今でも鮮明に覚えている。朝食。
父との思い出は極めて少ない。普通の家族が羨ましかった。家族で出掛ける。家族で食事する、等々。そんな思い出は、残念ながら少ししかない。いつも父はご奉公で忙しく、家族で仲良く週末を楽しんでいる友だちから話を聞くと、なんて贅沢なんだろうと思ったり、そこまでは思わなくても自分の家庭にはないなぁと思ってみたりしていた。
父が不在。母も千鶴子叔母さんの介護や祖父母の看護などで家を空けるようになると、いつも待ってくれていたのは妙清師や戸塚のおばあちゃん。ヒコちゃんや樋口さんも夕食を作ってくれたり、洗濯物をたたんだりしてくれていた。子どもの頃、家に帰ると父はいない。そういう雰囲気で、週末はなにをしてたんだろうな。記憶がないわ。
そんな親子関係だったが、心の底から父を尊敬し、母を愛していた。それは、やはりご信心のお陰。何のために忙しいのか、子どもながらに分かっていたのだと思う。たくさんの方が家に来られて、二階の部屋で父と話をする。お茶を出す母。そして、泣きながら相談をしに来られた方の話を聞く。そんな両親の姿を見て、部屋の中での会話に階段の下で耳をそばだてていた。ある時、相談に来られた人が帰り際に「お父さんみたいになってくださいね。救われました」と言ってくださった。そんな思い出の断片。
息子と私の関係も同じようなもの。時間はない。世のお父さん方より一緒に遊ぶことも少ないと思う。しかし、今回は、ほんの一晩だけだが、ゆっくり一緒の時間を過ごした。朝、数十年前に父と私が食事をした同じ場所で朝食。息子は何気なく過ごしていたけど、自分と同じように、大きくなって、父を失ってから思い出すかな。少ない父親との時間の中で、「あぁ、あの時、朝ご飯を、オヤジとあそこで、食べたなぁ」、とか。
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