2009年3月25日水曜日

生きてゆく先

 生きて行く先。生きる目標。何を見て、何を目指して生きているか。何を楽しみにして、何を目標にして生きているか。
 とても大切なことだと思う。パチンコが好きな人は、パチンコをすること、パチンコで勝つことをいつも考えているんだろうなぁと、パチンコ屋さんの前を通る度に思う。実は、私はパチンコが苦手というか嫌い。なぜ、イスに座ったままで、小さな玉を目で追いかけて、それで毎日のように時間を過ごすのかが分からない。麻雀やトランプ、競馬や競輪などの賭け事も苦手。というか、ムチャクチャ下手くそで、友だちと一緒にやったことがあるが、全く心惹かれることがなかった。それでも、それを楽しみにして生きている人もいる。それでもいいとは思う。自分が全て正しいとは言いたくない。
 しかし、明らかに身体に悪い生き方が好きだという人に対してお医者さんがそんな生き方をしていたら身体を害します、改めた方がいいですよとアドバイスするように、御仏は人間の生き方、生きる方向について、進むべき方向を示されていると思う。それが、正しい法を信じて、正しい法をもって他の人をも明るく照らしていく生き方だと思う。
 他の人の不幸を自分の痛みにしたり、他の人の幸せを願うことに生き甲斐を感じることが出来るようになったら、どれほど素晴らしいだろう。それが、自分の愛していた趣味や何かよりも価値のあることだと思って、朝から晩まで考え、行えるようになったら、どんなに素晴らしいだろう。
 家庭内の問題に悩んでいる。そうしたことも、自分があることに執着し、心を焦がされているからだと思う。それを、理屈や理論で変えようと思ったり、方向を変えたりすることは難しい。しかし、御宝前に向かって御題目をお唱えする。自分の思いや願いを御宝前にご祈願する。その中で、生きていく先が変わっていくと感じる。欲望をなくせ、それを止めろ、というのではない。御宝前に向かうことで、御法さまからのサイン、心の圧倒的な変化、現前に顕れる御利益を感得する。
 私は世界一のお金持ちになりたい。ミス・コンテストでグランプリになりたい。それがダメな目標だとは言わない。しかし、その先になにがあるか。御宝前に向かっている中で、それが自分自身で分かるようになる。教えていただける。何より、御法さまのお導きに接することができる。
 アクションもなく、心を焦がしているだけだと、欲しいもの、願っているものから遠ざかる行動をしてしまうのが人間だ。たとえば、この人の心を取り戻したい、と思っても、逆の行動をする。息子の気持ちを何とかしたい、妻の気持ちを、あるいは夫の気持ちを何とかしたい、と思っても、顔はギスギス、言い方はトゲトゲ、態度はボロボロ。そんなことではまたダメになると分かっていても、できない。
 そういう悪循環から抜け出させてもらえるのがお看経。生きていく先が見える。なぜ、そう思っているの?どうしたいの?どうしたらいいと思うの?自分の顔を鏡に映してみて。どんな顔をしているか。それでは人に愛されない。それでは夢は叶わない。
 人間に生まれた以上、人間として最高の生き方、命の使い方をしたいな。自分にしか分からない問題を乗り越えながら、御利益をいただいて、自分の生きていく先、生きるべき道を見つけて欲しいと思う。それが見えたら、何より幸せだと思う。
 そのために、御題目をお唱えしてほしい。御題目を欠かさないでほしい。言葉が足りないかも知れないが、そこから離れてはだめだから。お看経の味わいを知って。

2 件のコメント:

miichan さんのコメント...

はじめまして。初めてコメントを投稿します。

こちらのブログに最近出会うことができました。

育児、家事をしていくなかで、反省の日々です。そんななか、後悔しながら、こちらのブログを読み、過去のブログをよみ、なんとか気持ちを 良い方向に 持って行くことができます。

どうもありがとうございます。
これからも、どうぞ ブログを続けていってください。

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

ありがとうございます。
コメントをいただき、うれしいです。励みになります。思うままに書いてしまっていて、申し訳ありません。
これからも、どうかよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...