2009年3月31日火曜日

おともだち

 春休み。長男が京都に滞在していた間、真優ちゃんと仲良く遊んでいた(いや、仲良くというか、ファイトしてる姿も見たが)。
 真優ちゃんは、長男より1才年上だけど、よく面倒をみてくれるし、かわいい。久しぶりに会った時、長男が真優ちゃんに向かって、「オレに会いたかったんだろ」と言ったとか(汗)。なんて自意識過剰な、傲慢なコメント。将来がコワイわ。「俺さま」やん。「オレに会いたかったんだろ」って。
 そう言われてすかさず、「何を言ってるんだか…」と応えてくれた真優ちゃんは大人。ありがたい。 仲良くしていただいて、本当にすいません。
 京都にいる間は、長松寺で淳慧師や博ちゃん、清翔師にお世話になった。とことん、お世話になった。真優ちゃんと一緒に映画村にも連れて行ってもらったようで、ほんま、申し訳ない。お化け屋敷に入ったことを、横浜に帰ってからも話してる。よほど怖かったんだろうな。長男は真優ちゃんにつかまり、真優ちゃんが博ちゃんにつかまり、えらい騒ぎだったようで。いい思い出になったらよかった。
 人間が大人になるためには、人生の登場人物を増やしていくしかない。「関係ある人」が増えていくことで「社会化」が行われる。いま、長男は6才で、この7月で7才になるから、医学的にもテストステロンがムチャクチャ出てきて、最初の反抗期のようなものを迎えてるんだろうし。この時期に、大切な友だち、貴重な経験を得て、彼の人生に登場人物が増えていってくれることがありがたい。
 いい春休みになったようだ。真優ちゃん、本当にありがとう。

2009年3月30日月曜日

点検と修理

 今日は、朝から病院。自分の病院。珍しい。
 誕生日も過ぎたことだし、この辺で車の車検のように点検と修理が必要だと思って病院へ。瓜生さんにお願いして何度か検査を受けたことのある病院なので気持ちは楽だ。病室の窓から富士山が見えた。気を落ち着かせて、検査、検査。
 口からも、おしりからも(汗)、内視鏡で検査。うわー、いやだ、くるしー。でも、やっておかないといけない。これも車と同じ。日頃むちゃくちゃな使い方をしているんだから。本当は、丁寧に丁寧に、今回の身体は長く使うんだ、御法さまのために使うんだからと、養生していかないといかんのか。あ~、性に合わないが、仕方ない。何かあったらたくさんの人に迷惑をかける。だから、チェック。
 やはり、友人の死も頭に浮かんだ。40を前にして逝ってしまったのだから。病室のベッドの上で天井を眺めながら、「アイツは、どんな気持ちで病室の天井を見ていたんだろう」と思った。病気になった者にしか分からない、「病室の天井」の意味があると思う。元気な奴には分からない。
 検査結果は3週間くらいかかるらしい。なんとか、大丈夫だったらいいな。治療も続けていかないと。忙しいからって、放っておいたらいけない。あかんな。

2009年3月29日日曜日

Bose's Barのポストカード

 清従師がボーズ・バーのポストカードを作ってくれていた。帰ってきたら、きれいなカードが机の上に。

 たしかに、なにせ月に一度だから、今までも日程のお知らせなどが上手にいかなくて、参加者にご迷惑をかけてきた。このカードが出来たことで、お誘いしやすくなるし、お知らせもしやすくなる。

 昨日のバーを考えても、ご信心をされていない方とお会いしてお話が出来るのは、本当に貴重な機会。妙深寺が三ツ沢上町駅に出している掲示板にも書いてあるが「信頼できるお寺に出逢えると、人生にいい事がたくさん見えてきます」だから、参加してくださる方にも「へー、こんなお寺があるのかぁ」と思っていただいて、できたら本当の、生きた仏教、ご信心の尊さにも気づいていただきたい。お迎えする私たちも、自分の信仰について語る機会を得て勉強になる。菩薩行の実践が出来る。「知ること」と「伝えること」は全く違うチャンネル。「伝える」ということを学べる機会だから、ありがたい。

 ご信心を、知的好奇心を満たすものだけにしてはいけない。自分の中、自分の家族の中、いつものメンバー、いつもの人とだけで、それが佛立信心だと思っていてはいけない。このご信心は不思議なもので、菩薩行している中で本当の素晴らしさを実感する。それはまるで化学反応のように、御題目と自分の信心が、ご信心していない方や悩んでおられる方の心と交差する時に、大きな何かを生みだし、何かを感じさせてくれる。圧倒的な現証の御利益が顕れるから。これを、実感していただきたい。

 よかった。このポストカードを活用して欲しい。

まだまだ、これから

 妙深寺の桜は、まだ二分咲きくらい。まだまだ、これから。
 ソメイヨシノの寿命は、もって50~60年と言われているが、何としても大切に守っていきたい。昨日の新聞にも出ていたが、昔は「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われたが、ソメイヨシノに限っては悪いところを丁寧に切って手入れするのが長寿のために欠かせないという。そういえば、先住は竹ぼうきのようになった箇所を毎年丁寧に切っておられた。これからも、土の手入れや枝の手入れをしていかないと。
 昨夜のバーは、すごかったなぁ。補講に引き続き、ガラスの間に移動して月に一度のボーズ・バーを開催したのだが、神奈川新聞を見て来られた方をはじめとして約10名の方々が妙深寺をはじめて訪問したという方。全員にご挨拶させていただき、お話をお聞きできてよかった。素晴らしい縁だ。こうした出会いを大切にしたい。
 27日付けの神奈川新聞にも町内観桜会が写真付きで紹介された。ありがたい(涙)。「妙深寺さくらまつり」と題して載せられた記事は、また多くの出会いを運んできてくれるかな。昨日の方々も、また訪れてくれるとのこと。ちょうど一週間後の4月4日、夜には境内地が400名前後の方々で埋め尽くされる。いまの桜の状態を見ていると、やはりちょうど満開だろう。素晴らしい夜になると思う。
 今日、日曜日は準備ご奉公。たくさんの方々が集まってくださって、境内地のライトアップや飾り付けをしてくださっている。まさに、これから一週間、妙深寺は「桜ウィーク」になる。
 天気予報では、1日が「春の嵐」らしい。でも、この程度の咲き方ならば花びらが散ることもないだろう。大丈夫。横浜名物、「本化桜」はしっかりとご奉公してくれる。多くのお参詣者を喜ばせてくれるだろう。

2009年3月27日金曜日

教務も教化せよ

 開導聖人御指南
「教導職といふ名ばかりにて、終(つい)に、一人も教化・折伏したことなきは、三宝の御前にて、あけくれ、さんげして、必必、在家の人をかろんずる事なかれ」
 教務になるために必須。一人も教化したことの無い者が教務というは笑止と。教務は教化せずとも良し、教化させんとするのみとの言もあるが、さにあらず。教務に父母があり、友人もあり。教化せよ。
 教化したことがないという教務は、本当の教務ではない。それでは教務のご奉公など勤まらない。必ず、上辺の、ニセ者のご奉公となる。現証も顕れない。
 教化せよ。教化してない者は恥じよ。恥じ入れ。
 頑張ろう。ガンバレ。

2009年3月26日木曜日

人間を諦めない

 今日は佛立研究所・佛立教育専門学校の研究発表大会。
 特別講演として『学ぶ楽しさ、素晴らしさ- 夜間学校での出会いや学びから -』と題して、東京都墨田区立文化中学校・夜間学級嘱託 見城慶和先生にお話をいただいた。講演後、涙を流して感動したと言っておられた御導師がおられ、講演の内容は戦中・戦後を通して先生が如何に教育者を目指されたのか、夜間学校とは何か、夜間学校で出会った生徒たちとのふれあい、そこで感じられた人間の可能性についてお話をくださった。
 人間は変われる。人間への信頼。人間への飽くなき働きかけ、それこそ『教育』だと。人間を諦めないこと。人間を諦めなければ、人間への機会、人間への働きかけに動き出せる。人間は、絶対に変われるのだと。人間の愚かな面に戸惑うこともあるが、それでも、いつか人は分かってくれるはずだ、と。そうだなぁ、と学ばせていただいた。
 こちらが諦めてどうする。こちらは、永遠に、人間を諦めずに、働きかける、接していく、教えていく、待っている、共に動き、共に考えていく。それこそ、真の仏道、菩薩行に通じる。
 一人が変われば世界が変わる。諦めたら何も生み出せない。投げ出してしまったら、何も生み出さない。変な期待ではダメ。期待が強すぎれば見返りを求める。向き合う姿勢を変えなければならない。相手へ、精一杯の働きかけをし続けること。気持ちが通じないこともある。逆に暴走し始めることもある。期待を裏切り、気持ちを踏みにじることもある。しかし、こちらが最大限の努力を払うということ以外に、何の道があるというのか。逆に、相手を恨むか。世を恨めばいいのか。投げだし、傷つければいいのか。いや、違う。それは、自分がもっと不幸になる道。人間であることを諦めずに、働きかけを続けていくしかないのではないか。
 万物の霊長といわれる人間には、無限の可能性があると同時に悪魔のような愚かさがある。人間は、菩薩にもなれるが、鬼にもなる。素晴らしく、おそろしい。その内にある善なるものを信じて、そこに種を植え、そこを耕し、発芽させ、諦めずに、働きかけを続けていく。
 そして、働きかけを続ける自分自身も、愚かな、恐ろしい面を持っている。自分だけが正しいことなどない。自分も、そこで学ぶ。学ばなければならない。誰かに、教えていただかなければならない。誰かに、働きかけていただかなければならない。
 御宝前のある家。ご信心のある人。人間を諦めないで。自分を諦めないで。

2009年3月25日水曜日

生きてゆく先

 生きて行く先。生きる目標。何を見て、何を目指して生きているか。何を楽しみにして、何を目標にして生きているか。
 とても大切なことだと思う。パチンコが好きな人は、パチンコをすること、パチンコで勝つことをいつも考えているんだろうなぁと、パチンコ屋さんの前を通る度に思う。実は、私はパチンコが苦手というか嫌い。なぜ、イスに座ったままで、小さな玉を目で追いかけて、それで毎日のように時間を過ごすのかが分からない。麻雀やトランプ、競馬や競輪などの賭け事も苦手。というか、ムチャクチャ下手くそで、友だちと一緒にやったことがあるが、全く心惹かれることがなかった。それでも、それを楽しみにして生きている人もいる。それでもいいとは思う。自分が全て正しいとは言いたくない。
 しかし、明らかに身体に悪い生き方が好きだという人に対してお医者さんがそんな生き方をしていたら身体を害します、改めた方がいいですよとアドバイスするように、御仏は人間の生き方、生きる方向について、進むべき方向を示されていると思う。それが、正しい法を信じて、正しい法をもって他の人をも明るく照らしていく生き方だと思う。
 他の人の不幸を自分の痛みにしたり、他の人の幸せを願うことに生き甲斐を感じることが出来るようになったら、どれほど素晴らしいだろう。それが、自分の愛していた趣味や何かよりも価値のあることだと思って、朝から晩まで考え、行えるようになったら、どんなに素晴らしいだろう。
 家庭内の問題に悩んでいる。そうしたことも、自分があることに執着し、心を焦がされているからだと思う。それを、理屈や理論で変えようと思ったり、方向を変えたりすることは難しい。しかし、御宝前に向かって御題目をお唱えする。自分の思いや願いを御宝前にご祈願する。その中で、生きていく先が変わっていくと感じる。欲望をなくせ、それを止めろ、というのではない。御宝前に向かうことで、御法さまからのサイン、心の圧倒的な変化、現前に顕れる御利益を感得する。
 私は世界一のお金持ちになりたい。ミス・コンテストでグランプリになりたい。それがダメな目標だとは言わない。しかし、その先になにがあるか。御宝前に向かっている中で、それが自分自身で分かるようになる。教えていただける。何より、御法さまのお導きに接することができる。
 アクションもなく、心を焦がしているだけだと、欲しいもの、願っているものから遠ざかる行動をしてしまうのが人間だ。たとえば、この人の心を取り戻したい、と思っても、逆の行動をする。息子の気持ちを何とかしたい、妻の気持ちを、あるいは夫の気持ちを何とかしたい、と思っても、顔はギスギス、言い方はトゲトゲ、態度はボロボロ。そんなことではまたダメになると分かっていても、できない。
 そういう悪循環から抜け出させてもらえるのがお看経。生きていく先が見える。なぜ、そう思っているの?どうしたいの?どうしたらいいと思うの?自分の顔を鏡に映してみて。どんな顔をしているか。それでは人に愛されない。それでは夢は叶わない。
 人間に生まれた以上、人間として最高の生き方、命の使い方をしたいな。自分にしか分からない問題を乗り越えながら、御利益をいただいて、自分の生きていく先、生きるべき道を見つけて欲しいと思う。それが見えたら、何より幸せだと思う。
 そのために、御題目をお唱えしてほしい。御題目を欠かさないでほしい。言葉が足りないかも知れないが、そこから離れてはだめだから。お看経の味わいを知って。

時代の兆し@横浜ラグーン

  9月16日は「オゾン層保護のための国際デー」、横浜ラグーンを放送させていただき、ネパールでの大災害を含めて気候危機、環境問題についてお話させていただきました。 天変地異が相次ぐ世界、国際政治も危機的な状況を迎えています。きっと、もう平和な時代は終わりを告げていて、戦国時代のよ...