしょうか。かつ、思想とか東洋哲学じゃなくて、実践しているところが、一番すごい。
 補足:これに近い話に、ブラジルの土地無し農民の運動がある。ブラジルの最貧層が飢餓とたたかうために団結していて、200万人が加盟している。各地域支部は、さらに最小単位として班にわかれる。班長を決めるさいに、かならず順番で決めて、かならずまわってくる。すると、すごい頼りない、能力が劣る人も、班長になることがある。それがいいらしい。「え、おれでも班長できるの?自信ない。でもやってみよう」と、これがエンパワーメントになる。まわりも、「あいつは、頼りないから、班長無理だ」とは、しない。頼りない人にこそ、班長をさせるのである。
 これは非宗教的な方法だが、宗教的であれ、非宗教的であれ、正しい方法には普遍性がある。佛立宗の御信心には、普遍性のたかい人間開発の方法論が凝縮されているのではないだろうか。これを広めることは、何も佛立宗をのばそうとういことではなくて、人類の救済のために、良いことなのだ。
 むろん、他派にも、「俺たちは正しい。俺たちが広まることは、人類の救済だ」といって、布教活動を熱心にしているところもある。佛立宗と、他派の違いは、他派は、政治パワーや暴力(ブッシュさん)やマスメディアや自前の出版社をがんがんつかって、広めている。佛立宗は、ひたすら、人から人へ、困った人の相談にのってあげて口唱行をすすめるという、まあいえば、チンタラチンタラ(ちょっと下品?)、コツコツと、口コミで弘通活動(布教のこと)をやってるわけだ。ジェット機の時代に馬車を使ってるみたいな、そのまじめさが、ほんものの宗教の証左である。
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 以上、転載させていただいて申し訳ないが、余りにも素晴らしいので掲載させていただいた。何より、先生が感じたことと同じことを私も感じ、京都でのインターナショナル・ミーティングでも参加者にお話しした。それは、「ご弘通に奇策はない」ということである。本当にそのとおりである。
 このような方々に囲まれている私は、世界一幸せな住職であるということを書きたかっただけであった(笑)。

京都

 このご奉公の期間、京都に戻っていた。「戻っていた」というのは、長松家のしきたりのようなもので、麩屋町の長松寺を出る時には「行ってきます」、入ったときには「ただいま」と言わねばならない。「言わねばならない」というほど大層なことではないと思っているが、それでも古くからのことなので私のような者でも守らなければならないと思っている。また、もっと言えば、「守る」ということの意味を噛みしめている。
 実は、私は京都が嫌いだった。自分自身京都生まれだし、父は京都を心から愛していたし、多くの人が京都を愛してくれていると思うのだが、長い間、京都は嫌いだった。色々な理由があるが、今日は書かない。
 しかし、先月末から今月の初旬にかけて、京都でご奉公させていただきながら、自分も父のように京都を愛せるかもしれないと思うようになった。

スリランカとの交流ご奉公

 2日の月始総講終了後、境内地に於いて交流会が催された。神奈川布教区の方々にもお声をお掛けしていたので、嬉しいことに他寺院からの参加してくださっていた。特に、本立寺からスペイン系フィリピン人の方もお参詣くださり、嬉しかった。英語が堪能で、少しでも交流していただければ、また彼女もご信心が増進するし、横浜に強力な英語力を身につけた菩薩が誕生することにもなるし。

 この交流会の企画も、住職の出番無し。みんなで考えてくださっていた。妙深寺名物のシノさんのヤキソバが出て、婦人会さんが美味しいご供養を作ってくださり、本当に暖かい交流会。雨が心配されていたが、みんな全く心配しない(心配しているの僕だけ?)。素晴らしい交流会となった。

 シノさんの指導の下、アベイ氏とガマゲ氏にヤキソバを作っていただき、それを参加者に振る舞うという趣向もあった。「でも、ヤキソバって日本の料理?中華ちゃう?」と思ったが、「でも、そんなの関係ねー」という勢いで盛り上がっていた。

 通訳を交えての質疑応答も行われた。憲史くんが通訳してくれていた。ありがとう、憲史くん。しかし、憲史くんは通訳が下手(笑)。途中で僕に交代。だって、もっと熱く語ってよー、と思うんだもん。しかも、発音に微妙なズレがあるから、「Faith」=「ご信心」というのを「face」=「顔」とか訳しちゃって。もー、頼むよー、お前さー、アメリカに9年もいたのにこれかよー、って言ってました(笑)。

 それにしても、こんなに英語のしゃべれる人たちが集まるのはすごい。有難い。憲史くん、本当に有難う。武田さんも、毎日毎日ご奉公してくださり、感謝感謝。私の母も、ご奉公が終わって、10時を過ぎているのに武田さんが後片付けのご奉公をしてくださっていたということで、その言葉をチノブから聞いて感激していた。私は京都いたのだが、電話で母から聞いて本当に有難いと思った。

 また、こうしたご奉公の後はメールが飛び交う。奥山さんの「ご奉公御礼」の熱いメールから始まって、「ありがとう」「ありがとう」のメールが続く。本当に嬉しいし、僕は世界一幸せな住職だと思った。こんなに頼りになる方々が出てきてくれて。ここ数年間のことを振り返っていた。本当に、これだけのサポーターというか、頼りになる方々が出てきてくださるとは思わなかった。世界一幸せです(涙)。

 そして、交流会を含めて、すぐさまご奉公してくださったのが黒崎さん。広報部長として写真を加工し、スリランカの方々へも、妙深寺の掲示にも、すぐさま張り出して「広報」してくださった。それが、小さくて見えにくいかも知れないが、ここに載せた写真。本当はもっとデータが大きくて、綺麗なんです。特に、3日の夜に開催された交流会では、グループ・ディスカッションのようなものが行われ、真剣な話し合いになったという。アベイ氏から「はい、この中で5人以上、お教化したことのある人?」と聞かれ、みんなシーン。「じゃあ、4人?」、シーン。「じゃあ、3人」、パラパラ。ということだったらしい。

 私は参加していなかったので伝え聞いたところしか分からないが、それでもスゴイ盛況だったと聞いた。みんなが感動できた。有難い。ご奉公者のみなさま、本当にありがとうございます。

ようこそ、妙深寺へ

 私には英語力が無い。少なくとも、本人はそう自覚しているし、そう思ってご奉公している。

 世界各国から本門佛立宗の地域代表者が参集して、10日までのプログラムを各地で行った。このような機会は宗門にとっては初めての試みということで、新たなご弘通の1ページを刻み、そしてエポック・メイキングな現場に立ち会えたことを嬉しく思っていた。

 1日、スリランカのアベイ氏とガマゲ氏は日本に到着し、妙深寺にもお参詣された。今回の妙深寺滞在中については、新設された事務局の各部門、海外部などが垣根を越えてご奉公を企画してくださり、本当に私の出る幕など無く頑張ってくださった。1日~4日まで、スリランカの方々は妙深寺に滞在し、ご奉公してくれた。

 有難いことに、妙深寺には通訳が出来る人が4名以上もいてくださる。海外部の部長である山崎先生をはじめ、武田さんや憲史くんは仕事の合間を縫って(いや、ほとんど仕事もしないで)通訳のご奉公をしてくださった。これは、お年を召したご信者の皆さまでも海外の方と交流していただけるようにという配慮からである。また、山崎先生が「同時通訳キット」を持ってきてくださり、彼らが耳にイヤホンを付けただけで御法門やスピーチを英語で聞けるようにしていた(これは、通訳をするものが小さな機械に向かって話をすると2本のケーブルを通じてイヤホンから聴けるようになっている)。

 1日の夕方、彼らは日本に到着し、清康師と清顕師が成田まで迎えに出た。夕方、妙深寺に到着し、そのまま一座のお看経、御礼を言上した。お看経の後、予定には無かったが彼らから感激の短いスピーチをいただいた。次の日にも言っておられたが、妙深寺の本堂、本当に素晴らしい、涙が出た、と。有難い、本当に有難い。

 2日には月始総講。スリランカの方々は、当初の予定では3日来日だった。しかし、チケットの都合なので1日の来日となってしまった。妙深寺では、教務部や幹部の方々の提案もあり、通常は1日に奉修される月始総講を2日に変更した。そこが妙深寺の有難いところだと思うのだが、非常にアクティブで、軽快。「良いことであったら、そうしましょう」という雰囲気がある。前向きに捉える。

 時間のない中での変更、平日ということもあったが、2日の月始総講には朝早くから200名を超すお参詣者があり、彼らを暖かく迎えてくださった。そこで彼らからスピーチをいただいた。何度も打ち合わせをしていて、分かっていたつもりだが、安心しすぎていた。私は、これだけ通訳の方がいるから、僕の出番はないと勘違いしていたのだ。本堂の後ろで彼らのスピーチをゆっくり聞こうと思っていたのだけれど、スピーチが始まると「ごじゅーしょくしょく、ご住職!」と呼ばれた。なんと、私が通訳をすることになっていたのだった。

 英語の堪能な人たちの前で同時通訳するのは気が引ける。あ~、イヤ。そう思いながらも、ど根性で何とか。いや、何とかならなかったかなぁ。しかし、素晴らしい内容で誰もが感激したはず。海外の方々は、いつも言っているように私たちの心を映す鏡。本門佛立宗のご信心が、どれだけ尊いものかを映してくださる鏡。スピーチをお聞きし、通訳しつつ、それを強く感じた。私がスリランカに行っていても教えてくれなかったことを言うんだもん。ドキドキしながら通訳したよ。でも、そのお話が実に感動的だった。ありがたい。

 いつも感じることの一つに、特にスリランカの方々は「ブッダと近い」と感じる。というのは、距離的なことではなくて、感覚的なものとして「ブッダに近いんだなぁ」と思えるのだ。私たちにとっては、「御題目を唱えるということは、ブッダの慈悲や御力をいただくことです」「ブッダのスピリットとシンクロすることなんです」と聞いてもなかなかピンと来ない。そうではないだろうか。ところが、彼らにとってブッダは非常に身近な存在であり、御題目をお唱えする姿を見ていても、何かが違う。本当に御題目をお唱えすると言うことがどういうことなのか、彼らの姿勢、気持ちから感じられる。

 アベイ氏と話をしていたのだが、お教化についてもそうだ。お教化をする際、様々な問題が起こる。それはスリランカとて一緒だ。家族の反対もあり、無神論者の意見、無宗教者の意見、さまざまなことがある。何より「怨嫉」があって、ご信心をしようとする本人が迷うこともある。それをアベイ氏と話していた。

 私がカタラガマに行った時、ご信心をはじめようとした女性に、次々に悪いことが起こった。本人にとっては悪い「サイン」のようなものだ。「変な宗教だから、止めた方がいいんじゃないか」と思うのも無理はない。しかも、前日には足を切ってしまった。その女性の話をしていた。

 アベイ氏は、私に言った。「長松御導師、こうしたことが起こるのは当たり前のことですよね。ブッダも覚りを開かれる前には、様々な怨嫉、誘惑、障害がありました。それは痛みや葛藤を促します。最後には大蛇まで出てきて、ブッダの前に立ちはだかった。しかし、ブッダはそこで前に進まれたから、覚りに至ったのです。私は、そのことを思い出してくださいと話します。ここで負けてはいけない、躊躇してはいけない」と。ブッダが近い。私は、こうした話をお聞きしていると、分かっているつもりだったことが次々に心の奥底まで入ってくるような思いになる。

 私は3日から京都に入ったが、その後も彼らは夜の歓迎会から朝のお看経、お助行の導師、各ご信者宅でのお助行と精力的にご奉公してくださった。特に、朝参詣終了後のお助行では、連日「導師役」を勤めていただいた。これも妙深寺の強さの一つ。導師役だから、スリランカの方々はシンハラ語で言上される。病気の方、苦しんでおられる方の名前をローマ字で書かせていただき、その部分が言上されるとお助行に参加している方々は「自分のことを言上してくださっている」と気づく。そして、お看経。ありがたいことだ。こうして本当の交流が出来てゆく。

 彼らは4日に妙深寺を離れ名古屋へと向かった。名古屋でも同様に素晴らしい交流が行われ、5日に長松寺にお参詣、宿泊。6日から宗門の公式行事へと突入した。

シン・Science meets Buddhism

  京都文化会議 2026を終えて、今日は京都から横浜、横浜から京都へ往復してきました。とにかく素晴らしい会議でした。世界の課題を共有し、それぞれのバックグラウンドから専門性の高い議論が交わされました。 Leave this world a little better than ...