今日は佛立研究所・佛立教育専門学校の研究発表大会。
特別講演として『学ぶ楽しさ、素晴らしさ- 夜間学校での出会いや学びから -』と題して、東京都墨田区立文化中学校・夜間学級嘱託 見城慶和先生にお話をいただいた。講演後、涙を流して感動したと言っておられた御導師がおられ、講演の内容は戦中・戦後を通して先生が如何に教育者を目指されたのか、夜間学校とは何か、夜間学校で出会った生徒たちとのふれあい、そこで感じられた人間の可能性についてお話をくださった。
人間は変われる。人間への信頼。人間への飽くなき働きかけ、それこそ『教育』だと。人間を諦めないこと。人間を諦めなければ、人間への機会、人間への働きかけに動き出せる。人間は、絶対に変われるのだと。人間の愚かな面に戸惑うこともあるが、それでも、いつか人は分かってくれるはずだ、と。そうだなぁ、と学ばせていただいた。
こちらが諦めてどうする。こちらは、永遠に、人間を諦めずに、働きかける、接していく、教えていく、待っている、共に動き、共に考えていく。それこそ、真の仏道、菩薩行に通じる。
一人が変われば世界が変わる。諦めたら何も生み出せない。投げ出してしまったら、何も生み出さない。変な期待ではダメ。期待が強すぎれば見返りを求める。向き合う姿勢を変えなければならない。相手へ、精一杯の働きかけをし続けること。気持ちが通じないこともある。逆に暴走し始めることもある。期待を裏切り、気持ちを踏みにじることもある。しかし、こちらが最大限の努力を払うということ以外に、何の道があるというのか。逆に、相手を恨むか。世を恨めばいいのか。投げだし、傷つければいいのか。いや、違う。それは、自分がもっと不幸になる道。人間であることを諦めずに、働きかけを続けていくしかないのではないか。
万物の霊長といわれる人間には、無限の可能性があると同時に悪魔のような愚かさがある。人間は、菩薩にもなれるが、鬼にもなる。素晴らしく、おそろしい。その内にある善なるものを信じて、そこに種を植え、そこを耕し、発芽させ、諦めずに、働きかけを続けていく。
そして、働きかけを続ける自分自身も、愚かな、恐ろしい面を持っている。自分だけが正しいことなどない。自分も、そこで学ぶ。学ばなければならない。誰かに、教えていただかなければならない。誰かに、働きかけていただかなければならない。
御宝前のある家。ご信心のある人。人間を諦めないで。自分を諦めないで。
1 件のコメント:
ありがとうございます。
三重県、妙典寺で御奉公をさせていただいている、奥山桂子です。
先日は、研究発表大会でお会いすることができ、嬉しく思っております。
ご住職のことば選び、発声、表情、どれをとっても学ばせていただく事ばかりです。
また、見城先生の公演を聴かせていただいて、ほんとうによかったなと思いました。
見城先生は、国語の先生ということもあって、感情をことばにのせるという言葉通りの声で、声をきいているだけで涙が出てきました。笑
これからも、人々の感情をゆさぶり続け、人々に、自分は素晴らしい存在であると気づかせてくれるのだろうと思いました。
お題目のすばらしさ
魅力を、これかも感得させていただきたいです
自他を軽んじることなく、一人でも多くの方と口唱させていただけたら・・と思います。
まだまだ学ばせていただくことばかりです。
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